願い事*天と咲む
久しぶりに見た顔に変わりがないようで、
「明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとうございます」
すみません、遅くなってと申し訳なさそうに付け加える
「大丈夫です。一緒にお参りができるなんて思っていなかったので」
口から出た後に、やってしまったと固まった。詞が無理に笑ったからだ。
重い空気を払うように詞が葵の背を押す。
「葵さんはどんな正月を過ごしましたか」
触れた背から心臓が飛び出したのではいかというほど驚いたが、すぐに手は離れる。
何も気にした様子のない詞は前を向いていた。学生の頃とは違う距離に戸惑いつつ、肩を並べる。呼吸を調え、詞が訊ねたことを反芻してから葵の口は言葉が探した。
「えっと……、特に、変わりはないです。正月にはお休みをいただいて、家族とゆっくりしました。姪っ子と福笑いをしたり、
話をひねり出そうとしたが、それぐらいしか思い出せない。二日からは実家の呉服屋が売り出しだったため準備に追われ、冬休み明けの本職に追われ、常に何かに追われてた気がする。旧友たちとの初詣で詞のことを問い詰められたなんて、口が裂けても言えるわけがなかった。余計な心配はかけたくない。
佐久田さんは、と言いかけて葵は口をつぐんだ。『詞』と呼んでほしいと言われたし、私生活を訊ねていいものかと悩む。
「料理、されるんですね」
「……まぁ、それなりに」
詞の相づちに葵は言葉を濁した。女中も雇えないような貧乏商家ですからは言わないでおく。
女学校の成績でも問題なかったので、お嬢様育ちの友人たちを助けたほどだ。
「あの」
言い淀む詞を振り返った葵は、物影から出てきた人にぶつかり、よろめいた。倒れかけるところを受け止められ、ぶつかった張本人はよほど急いでいるのか軽くわびて立ち去っていく。
二人の距離がなくなり、動転した口は上手く回らない。
「すすすすみません、けけ怪我は」
「いえ」
肩に添えられた手は離れなかった。息も聞こえてしまいそうな距離に目眩がする。もともと二人だけで歩いていた参道で誰も見ていないとはいえ、無言は息がつまりそうだ。
澄んだ空気が髪をゆらし、肌をなでていく。
幾ばくか時間が過ぎれば葵も冷静さを取り戻した。一番に詞が心配になり、意を決して肩ごしに振り返る。見上げた顔は鳶と同じ色の髪に隠れて見えない。
声をかけようとした矢先、先に動いたのは詞だ。
「負担で、なければ、葵さんの料理をいただいてみたいのですが」
弱々しい願いは、葵を赤面させるのに十分だった。
『天と咲む』より
https://kakuyomu.jp/works/16817330648870257380
葵と詞でした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます