二章 事象共振のエニグマと境界照写のグリザイユ

第7話 コードネーム:フォルカン

 中央セクター統括オペレーショナルルームにて。施設全体を俯瞰しながら適宜職員たちと連絡を取っている——通常通りに業務中だった管理人。彼の手元に配膳ドローンがコーヒーを持ってきた。


 管理人は訝しみながら手に取る。


「目的は何だ」


 女性のビジョンが浮かび上がった。呆れたように肩をすくめる。


《遺憾です。私の陰謀が露見したことが? いいえ、こんなにも有能で素敵な助手が気を利かせたというのに第一声が感謝の言葉でないことが》

「コーヒー一杯分くらいは聞いてやろう」


 管理人は背もたれに身体を預けて緩やかに息をついた。助手もビジョンのソファに腰かける。


《マーク・トウェインの名言といえば何でしょう》

「『アダムこそは、気の利いた台詞を口にした時に、自分よりも先に言った者がいないと確信できた唯一の人間である』」

《ええ。管理人が非常に優れた頭脳をお持ちであることは十分に理解していたつもりでしたが、まさか私の傲慢さを指摘せんがためだけに、そんなにも複雑な文章を空で唱えるとはいやはや人並み外れた執念です。因みにハズレです》

「私は答えの無いクイズに興味はない。しかし臨まなければならない以上、多少の満足感は拾いに行かせてもらう。因みに目的は果たされた」


《『人生で最も重要な日を二つ挙げるなら、それは生まれた日と、その理由を見いだした日だ』》

「『トム・ソーヤの冒険』の作者らしい言葉だな。運命論はあまり私の好みではないが」

《生まれた理由を自ら見つけなければならないなんて不便な生き物ですね》

「認めよう。しかしそれは同時に無限の可能性を意味する」


《はい。つまり、自分の生まれた理由を見出した日、人間個人が持ちうる全ての可能性は潰えるのです》

「潰えたのではない、選択したのだろう。全ての人間には、選択の時が必ずやってくる」

《『選択』。それはまるで前向きな言葉です》


 管理人はカップを置き、指を膝の上で組んだ。


「悲観的な『選択』か」

《読むのが嫌だというなら読み上げましょうか?》


 助手の指には一通の手紙が抓まれていた。

 管理人が改めてコンソールを操作すると、本部からメールが一つ届いていた。一時間前に届いていたものだが、管理人はこのときまで気付いていなかった。


「AIが手紙派なのか。クラシックだな」

《そちらのコーヒーに使った豆だって手挽きですからね。ドローンにミルを回させました》

「それは手挽きというのか?」





 東セクターにある実験場は施設内でも特に広大なスペースを誇る。天井は高く巨大なドームのようで、見上げるとまるで無限の空間が広がっているかのような錯覚に陥る。


 無機的な印象の強いこの空間に、歌声が一つ響いている。


 彼女はまるで童話から飛び出してきたかのような幻想的な存在だった。ボリュームのある髪は真っ白に光り輝き、彼女が歩くたび夏の雲のように膨らんでいた。

 純白のワンピースに繊細なレースを施した、優雅さと軽やかさを持ち合わせる少女。彼女こそがコードネーム:フォルカン。


 管理人が声をかける。


「こんにちは、フォルカン」


 フォルカンはまるで森の中を散歩するかのようにゆったりと歩いていた。ときには水辺を歩くように一歩ずつつま先から着ける。


「どういう歌なんだ?」


 フォルカンは夢見るような声で返す。


「この歌は風のささやき、星々の輝き、無限の時間の中での一瞬。全ては共鳴し、調和し、存在の輪郭を描くのです」


 管理人がフォルカンと本格的なやり取りをするのはこの時が初めてだった。アルケミストから受けた忠告を思い出す。

 フォルカンはこの喋り方が常である、と。


「そうか、それは素晴らしいことだな。今回直接君を尋ねたのは、他サイトの異常存在とのクロステストが打診されたことを伝えるためだ。君が指名されている。資料に目を通して、受けるか考えておいてくれ」

