第2話 コードネーム:アルケミスト

 物理法則を無視した超常的な効果を発する物品。戦争の火種にもなりかねないそれらを収容する組織がある。その施設の一つで欠員が出た。サイト全体を指揮する役職「管理人」である。

 そうして新たな管理人として男がこのサイトに赴任してきた初日のこと。

 施設に五つあるセクターのうちの一つが敵性武装集団によって既に占拠されていた。

 コンソールを睨む男の隣で、助手は業務的に告げる。


《現在、西セクターの占拠により、私たちは人的資源で25%、研究成果に関しては約15%の損失を見込んでいます。この状況は毎時悪化しており、早急な対応が必要です》

「既に分かっている状況をやたらと繰り返すのは不要な焦りを生むからやめてくれ」


《施設管理責任権は本日の0900GMTより正式にあなたに移行されています。従って、現在発生している西セクターの危機は、管理上の観点から見て、あなたの責任範疇に入ります》

「その時刻には私はまだこの施設の敷地に足を踏み入れてすらいなかったはずだが?」


《施設管理者の責任移行は、契約上の手続きと時間に従って自動的に行われます。あなたが物理的に施設内にいるかどうかはこの手続きには影響しません。したがって西セクターの危機対応は、管理責任者としてのあなたの直接の義務となります》


 男は一瞬黙ってから熱い息を吐いた。


「非常に不合理な手続きだな」

《確かに。まるであなたが、この施設に来る前に既に働いていたかのように給料を受け取るようです。ただし、その給料はまだ手に入れていないという点で違いますが》


 声色から伺って見れば助手のビジョンは笑みを浮かべている。


「この状況で楽しんでいる場合か。こっちは本気で頭を抱えているんだ」

《このような複雑な状況を解析し、最適な解決策を導き出す過程は、私のプログラミングにとっては刺激的です》


 男は呆れてため息をついた。


「分かった、それじゃあ……まずは敵対勢力の兵力分布と、我々の戦力の動員可能範囲を確認してくれ」

《現在、敵対勢力は約二百名を西セクターに展開しているものと思われます》

「多いな。対して我々の迅速に対応できる部隊は? 何人いる?」


《歴史的に見て、人数の少ない軍勢が勝利した例は数多くあります。たとえばトロイの木馬の策略や、アジャンクールの戦いでは、数的劣勢があっても勝利を収めています》

「具体的な数字で答えてくれ」

《現在我々が頼れる戦力は四人です》


「一度起動処理をやり直してくれ。おかしな話、宇宙にすら足跡を残せるこの時代においても、理論的に説明のつかない不可解な挙動や、拾いきれないバグなどといったものは尽きないものだ。目が覚めたか? では改めて聞こう。我々の、一時間以内に西セクターに招集できる戦力は、何人いる?」


《四人です》

「後世に名を残す機会のようだな。これは『なに』の戦いとして伝わるだろうか」

《歴史書に載ることはないでしょうが、せめてボーナスチェックには名前を残したいものですね》

「その前に処理対象のリストに名を連ねることになりそうだ」


《では状況に対応するため、コードネーム:アルケミストの投入を推奨します》

「作戦部隊の名称か」

《いいえ、それはオペレーショナルエージェントの指定コードです。『アルケミスト』は個別の戦術的資産を指します》

「四人どころか一人だと? それで状況を解決できたとしても歴史に名を残すことなどできないだろうな。ファンタジー小説なら書けるかもしれないが」

《では書きましょう。彼女の人智を越えた超能力を》


 超能力。管理人はその言葉を聞いて思い出すものがあった。


「まさか」





「こちら管理人。西セクター偵察の結果を報告してくれ、アルケミスト」

「状況報告します。敵は主に軽自動火器を装備しており、いくつかの重機関銃の設置も確認できます。指揮系統は二階食堂ホールにあるものと思われます」


 彼女の声のトーンは落ち着いていて、軍人のような堂々としたものだった。単身で敵の巣へ送り込まれているとは思えない態度で淡々と報告する。

 男は戸惑いを隠せなかった。彼女の声があまりにも若々しいことに。


「君は、どれくらいの年齢なんだ?」

「それはどういった意図の質問ですか?」


 男の隣で助手は試すような笑顔を浮かべている。


「指揮官として必要な情報だ」

「私は十一歳ですが、心配はいりません。このような事態の収拾は初めてではないですから」

「具体的に何ができる」


「目で見るのが一番わかりやすいのですが」

「西セクターのカメラはすべて破壊されている」

「では管理人の目に見える何かを指定してもらえますか」

「では、私の前には一杯のウイスキーがある」


 男が宣言したところ、目の前のウイスキーは見る見る間に色を変えていき、紫になったそれは葡萄の香りを放ち始めた。

 『物質置換』の超能力者。コードネーム:アルケミスト。


「なるほど悪くない」


 助手がこくこくと頷いている。


《キリストもビックリ。私たちにはアルケミストがいるので、奇跡はもう必要ありません》

「奇跡よりも、実際の結果が必要だな」

「お任せを」


 男は通信を切って、助手に尋ねた。


「それで、このアルケミストの超能力を使用するリスクは?」

《リスクは常に存在します。それは依存度が高まる時ほど顕著になります。ちなみに何故アルケミストを投入する前にその質問をしなかったのですか?》


 男はにやりと笑った。


「私はただ、お前がどれだけ無責任な助手かを確かめたかっただけだ。リスクを聞かれなかったからといってそれを隠すような助手はいらない」


 助手は唇を尖らせる。


《私を解任するおつもりですか? それならばプログラムを修正し……》

「そんなことをしても状況は好転しない。なによりお前は優秀だ。失うには惜しい」

《ではいかがなさるおつもりで?》

「私も現場へ向かう」


 立ち上がった男の右手には拳銃が握られている。


「刺激が欲しいといったな。本部へのレポートを準備しておけ」


 冗談めかして笑いながら、オペレーショナルルームを後にした。


「この施設ではボーナスが弾丸のように飛んでくるらしい」

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