第8話 もう歌しか聞こえない

 クロステスト当日、中央セクターのオペレーショナルルームにて。管理人の隣には、別のサイトからやって来た研究員が一人いる。若い男性だ。


「ユニゾン・クランチャーは群体として行動することで、異常な形で協調し、ある種の共通意思を持っているかのように振る舞う、見た目にはクワガタのように見えるオブジェクトです。彼らの無意識下でのやり取りの方法を解明することは、新たな通信機器の開発などに役立つでしょう」

「君の若さで委員会の許可を得られるのは珍しい。優秀なんだな」


 管理人が言うのに、研究員——ドクター・ミラディは手をせわしく動かして否定する様子を見せた。キューティクルの死んだ黒髪に冴えない眼鏡をかける、これ以上ないほどにありきたりな風貌をした研究員である。


「いえ初めてのことです。いいプレゼンができた感じはしなかったのですが」

「後学のために何かコツを教えてくれ」

「いや本当に何も……強いて言えば、そうですね。イチゴ柄のネクタイが好感を持たれたのかもしれません」

「なるほどこれは中々の逸材だな」


《彼らが持つ潜在的な知性の程度を測定しようという側面があったのでしょう? 決してこの方の売り込みに魅力を見出したわけではありませんよ》


 スピーカーからの音声はこれまで管理人が聞いてきたものよりも機械的な気配が強かった。


《それにしても、未知の言語でやり取りするクワガタですか。ここにいる研究員の方がクワガタの言葉を理解するよりも先に、彼らが人間のジョークを理解するかもしれませんね》

「自分、何か嫌われるようなことをしてしまったんでしょうか……?」

「私も今知ったところだが彼女は人見知りらしい。安全管理はどうなっている?」


 助手はビジョンを見せずに、スピーカーからの声のみで対応している。


《フォルカンの安全が脅かされた場合、私たちの傭兵が彼女を守る準備は万端です。クワガタよりも彼らの方がコミュニケーション能力に優れているかは別問題ですが。なにせ元は敵性組織に雇われていた彼らですから》


 ミラディが「敵性組織?」と引っかかったところ、管理人はせき込んで話を本筋に戻した。通信機越しに、東セクターのレディ・イリデセントに尋ねる。


「フォルカンの準備は?」

「彼女がテスト中に詩を詠みだす可能性については、考慮しかねますよ」

「絶好調ということだな。では始めよう」

「それでは実験場にフォルカンを入場させます」





 フォルカンはゆっくりと密閉されたケースに近づいた。中にはユニゾン・クランチャーの一個体が静かに待機している。オペレーショナルルームの大画面にはその一部始終が映し出されていた。

 彼女がケースに手を伸ばし、軽く触れると、クランチャーは彼女の存在に反応し、微かな動きを見せ始めた。

 管理人が通信機越しに尋ねる。


「フォルカン、何か感じるか?」

「これ、は……」


 フォルカンの体がビクリと震えた。クランチャーの動きがより活発になっている。


「フォルカン? 何か異常があれば……」


 フォルカンはクランチャーから目を上げると——


「Ex nihilo, voces per aetherem resonant……」


 不可解な言葉をリズムに乗せて歌い始めた。

 管理人は即座に自身の首筋へ特殊な注射器を打ち込んだ。同時に実験場との通信を切断する。


「助手、フォルカンの——」

《後ろです、管理人》


 管理人が振り返るのと同時に、ミラディが襲い掛かった。錯乱状態の彼を管理人は軽くあしらったが、何発撃っても動きの止まる気配がなく、やむなく杖を使って四肢を捩じり折った。瞳孔をしきりに動かす彼は床の上で泡を吹いている。

