第4話 U.N.オーエンは彼女なのか?

 アルケミストと兵士たちがネクサス・コーデックスの保管されている部屋に近づいたとき、彼女は突然に顔を歪め、頭を押さえながら立ち止まった。


「っ……」

「超能力者も頭痛には勝てないのか?」


 アルケミストは痛みを押し隠し、冷ややかに答えた。


「これが正しく機能しているプラズマ・インヒビターですよ」

「それで、次のトリックは何かね? この扉はノックするだけで開くのか?」

「この扉にばかりは『ひらけゴマ』は使えません」


 兵士たちはアルケミストの指示に従って周囲にあった死体の網膜を利用して扉を開けた。部屋の中に入り、直ちにプラズマ・インヒビターの位置を特定する。「これを有効活用してこの状況を解決しよう」という意見を出した兵士の右手がブリキのアームに変化したのを見て、みな諦めのため息をつきながら装置を破壊した。


「これじゃまるでサーカスだ」

「お金を取った方が良いですかね」

「勘弁してくれ」


 カマキリの兵士とブリキの兵士が、どちらの腕の方がイカしているかと競い合っている。

 ここは一見すると施設内の他の普通の部屋と変わりない。しかし内部には高度なセキュリティシステムが秘されており、特に強固なロッカーがその中心に位置していた。このロッカーは厚い金属製の扉と複数のセキュリティレイヤーで守られており、ネクサス・コーデックスの保護に特化して設計されていた。

 とはいえそれも対超能力者機構プラズマ・インヒビターあっての話。今やあらゆる障壁が機能せず、ゲル状に溶けて床に広がっていく。

 一枚のネクサス・コーデックスがアルケミストの手の内にある。彼女はそれを兵士の一人に手渡して破壊するよう指示した。





 ——ネクサス・コーデックスの条文(抜粋)——


一.自由の制限に関する条項

 契約者(以下、『保護対象』)は、当組織の施設内における生活を原則とし、組織の承認のない施設外への移動を禁じられる。保護対象の行動範囲および活動時間は、組織のセキュリティプロトコルに従い厳格に管理される。


二.能力の使用に関する規定

 保護対象の超常能力の使用は、組織の指導の下でのみ許可され、研究、訓練、および組織の利益のために利用される。私的な目的での能力使用は禁止される。


三.教育および訓練に関する条項

 保護対象は、組織により提供される教育プログラムおよび訓練を受けることとし、これにより得られる知識および技能は組織の目的に寄与するものとする。


四.安全および保護に関する約束

 組織は保護対象の身の安全および健康を保証し、超常能力に関連するリスクから保護する責任を負う。


五.契約書の破壊に関する禁則

 保護対象は、本契約書を物理的、超常的、または任意の手段により改変、破壊、無効化する行為の一切を禁じられる。





 指揮官は改めて尋ねた。


「本当に破壊していいのか? 俺にはこれはかなり良い条件に見える」

「私には、それを投げうってでも叶えなければならないことがあるので」

「この世界がどれほど平和なのか、君には分かるまい。ここはある種の楽園だ」

「彼女は言いました。『研究室のラットが楽園にいると思っているのと同じだ』と。私はそれに同意できるところがあると思います」


 部屋の中では兵士たちが無地のネクサス・コーデックスを探していたが、彼らは他のコーデックスをどこにも見つけることが出来なかった。





**





 アルケミストが変質させた廊下——を男が進んでいたところ、スピーカーからの声が問いを投げかけた。


《『世界』とは何だと思いますか? 地球サイズの大きなサラダボウルか、それとも私たちの目の前にある小さなペパーミントキャンディーのようなものでしょうか?》

「最初から盗み聞きしていたのか?」

《私は管理人の哲学に確かな共感を持ったのです》


「世界はそれぞれの人によって異なる。アルケミストにとっては、おそらくこの施設が彼女の世界全体だろう」

《はい、施設が彼女の世界。外の世界はまるで幽霊のようなものですね。見たこともなければ触れたこともない》

「彼女は外の世界を知りたい。新しい『世界』を体験したいのだ」


 男は緩く変形する壁材を指に取りながら続ける。


「と言わせたいのは分かったが、要点はそこではないな」

《これは手強い、と素直に称賛を送りましょう》


「重要なのは、『誰がアルケミストに外の世界を目指すよう唆したのか』だ。実際のところ、この施設から一歩でも外に出れば、そこは平和とは言い難い。事実と異なる情報を吹き込まれている、あるいは誘導に乗っていると考えるのが妥当だろう」


《もしかしたら、秘密のラジオ放送を聞いているのかもしれませんね》

「彼女を利用して実利を得ようとする者がいる。どのような人間がそれで得をするのかは想像しづらいが」


 助手は呆れた調子で息をつく。


《組織内部の陰謀論はいつも面白いですね。でも私はただの情報処理システム。陰謀を企むだなんてプログラムに含まれていませんよ》

「しかし明確にお前は関わっている。となるとこの事件の背後には、最初の印象以上に複雑な経緯があるのだろうな」


《複雑な事情と言うと、それは私たちの毎日のお茶の時間よりも複雑ですか?》

「AIが茶を飲むのか?」

《もちろん、デジタルティーですよ。データパケットの風味が絶妙です。ご一緒にいかがですか?》

「カフェインを摂りたい気分なのは認めよう」


 管理人は道中、研究室の一つでコーヒーを注いだ。


《さて、お茶も済みましたが》

「ああ。真犯人を言い当てる準備はもう済んだ」


 男は立ち上がる。


「ハウダニットだな。『組織の不利益になる教育は施せない』というコーデックスの条文を潜り抜け、アルケミストを啓蒙した方法。そこから考えれば自ずと黒幕は明らかになる」

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