【SFショートストーリー】テラッツィアの彼方へ―エイジの宇宙(そら)―

藍埜佑(あいのたすく)

【SFショートストーリー】テラッツィアの彼方へ―エイジの宇宙(そら)―

 柔らかな朝日が、エイジの家の窓から満ち溢れるようにさしこんでいた。

 キッチンからは妻の鼻歌交じりの料理する音が穏やかに響いている。

 テーブルには手作りのオムレツに、新鮮なトマトとバジルが添えられていた。その隣には、彼女が淹れたばかりのコーヒーの芳香が空間を満たす。

「おはよう、エイジ。朝食できたわよ」

 妻があたたかな笑顔で呼びかける。

 エイジはその声に心から癒やされた。

 彼が応えるのは、いつも通り朗らかな「おはよう」だった。

 ありふれた……しかし確かな幸せだった。

 彼らは並んで朝食を取る。妻が語る夜見た夢、エイジが昨日遭遇した探査での軽い苦労話。

 話題は尽きることがなかった。

 エイジは、ただ妻との時間を心から楽しんでいた。

 食後、妻はエイジのスペーススーツの磁気ベルトを手際よく整える。

 その手つきは愛情と慣れた動きで、エイジはそんな彼女の細やかな気遣いにいつもありがたさを感じていた。

「今日も頑張ってね」

 優しい声でエイジを送り出す妻。エイジはその言葉を胸に、今日も頑張ろう、と決意した。


 星暦3049年、「惑星探査士」という職業がこの世に誕生していた。


 彼らは人類が足を踏み入れていない惑星を探査し、新たな居住地を求める先駆者たちだった。その中のひとり、エイジは、未知の惑星「テラッツィア」に降り立ち、歴史に名を刻もうとしていた。

 テラッツィアは地球に非常に似ており、植物が茂り、水も豊かだった。しかし、そこには一つだけ不思議な現象があった。惑星の一部に謎の「空白域」が存在し、そこに入った物や人は跡形もなく消失してしまうという。

 エイジに託されたミッションは、その空白域の謎を解き明かすことだった。彼は最新鋭の探査機器を携え、空白域に近づいて行った。しかし、技術の粋を集めた機器も、その境界を越えた瞬間、まるで紙くずのように消え去った。

 探査を進める中、エイジは「空白域」に固有の微弱な信号をキャッチする。それは人間の言語に似たパターンを持っていた。彼は信号の解析に没頭し、しだいにある推測を立てるようになった。

 この空白域から発せられる微弱な信号は、エイジにとって新たな謎の始まりだった。 彼は探査中にたまたまこの信号を捕らえた。それは極めて微弱で不定期にしか現れないが、エイジの持つ機器が捉えるには十分な頻度だった。

 この信号は一般的な通信シグナルとは異なり、周期的に繰り返されるパターンを持ち、その構成は人間の言語の符号に酷似していた。しかし、どのような言語にも完全には一致しない、未知の言語パターンを含んでいるように思われた。

 エイジは探査ミッションの合間を縫っては、この信号の分析に夢中になった。彼が目指すんおは、このパターンが表す意味の解明。イヤホンを耳に当て、目を閉じては信号の間隔やリズムを感じ取り、何か手がかりを掴もうと彼は必死だった。

 ある日、エイジは信号から新たなパターンを抽出することに成功する。それは、単純な繰り返しではない複雑な変調を含んでおり、ほぼ明らかに意図的なメッセージであることを示唆していた。彼はこの信号を元に、仮説を立てた。空白域は、違う存在が意図的に設けたコミュニケーションの試みなのかもしれない。

 その後のエイジの決断は、この謎に対する人類の好奇心を象徴している。誰も足を踏み入れることができなかった空白域に、彼は自ら踏み込むことを選んだのだ。

 スペーススーツに身を包み、彼は静かに空白域に踏み込んだ。すると、彼の体が溶けていくような感覚に襲われ、意識が遠のいていった。

 意識が戻ると、エイジは自分が地球の自宅にいることに気がついた。そこには彼の妻が、いつものように朝食を作っている。何事もなかったかのような穏やかな光景。しかし、エイジはこれが現実ではないことを直感していた。

 テーブルの上には、彼がテラッツィアで使用していたはずの通信機があった。機械は活発に情報を送り続けている。画面に映し出されたメッセージは、エイジの心臓を凍らせた。

「実験成功。対象の記憶と意識を完全に仮想現実に転送できました」

 エイジは気づいた。

 エイジは実験材料だったのだ。

 初めて人間の意識を完全に仮想現実に移し替えるプロジェクトの一環として、彼は選ばれていたのだ。

 彼の冒険は、ただのデータの集合。

 惑星探査士としての記憶も。

 テラッツィアの探査も。

 全ては仕組まれたシミュレーションだった。


 それでも妻の作る朝食の匂いと暖かい笑顔は、いつもと変わらなく心地よかったのだ。


(了)

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