第10話

 支度が整うとリアムは備え付けの呼び鈴で湯女を呼び出した。




「お話は伺っております。どうぞこちらへ」




 口止め料を含めて先払いしておいたお陰か、湯女は目を伏せており、詮索する意思がないのを見て取れた。


 老舗の風呂屋を選んで正解だった。

 ここは湯船の提供が主だが、それだけではない。湯女の貸し出しも行っているのだ。もっとも彼女たちはただの女中などではなく、客の垢擦りや酒食のお供など、仕事は多岐にわたる。風呂屋専門の「何でも屋」として機能しているのだ。それは、表立っては言えないような裏の仕事に精通しているとも言える。


 特に老舗であればあるほど、その道の作法を熟知した湯女が多い。彼女たちは客との距離感を絶妙に保ち、不干渉を貫く。その暗黙の了解が、風呂屋の繁盛を支えているのだ。





 ふとそんなことを頭の片隅で考えながら、イヴァンに肩を貸す。


「イヴ様、そろそろ此処を出ましょう。店に話は通してあるので、人目につかずに移動できると思います」




 風呂場に充満していた染料の匂いは随分と薄れていたが、平時でさえ仄白い彼の顔色は、影の落ちた、より不健康な青白さが残ったままだった。

 イヴァンは長身で細身なため、元来の血の巡りが良くないのだろう。健康的な肌色を取り戻すのは少々苦労しそうだった。




「わかりました、行きましょう」




 ふらつくイヴァンを半ば背負うようにして湯女のあとに続く。



 イヴァンの荷物は比較的少ないが、彼の面倒を見ながら、何が入っているのかわからない荷袋を、引きずらないよう注意するのはごめんだったので、湯女に任せることにした。




 前を歩く、表情の見えない湯女から視線を外せば、先の見えない薄闇が続いている。壁の高い位置に備え付けられている小窓からは紫色の空がうかがえた。




(夜が近い。そういえば、あの追手たちは今どこにいるんだろう?)




 エレマから1日かけて下った山中で撒いたが、追われているこちらからしては距離が測れない。

 リアムは何度もあの山を下ったことがある。だから、人目につかない古い坑道跡などがどこにあるかも熟知しているので、そう簡単に追いつかれることはないと思うのだが、楽観視できるほどの確証も持ち合わせてはいなかった。




 と、そんなところで目の前を歩く湯女が立ち止まった。どうやら行き止まりのようだ。これからどうするのかと、湯女を見ていれば、壁の前でかがんで何やらカチャカチャと音を鳴らした。




 鍵の類だったのだろう、




 ガチャリ――





 音がすれば足元の壁に隠されていた小さな扉が開く。




 扉の外は直ぐに屋外で、どうやら風呂屋の離れの敷地らしい。イズラの大通りの明かりが遠目に見て取れた。




「こちらから階段を降りていただいたところにお客様の馬を待機させております。足場が悪くなっておりますので、ご注意くださいませ」



「そうさせてもらいますね。案内してくださり、本当に助かりました」




 リアムは懐から重みのある布袋を取り出す。

 感謝の気持を込めた、追加の口止め料だ。念には念を入れておいたほうがいい。


 そして湯女が恭しく袋を受け取り、中を確認する姿を横目に、イヴァンの様子を伺う。

 表情が随分良くなっている。この様子なら夜の間も距離を稼げそうだ。




「イヴ様、お加減はいかがでしょう?」





「ええ、だいぶ良くなりました。この匂いにも慣れましたし」





 そう言って夕闇と同化した髪を撫でながら、イヴァンはふわりと微笑んだのだった。











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某国の騎士と共に 鍛治原アオキ @kajiwarasan

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