◇10話 誘惑

「マレイ様にそこまで言わせる存在……ふふ、やはり私の見る目は間違っていませんでした。……だからこそ、裏表無く共に茶を飲みたいものです」

「飲めますよ。今度は私が忙しくない時にゆっくりと飲みましょう」

「その時はお腹の調子を整えてくださいよ。折角の機会を調子の一言で潰えさせたくはありません」


 これ以上は自分の身が危ういと察知したか。

 悪いな、それを逃がす程、俺は余裕が無いんだ。もっと言えばここまでの人材を糞王の手で燻らせていたいとも思えない。……俺はヴァーレの茶を何も考えずに楽しく飲みたいんだぞ。


「では、その礼としてヴァーレさんには一つだけスキルを教える事にしましょう。これは先程の測定の際に使用したスキルです。有用性は既に見せている最高の能力ですよ」

「これは……いや、本当に……?」

「偽装……まぁ、魔力操作の応用に近いようなスキルですが所持していて損は無いでしょう」


 本音を言えば何故に所持していなかったのか分からないくらいヴァーレは才能があった。だから、教えようと触れてヴァーレの魔力を操作しただけで簡単に手に入れられた訳だし。


 言ってしまえば本当に運が良かっただけでしかないけど……生徒が多ければ多い程に真価を発揮するんだ。今は素直に喜ぼう。嘘をつきはしたが隠蔽というスキルは本当に限りなく無駄の無い有用なスキルなんだ。


「信頼、と取っていいのですね」

「分かりませんよ。スキルを教えた相手を簡単に殺せる力があるから、かもしれません」

「はは、であれば、それを教えはしないでしょう。ええ、よく分かりましたよ。……貴方は敵に回してはいけない程に頭の回る化け物だ」

「お褒めに預かり光栄です」


 もちろん、俺の言葉に嘘は少しも無い。

 だけど、それに対して警戒ではなく畏怖を向けられるような存在をどうして俺は無視出来る。無理だ、こんなにも手に入れたい存在をどうして無視出来るんだ。やはり、あの時に見た背中に間違いは無かった。


「次は静かに、そうですね、裏表無く腹を割って茶を飲みましょう。他の人ならば拒否したいところですが貴方とであれば私は喜んで飲みたいと思っております」

「……ええ、このような化け物から最上級のお褒めの言葉を頂けるとは……言葉にも出来ない程の感涙の極み。茶程度で喜ばせられるとは思えもしませんが少しは」

「ヴァーレ、私は貴方の給茶の技術と執事としての最上級の誇りを買っています。故に、それ以上の自虐は貴方を買っている私への中傷となりますよ」


 不思議と俺はこの人の自虐が好きじゃない。

 今、口にした言葉も考える前に漏れてしまったものだ。心から現れた本音、だからこそ、建前で作られた今の俺が曲げる気にはならない。ここで考えを変えれば確実に俺は後悔してしまう。


「ふふ、はは……ああ、駄目だ。こんなにも、こんなにも私の心を掻き乱す存在が……!」

「私はヴァーレを求めていますよ。ですが、未来を決めるのは自分自身です。全て、ヴァーレの望みに任せておく事にします」

「……貴方の事は何も話しませぬ。こんなにも仕えたいと心から思えた者を裏切れる程……この心は柔く作られてはおりませぬので」


 初めて見せた心からの笑い声。

 マレイでさえも驚いているようだから本当に珍しいのだろう。いや、彼自身が嘘を言っていない事が分かる手前、葛藤しているんだな。俺につくか、今まで通り王国につくか……まぁ、昔の俺なら確実に後者を取っていたけど。まて、無能な俺が首を切られない保証は無いか。


 だったら、その泥船を強固にしないとな。




「ヴァーレさん、信用していますよ」

「……はは、任せてください。ああ、楽しみだ。私の目に狂いが無かったとは……ふふ、誰も思いはしないでしょう」


 これは……落とせたと考えて良さそうか。

 こんなにも才覚に満ちた二人を仲間に引き入れられてしまうとは……本当に物事というのは分からないものだ。ヴァーレもマレイも、能力を知った今となっては手放したくない最高級な人材としかならない。そんな二人をとは対象的な王は昔の俺のように大した才能も無かったのだろう。


「ヴァーレさん、いつでも」

「その続きは不敬となります。ですので、今は私の言葉を真意と捉えてください。……ますます私は貴方に茶を注ぎたくなりました」

「はは、楽しみにしていますよ」


 別に仲間になってくれとは言わない。

 ただ遠回しに誘おうと思っただけだ。でも、俺が何と言いたかったかは悟られていたみたいだな。俺の思い違いであったり、考え過ぎな可能性も少なくない。だけど、その言葉を真意と捉えるのならば意味は……。