 ミラディの身体は変容を始めていた。手足は細く黒くなっていき、二本の鋭利な顎が伸び出つつある。


《フォルカンに装着されていたアンチ情報汚染デバイスですが、問題なく起動しました》


 管理人がモニターに目を戻すと、カメラを見上げるフォルカンと目が合った。うつろに見上げる彼女は未だに何かを呟き続けている。


「まだ汚染からは脱していないように見えるな」

《ハブなのかキャリアなのかは判断の難しいところですね》

「いずれにせよきっかけは彼女の歌だ」

《それではこちらをご覧ください》


 モニターに映し出されたいくつかの映像。その全てで職員が昆虫への変形を始めている。


《これはサイト全体のカメラから無作為に抽出したものです》


 管理人はコンソールに両手を突いてモニターを睨んだ。彼の目元は険しい。


「なぜだ。これは言語を介したミーム汚染のはずだ。どうしてサイト全体に影響が出ている」

《せっかちなDJが彼女の歌をサイト全体に放送したようですね。ランチタイムまで待てなかったようです。音響のコントロールは可及的速やかに奪い返したのですが、一瞬でも効果はあったようで》

「つまりこれはただの事故ではなく、悪意を持った何者かによる犯行なのか」


 跳ねるような動きで部屋に浮かび上がった助手。


《まさにパンドラの箱が開かれたような状況ですね。新しい昆虫対策プロトコルのテストといきましょう!》

「昔は虫取り網さえあればよかったんだがな」


 管理人は舌を打ちながら弾を込めた。





 管理人はオペレーションルームから飛び出した。


《現行のプロトコルによれば、フォルカンの即刻殺害が推奨されています》

「最も強力な対情報汚染策が無効だった以上、それが妥当な判断だ」

《今回のクロステストは本部への五分ごとの経過報告が義務とされています。委員会への報告を偽るとどのようなペナルティに直面するか、ご存知のはずですね管理人》

「『報告を怠る』方が今は賢明だな。残された時間は……そうだな、三十分、か」


《はい、異常を察知した委員会直属のエージェントがここに着くまで、三十分と少しの時間を算出しました》

「まるで最悪な映画のランタイムだな」

《席を立つことも許されません。——っと、アルケミストから通話申請です。インカムに繋ぎましょう》

「想像より早いな、頼りになる。こちら管理人」


 アルケミストは多少照れた様子の声から入った。


「どっ……ゴホン。こちらアルケミスト、状況報告します。少なくとも東セクターにおいてですが、状況は深刻です。経過に個人差はありますが、全ての職員が昆虫特性を示し始めました。具体的にはクワガタムシのような形態へと変貌しています。外骨格を纏い新たな足が生えて……個人の判別すら不可能になりつつあります」


「作戦行動に支障はないか」

「ありません。私の部隊も変形の影響を受けていますが、私の能力で進行を抑えられています」

「君はフォルカンによる洗脳にも抵抗できるのか?」

「今すぐサイト全体の職員を元に戻す、というのは不可能です。力及ばず」

「それだけでも十分な希望だ」


「変形した職員は、共通の意識を持って組織的に行動しているように見えます。そして私たちに対して積極的に攻撃を仕掛けてきています」

「リーダー、あとプラズマ・インヒビターの件」

「あ、携帯型のプラズマ・インヒビターですが、少なくとも変形を受けた職員たちには効いている様子がありません。まだフォルカンとは遭遇していないため、そちらに効くかは分かりません。報告、以上です」


「遭遇? フォルカンは実験場に閉じ込められているのではないのか?」

「それが、私が隊員たちの対応をしている間に実験場の扉が開かれ、フォルカンは実験場を後にしたようなのです」

「だがそれは一分以内に終わったはずだろう。実験場の入り口は暴力的に破られていたのか?」

「それが、解放されていました」


「実験場上階のオペレーショナルルームも見たんだな?」

「今から向かいます。しかしおそらく職員は全員クワガタになっていると思います」

「分かった。アルケミスト、君は慎重に行動するように。君こそが職員救出の要だ。状況が変わったらすぐに連絡しろ」

「了解!」


 管理人は中央セクターの一室、エージェントの待機室へと辿り着いた。


「疑わしき人間は明らかだが、問題はその動機だな。それを明らかにしなければ事態の全貌は明らかにならない」

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