第2話 朝の宿屋で彼と彼女

 魔王ゼオルト・グランの悲鳴から、一秒、二病、三秒――、


「あ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああッ!?」


 勇者マイシァも、同じように叫び声を轟かせた。

 そして、ベッドの隣り合っているゼオルトとマイシァが互いに指を突きつけ合う。


「おまえ、ス……、『赤き傷口スカーレッド』!」

「あなた、グ――、『灰髪の魔王グレイアッシュ』!」


 互いの異名を叫び合った上で、ゼオルトは自分の素性までバレたことに軽く驚く。

 だが、きっと目の前の勇者と同じなのだろう。

 彼女も自分も、周囲にバレないよう魔法で変装して、そしてそれが解けた。


 まぁ、そういうことだろう。

 そういうことなんだろう、と、そこは納得できたけど――、ムカつく。


 ゼオルトは、自分の髪の色が好きではない。

 魔族の間で不吉の証とされる灰髪のせいで、自分がどんな扱いを受けてきたか。


 それでも髪の色を変えられないのは、上級貴族共から禁じられているからだ。

 魔王として、人類にとっても不吉の象徴として刻みこめなどというアホなお達し。


 そして戦場に行けば兵士達はこぞって『灰髪の魔王』の名を叫び、喝采をあげる。

 その髪の色を理由にして散々迫害してきクセに、手のひらクルクル返してさ。


 だから彼は自分の灰髪も、それを由来とする『灰髪の魔王』の名も大嫌いだった。

 仕事以外の場では絶対に聞きたくない。忌まわしくすらある。

 その名を、まさか、ストレス発散した翌日に呼ばれるなんて思わなかった。


 しかも、それを口にした相手が最悪すぎる。

 自分の地を晒しきっているこんな場で、よりによってこの女に……ッ!


 心は憤激に沸き上がり、それは瞬く間に殺意にまで達する。

 目の前の女は、幾度も殺し合ってきた相手。今さら殺すことに呵責など覚えない。


 ならば、今この場で殺してやる。

 自分が口にしたことが、僕にとってどれだけの侮辱か、思い知らせて――、


「…………え?」


 だが、ゼオルトの口から、呆けた声が漏れる。

 怒りが占めていた頭の中が、あっという間に真っ白になってしまう。

 涙をポロポロと流しているマイシァを、見たせいで。


「…………」


 彼女は、身体を毛布で覆いながら泣いていた。

 鼻と頬を真っ赤にして、悔しそうな顔でゼオルトを睨み、涙を溢れさせていた。


「な、何で……?」


 その意味が理解できず、ゼオルトは困惑の果て、そうきいてしまう。

 すると、しばしの間を空けて、マイシァは唇を震わせながら、濡れた声で言う。


「わたしを、その名前で呼ばないで……ッ」


 その名前――、『赤き傷口』。

 猛き女勇者を飾るには似つかわしい、勇ましい異名のように思える。


 だが、マイシァのこの過剰なまでの反応はどうだ。

 涙を流し、身を震わせるその姿に、戦場で見せる猛々しさは一切感じられない。

 ゼオルトは口をあんぐり開けて、愕然となってしまう。


「勇者、おまえ……」


 そこまで言いかけ、先を告げられずにいるゼオルトに、彼女は泣きながら言う。


「わ、わたしだって……、お、ぉ、女の子、なんだから……!」


 ズシン、と、ゼオルトの腹の底が重くなった。

 ものすごい罪悪感が、彼の良心をビシバシに苛んでくる。


 普段は女の子って感じじゃないクセに、なんて言える雰囲気ではない。

 思っても、それを口にするのだけは憚られた。それを言うのは、人としてアウト。


「あ、ご……」


 ヒックヒックと勇者がしゃくりあげる声を聞きながら、魔王は深々頭を下げる。


「……ごめんなさい」


 勇者への殺意?

 あいつなら、とっくにどっかに行っちゃったよ。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 双方、謝り倒しであった。


「ごめんなさい……」

「いやいや、こっちこそごめんなさい……」


「ううん、わたしも悪いこと言っちゃった、ごめんなさい……」

「いや、僕はさらに泣かしちゃったし、本当にごめんなさい……」


 ひとまず、ゼオルトはマイシァを泣きやませたあとで、自分もまた告げた。

 自分の灰髪が嫌いで、それに由来する異名も疎んでいることを。


 そうしたら、これである。

 殊勝にもマイシァが謝り始めたので、ゼオルトも謝り返すしかなく。


「ごめんなさい」

「いやいや、ごめんなさい」


「本当にごめんなさい」

「こちらこそ、ごめんなさい」


 服も着ないまま、全裸同士の謝罪合戦が続くこと、実に三分。


「もう、やめよう!」


 ゼオルトが、先に音を上げた。


「おまえは僕に十分謝った! わかった、誠意は伝わった! もう大丈夫だから!」

「でも……」


 と、マイシァが眉を下げて、彼を見上げてくる。

 その姿に、ゼオルトは軽い混乱をきたした。

 この女、本当に昨日、四回も殺し合ったあの女勇者と同一人物なのか!?


 しかもタチが悪いのが、マイシァが本気で謝罪しているのが理解できることだ。

 許してもらうためでなく、本音からゼオルトに悪いことをしたと思い謝っている。


 それが痛いほど伝わってくるから、どうにも邪険にできない。

 クソ、僕の宿敵の女勇者のクセして、何でそんなに思いやりがあるんだよ!


「はぁ……」


 ゼオルトが深ぁ~く息をつく。


「戦場とかは別として、少なくともこの場では二度とお互いを異名で呼ばない。それでいいんじゃないか? 僕だっておまえを泣かした。申し訳ないとは思ってるよ」

「…………」

「でも、お互い謝るばっかりでもキリがない。そうだろ?」


 押し黙るマイシァにそう言葉を向けると、彼女はコクリと小さくうなずいた。

 そして訪れる、何とも気まずい沈黙。およそ十秒ほど。


「もう、最低よ……、何でこんなことになるの」


 言って、マイシァが毛布に顔をうずめる。

 ゼオルトを罵ったのではなく、今の状況に対する恨み言だとニュアンスでわかる。


「僕だって同じ気持ちなんだけどなぁ……。まさか、一夜限りの関係を持った相手が、よりによって二年間殺し合ってきた宿敵だなんてさ……」

「うるさい、うるさい! わかってることを言い直さないで。また泣くわよ!」

「それはやめてくれ。本気で……」


 泣かれたら勝てない。絶対負ける。

 この十数分で、それがすっかり身に染みてしまったゼオルトであった。


「……どうするのよ、これから」

「そんなの、忘れるしかないだろう。お互い」


 関係を持ったところで、ゼオルトは魔王だし、マイシァは勇者だ。

 それをやめられるはずもなく、二人は今後も戦場で殺し合いを続けることになる。


「下手に相手にほだされたら、大変なことになるぞ。僕も、おまえも」

「そうね。それは、わかるわ……」


「なら、今回のことは忘れて、別れよう。それが一番いい」

「それも、間違いないわね。そうするしかないのも、もちろんわかるわ」


 二人の会話は、特にどちらかが噛みつくこともなく、至って理性的に行われた。

 その中で、ゼオルトは感じる。

 こうして話してみると、マイシァはとにかく話しやすい相手だった。


 こっちの言葉の意図をきちんと理解してくれる。

 その上で、こっちに返す言葉もわかりやすく、意図も掴みやすい。


 あと、そもそも、声がいい。少し甘めで、でも凛とした響きがある。

 戦場ではそれどころではないので気づかなかったが、かなり自分の好みに近い。


 そしてまた、思うのだった。

 この子、本当に僕が二年間ずっと殺し合ってきた宿敵なのかよー!?


 今すぐでも叫びたいそれを何とか押し殺し、ゼオルトはベッドから出ようとする。

 これ以上一緒にいると、いよいよ情が移りそうになってマズイ気がする。


「ここでお別れだ。僕が先に出る。おまえは、少し時間を置いてから――」


 と、言いかけるも、途中で止まる。

 ベッドから出ようとしている彼の腕を、マイシァが掴んでいるからだった。


「……勇者?」


 驚いてマイシァを見ると、彼女は何故か頬を真っ赤にして、顔を背けている。

 その様子は、正直言えば非常に可愛らしかったが、何で腕を掴んでるんですかね。


「ぁ、あの……」


 マイシァが、恥ずかしげに顔をそむけたまま、ゼオルトをチラリと流し見て、


「も、もう一回……」

「何が?」

「もう一回だけ、最後にもう一回だけ、シない?」


 シない? って、何を?

 と、ゼオルトは一瞬キョトンとなるも、顔が赤くするマイシァからすぐに察する。

 ああ、つまりもう一回だけ、えっちをしないかってことかー。そうかー。


「おまえ、SEX依存症かよォ――――ッ!?」


 勇者という激務に心身共に摩耗しきって、この女、えっちに依存してる!?