「もちろん、私は万物の声を聞く者。彼らの歌が新たな調べと出会う時、私はその旋律を解き明かすことでしょう」


 管理人は眉をひそめた。


「資料も見ずに受け入れるというのか?」


 フォルカンは足を止めて振り返った。溢れる綿毛のような髪が揺れる。


「波の音は既に答えを持っています」

「資料を見ないで決めるのは不適切だ。君たちには状況を理解して判断する能力を養ってほしい」

「太陽はその光を選ばない。天の川の果てまで届くのだから」


 管理人はフォルカンの頑なな姿勢に疑問を持った。


「何か理由があるのか?」

「この声は、荒れ果てた大地に響き渡り、苦痛に満ちた心に安らぎをもたらす日を待っています」

「荒れ果てた大地……に、君の能力を活かしたい。そういう意図か。ゆえに自分の安全性を主張できる機会ならなんであれ受け入れるということだな?」

「蝶が風に乗って飛んではいけない理由とは?」


「フォルカン、君の能力は確かに絶大な影響力を持ち得る。だが、その力が戦争や直接的な救助活動に用いられることは、予期せぬ結果を招く恐れがある。君の年齢を鑑みれば、任が重きに過ぎる」

「枯れた枝にも花は咲く。あるいは新芽にも」

「君の安全を第一に考えるのが私の役目だ。組織としても、そうしたリスクは避ける」

「世界の悲鳴が耳に届くのに」


「世界は広く、我々の行動には限界がある。君の力は非常に貴重だが、適切な時と場所で使われるべきだ」

「星の光は暗闇を照らすためにある。瓶に閉じ込めておくなんてもったいない」

「その主張は理解できるが、現実には多くの要因を考慮する必要がある」

「私たちは時計の針を動かす力を持っている」

「時計の針は慎重に扱われるべきだ。多くの人を指標になるがゆえに」


「けれど、成長は実践から」


 このフォルカンの言葉は先の管理人の「君たちには状況を理解して判断する能力を養ってほしい」を受けている。

 上手く突かれて、管理人はため息をついた。


「しょうがないな。次のテストで何事も無ければ、試験的な運用を打診しよう」


 フォルカンはスカートの裾を掴んで礼をする。


「世界は広大な譜面。私たちはその中の一音符に過ぎないけれど、それでも美しいメロディを奏でることができるはずです」

「君ほどの存在なら一パートくらいの影響力はありそうなものだ。太陽に見立てるくらいなのだから」


 フォルカンはおっと顔を上げると、両目を薄め、僅かに口角を上げた。


「一小節、差し上げましょう、管理人」

「謹んでお受けしよう。レディ」





 実験場を見下ろす位置の東セクターオペレーショナルルーム。そこに研究員が一人いた。

 白衣を椅子に掛けた、赤毛の女性。座ったままに管理人へと振り返ってニコリと笑う。


「自分、あの子と初対面で平然と会話できる人間を初めて見ましたよ」

「アルケミストからコツを教わっていなければ危うかったろうな」

「コツって?」

「最初に良い歌だと褒めておけば機嫌を損ねることはない」

「あっは」


 管理人は一席空けて並んで座った。眼下のホールでは変わらずフォルカンが優雅に歩き回っている。


「レディ・イリデセント、君がこの実験場の管理責任を負っているのだな」

「そっすね、あの子によく頼まれるので貸してます」


 東セクター管理人、レディ・イリデセント。彼女は、その奔放性を体現するかのような装いをしていた。めくられたシャツの袖口には鮮やかな色の縁取りがある。細腕には大きすぎる腕時計。しかし不釣り合いなそれも似合っているように見せる自由な雰囲気が彼女にはあった。


「何か理由があるのか?」

「一応、静かだからって聞いてます。ですがあの子の特性を鑑みれば——」

「ああ。その『静か』は我々の言う静かとはやや違うだろうな」


 フォルカンの超能力には『事象共振』という名称が付けられている。

 ありとあらゆる事象を、自分の理解可能な言語に変換して受け取る超能力である。これは双方向のもので、彼女はあらゆる事象に言語を介した影響を及ぼすことも出来る。


「彼女には外は『うるさい』のか」

「朝の目覚まし時計よりうるさいんすかねえ」

「彼女にこの場を貸すたびに、こうやって見ていなければいけないのは手間じゃないのか?」


 イリデセントは口元に手をもっていってひそひそと話した。


「ここだけの話、仕事をサボるいい口実なんすよ」

「それは上司に言っちゃあダメだと思うんだが」

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