神の使いの飼育係
さとり。
プロローグ 其の者
煩悩がなく冬の真夜中。
階段に連なって立つ鳥居に雪が降り積もり、紅と白が月の光によって、暗闇の中で幻想的に映し出される。
しかし、神社の境内には新年にも関わらず人っ子一人の影も見当たらない。
ただ一人、平安時代の様な着物を着ている中性的な外見をした者が、開け放たれた拝殿の中に厳かに座っていた。
「ッ……!」
其の者は何かに気付いた様子で唐突に閉じていた目を見開き、銀世界の境内を見つめた。
そして其れに応えるかの様に一人の幼い外見の女が音もなく現れ、「其の者」に跪いた。
「御上様、新たな巫女を見つけて参りました。今すぐにでも巫女に謁見を許可なさいますか?」
女の目は鳥居の様に紅い吊り目で「其の者」の返答を静かに促す。
「……またか、コカゲよ。私はもう巫女は連れてこんでも良いと言うたはずじゃ。この神社には私と、御前達だけで充分よ」
「そうは言いましても御上様。貴方が御一人で居られては、貴方がこの世からお消えになってしまうのはもはや必然的で御座います。どうか御自身の身を第一にお考え下さい」
そう言われた「其の者」は、
「……もう沢山じゃ。……もう彼奴等の様な犠牲は払いとうない。……もうあの様な笑った顔は見とうないッ……! 私が消えれば、全て解決するのじゃ。だから……」
と膝上の拳と声を震わせて、俯いたまま小さく呟いた。
生暖かい水が揺れて流れ落ちていくのを、女は黙って見つめている。
「貴方は特別な存在。貴方が居なくなれば貴方が守ろうとしている其のたった一人の小娘どころか、この世の全ての人間が消える事は分かっておられる筈ですよね? ……私だって親しくなった人間が死ぬのは胸が張り裂けそうな程辛いです。しかし、それとこれは別。貴方が今のままの御決断を下して全て解決するのは、貴方の傲慢な私情だけで御座います。全ての人間に、そしてこの世界において正当な御決断を、どうか」
女はそう言って首を垂れる。
彼女に付いている猫の耳に、積もっていた雪が下に落ちた。
「其の者」は激昂する。
「私はそれほどの価値があるこの神体をどれだけ憎み、そして捨てようと思ったことか……! 私の気持ちなど、お前には分かるまいっ……!」
しかし女は冷徹に主従関係において主の立場であろう「其の者」に強気の態度をとる。
「ええ分かりません、残念ながら。私は今、心を鬼にしております故、貴方に期待している返答が返って来ない限りは『神の赦し』を発動させ続けるでしょう」
「ッ……!」
「其の者」は初めてたじろいだ。
それは弱みを握られている事を意味するには充分だった事を明確に表している。
「……」
「……」
沈黙が流れる。
遠くで煩悩がなき終わる。
「其の者」は身体に雪が降り積もり、寒いだろうに震えもしない女に呟いた。
「……明日」
「はい?」
「明日。……巫女を連れて来い」
「……承知致しました」
女は若干頬を緩ませながらも仏頂面のままの顔を「其の者」に見せずに、参上したときの様に音もなく一瞬で「其の者」の視界から姿を消した。
静寂は再び訪れた。
そんな暗闇の中、「其の者」は泣く。
嗚咽すらも出ない、「川で水が流れているだけ」というに相応しい本当に自然な姿で。
「其の者」の持つ瞳は、これから起こる事など全て見通せているかの様に、希望を諦め、光を失った。
今宵が満月だった月はいつの間にか、厚い雲に覆われてしまっている。
神の使いの飼育係 さとり。 @gyagyagya
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