 そのとんでもない推論に絶叫するゼオルトだが、マイシァはすぐさま否定しする。


「ち、違うわよ! 失礼ね! これでも昨日まで処女だったわよ!」

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~!?」


 待って、そっちの方が大問題なんですけど。シャレにならないんですけど!

 思いつつ、ゼオルトは恐る恐る、毛布をまくってみる。

 白地のシーツの真ん中辺りに、赤いしみがしっかりとその存在を主張していた。


「……マジかよ」


 ゼオルトの顔が真っ青になる。

 それに気づいてか、マイシァが慌ててフォローに入った。


「あ、べ、別に気にしないでいいのよ? わたしみたいな傷女の操なんて、大した価値なんてないから、本当にそれは気にしないでほしいの。ただ、昨日のあなたとのえっち、初めてなのにすごい気持ちよかったから、最後にもう一回だけ、って――」

「オイ、待て。何だそれ」


 マイシァの言い訳に、ゼオルトはムッとした顔になる。


「え……」

「今、何て言った?」


「だから、あなたとのえっち、すごいよかったから……」

「そこじゃない。その前!」


 ゼオルトが、急に勢いのある声でマイシァを問い詰める。

 それに驚いた様子で、彼女は今一度弱い調子で繰り返した。


「わたしみたいな、傷女の操、なんて……」

「ふざけるなよ?」


 そんな言葉が、ゼオルトの口を衝いて出た。


「気に食わない。その発言は、すごく気に食わない」

「な、何で……!?」


 目を丸くするマイシァを、彼は厳しく睨みつける。

 気に食わない。気に食わない。気に食わない。何だそれは、ふざけやがって。と。

 さっきとは全く違う理由で、ゼオルトの心の中で怒りが沸騰しかける。


 彼はベッドに戻って、ポカンとなっているマイシァの頬にそっと手を添える。

 そして、きついまなざしのままに、真っすぐ彼女に告げた。


「おまえは、可愛い」

「な……っ」


 見開かれる、マイシァの瞳。その顔、その表情、ほら、可愛い。

 自分の可愛さを、この女は全く自覚していない。それがたまらなく気に食わない。


「何が、わたしみたいな傷女、だ。何だよ、その自己評価の低さは! 一回異名で呼ばれただけで泣きだすくらい、その顔の傷が嫌いなクセに、よく言えたモンだな!」

「で、でも、わたし、顔にこんな大きな傷……」


 戸惑い、言いかけるマイシァの唇を、昨日とは反対にゼオルトがキスで塞いだ。

 そのあとで、彼は硬直してしまっているマイシァを見つめて、


「いいか勇者、おまえは可愛い。傷があってもおまえは可愛い。この二年、多分世界の誰よりもおまえを見続けてきた僕が言うんだから、間違いない。おまえは可愛い」

「や、やめて、魔王、そんな、それ以上、そんな……」


 みるみるうちにマイシァの頬は赤くなり、瞳が潤む。

 そうした変化に、彼女が見せる小さな動き。それがいちいち、可愛らしく映える。


「言っておくけどな、僕も昨日は、最高に気持ちがよかったんだよ!」


 と、彼はマイシァに向かってとんでもない告白をブチかます。

 ゼオルト・グランは童貞ではない。


 過去に彼女がいたこともあるし、娼館に通っていたこともある。

 その上で、彼は断言できる。最も気持ちよかったのは、目の前の彼女との一夜だ。


「僕をそこまで気持ちよくさせてくれたおまえが魅力がないはずないだろ。おまえは自分の価値がわかってない。おまえは可愛い。まずはそれを自覚しろ!」

「ほ、本当? 本当に、わたし、か、可愛いの、かな……?」


 派手に照れつつも、これだけ言ってもマイシァはまだ疑問符を浮かべている。

 それが、ゼオルトを変な方向にキレさせる。


「わかった。おまえのお望み通り、これからもう一回えっちしよう。ただし、その間ずっと、おまえのことをひたすら可愛いって言い続けてやる! 褒め続けてやる!」

「え、ぇぇ、えぇぇ……!?」


 表情を二転三転するマイシァを前に、キレたゼオルトが勢いのままさらに続ける。


「言っておくが、世辞じゃないぞ。僕は、世辞を言うのも言われるのも大っ嫌いだ! だからおまえが可愛いのは僕にとって事実であり真実だ! 褒めちぎってやる!」

「や、やめてぇぇ……」


 弱々しく鳴くマイシァの唇をまたしてもキスで塞ぎ、ついでに舌も入れてやる。

 小さく震える彼女の背に腕を回し、ゼオルトはそのままベッドに倒れ込んだ。


「ぁ……」


 ――朝の宿屋の一室に、小さな嬌声が響いた。

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