 静かに礼を行い、部屋を出ていくヴァーレ。

 これ以上の長居をしないというのは一種の信用かね。これから先に起こるであろう事柄に対して下手に知りえないように、それこそ、報告の時に出来る限り嘘が混じらないようにするため、の可能性もあるか。


「貴方……本当に化け物なのね……」

「それはどういう意味ですか」

「あの忠誠心の塊のようなヴァーレを惑わせるなんて普通では無いのよ。知らないでやっていたの?」


 普通では無い……いや、それだけは違う。

 ヴァーレの性格上、信頼されている事を何よりも大切に考えている。そして言動からして多少の不満があるようにも見えた。嫌味たらしく王城の広さを口にした時も咎める意味を少しも込めなかったんだ。


 安定、安寧……そこを理解して動いている。

 だからこそ、そういう人間というのは扱いやすく心を動かしやすい。王国に仕えるのと同程度以上の安定安寧を翳せば揺さぶれるからな。……もちろん、話していて嫌いになれない性格だから揺さぶっているわけだけど。


「俺は普通の人ですよ。俺の師匠が言っていました。人は自分を特別な存在だと思い込んだ時から慢心が始まる、と」

「……そう、貴方の師匠も相当な化け物なのね」

「はい、この世界で表すのならば……そうですね、剣聖に当たるような人ですから」

「何よ、本当に化け物の弟子じゃない」


 俺が弟子というか、構っていたというか。

 まぁ、別に嫌っていたわけでは無いから関係性としては続いていたけどな。それでも何度も何度も木刀で殴って来た事に関しては許す気も無いし、打ち合いで少しも手加減してくれなかった事は本気でムカついている。


 それに剣聖だって剣に生きる人が数少なかったから表現の一環として口にしただけ。腕前とかはさておき、別に人並外れた能力があった訳ではない。まぁ、ジジイの癖に新卒一年目の俺との腕相撲で圧勝しやがったけど。ただ、それ以上の化け物に似たエピソードは持ち合わせてはいない。


「その人の考えが残っているという事は……大切な人だったの」

「どこまでいっても師匠は師匠ですよ。ただ暗闇の中で這いずり回っていた俺が……前を向くキッカケはくれましたけど。本音を言えば……」

「本音を言えば?」

「……いや、やめましょう。自分語りは好きじゃないんです。それに面白くも無い話を平然と出来るほど心が出来てはいません」


 まただ、本当に俺はつまらない男だよ。

 少しでも仲良くなれば、いや、仲良くなりたいと思うからこそ、自分の事を知ってもらおうと先走ってしまう。その話が面白く思わせられるかどうかを抜きに口が先に動いてしまうんだ。


「詳しい事は俺がマレイを知ってからにしますよ」

「ふーん……何だか誤魔化されている気がしてならないわ」

「はい、誤魔化しているので。まぁ、協力関係を築いた今、そう簡単に崩れるものでは無いでしょう」


 雑な返答、久しぶりにした気がする。

 教師として生きていく手前、言葉の扱い方には最善の注意を払っていた。軽口一つでも生徒の心を抉るかもしれないと、笑い話に変えられそうな言葉すらも飲み込んできたんだ。……本当ならば王族相手に軽口の方が不敬極まりないはずなのに。


「与太話はここまでにしましょう。どうせ、俺の過去を聞いて勉強しない口実を作っているのでしょう。そういう事は俺の目が青いうちは許しませんよ」

「ちっ……バレていたかしら」

「ええ……でも、そのうち話しますよ。今はただ気分がのらないだけですから。王国に関しては少しも信用していませんが、マレイに関しては多少は信用しています」


 これ以上は……話したくない。

 だって、考えて直してみれば今の俺が口にした発言って変な意味で取られてもおかしくないものだからな。マレイだけは信用していますとか、どの口が言っているんだよ。和奈にバレたら何と言われるか分かったものじゃない。


『へー、生徒に手を出すんだ』


 おう……本当に怖すぎる。

 一先ず、記入が終わった答案用紙を手に取って適当に目を通した。一瞬だけ見えたマレイの頬が赤く染まっていたのはきっと気のせいだろう。

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勇者召喚された無能教師、隣にいた生徒が本物の勇者だったせいで追放されてしまったので異世界で勇者以上の生徒【悪役】を育てたいと思います 張田ハリル@ただのアル中 @huury

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