5-13 ニーテストのお引越し


 5月5日。

 ゴールデンウイークも最終日と言われているその日、東京のキララギ駅に降り立った女が一人。

 美人だが目つきが悪い女・新都算座。またの名をニーテスト。


 ニーテストはロータリーに停まる見覚えのある軽自動車へ向けて歩き出した。

 車内の人物に手で軽く挨拶し、ドアを開ける。


「久しぶりだな」


「あっちではよく会ってるけどね」


「桔梗も元気そうだな」


「はい。新都さんも」


 車内にいるサバイバーとキキョウに挨拶すると、車は走り出す。


 ニーテストは助手席に座るキキョウの頭を見つつ、考える。

 一緒に桔梗が来る意味はあまりないのだが、やっぱり婚約者が他の女と2人で車に乗るのは嫌なのかな、と。突っつく必要もないので、別の話題を切り出した。


「沙織の引っ越しは無事に終わったか?」


「ああ、問題なく。すっかり爺さんたちのアイドルだよ」


 猫田沙織もといネコ太は、このゴールデンウイーク中に八鳥村へ引っ越しを終えていた。引っ越し費用は全て里から出るというVIP待遇。


「君の方はどうなんだい?」


「ああ、こっちも問題ない。あとはトラックが山道で崖から落ちないように祈るだけだ」


「あー、たまにいるよ。落ちる人」


「マジで?」


「ははっ、冗談だよ。俺が生まれてから1回しか見たことないね」


 ニーテストも都会の高層マンションの1室を引き払い、本日、引っ越しであった。決して都落ちではない。


「それで、人は集まりそうか?」


「招待した人は全員来るようだよ。昨日の内から来ている人もいるね」


「凄いな。いうても生まれ故郷ってだけだろ? 眠り猫が目を覚ます時が来たってやつか?」


「はははっ、その通りだよ。あれを言われて里に帰ってこないのなら、それはもうネコ忍ではなく一般人だ。見込みはない」


 本日、八鳥村にはミニャのオモチャ箱に必要な重要人物が数名招待されていた。全員が里から町へと出て行ったネコ忍たちだ。


「じゃあ信頼性は大丈夫なんだな? 町に出て悪党になってましたじゃ話にならないぞ」


「それは大丈夫。全員、あらかじめチケットで調べてきた」


「こっわー」


 賢者になるための招待チケットは、適正者かどうか判別する機能がある。

 これは人物鑑定ができる火属性や冥府の鎖が見える光や闇属性の賢者たちが検証して、信頼性が高いことが判明している。ただ、善悪は分かるが調子に乗ってしまうような性格まではわからないので、手綱はしっかりと握らなければならないだろうが。


「新都、報告しておく」


「ん?」


「桔梗と入籍した」


「あっそう。おめでとう。桔梗もおめでとう」


「ありがとうございます、新都さん」


 これから若い女が里に来るようになるし、そこら辺をはっきりさせたのかなと、ニーテストは考えた。


「式は?」


「いろいろ忙しいからしばらくは無理だろうね」


「ふーん。お前ら、顔バレは嫌か?」


「他の賢者にってこと?」


「ああ。もし顔バレしてもいいなら、お前らの人形を作ってもらって、女神像の前で神前結婚でもすれば?」


「刺されない?」


「桔梗は美人だし、お前はファンがいるからな。あるいは」


「でも、ミニャちゃんに祝福してもらうのは良いかもなぁ」


 サバイバーがその光景を想像し、桔梗がコクコクと頷く。


「しかし、下手な前例は作れない。みんながミニャンジャ村で結婚式を挙げたいとか言い始めたら面倒だ。だから、やるのなら女神の月にしたい。それなら続く人が出たとしても、女神の月に合同結婚式という形を取れる」


 女神の月は、7月と8月、12月と1月の間にある数日だけの特別な月だ。


「なるほど、それは尤もだね。よく考えるね、君も」


「私が考え無しにやるわけにはいかんだろ。まあ、やるのなら早めに言ってくれ。女神の月は2週間後だし、衣装なんかの用意だって必要だろう」


「2人で考えてみるよ。ありがとう」


「ありがとうございます」


「なぁに、そういうイベントもミニャには必要だろうからな」




 ニーテストは一軒の家の前に到着した。

 それは村の人たちが管理していた空き家で、今日からニーテストの家となるのだ。


 田舎にありがちな大きな和風建築で、庭も広い。

 この家をニーテストは破格の金額で譲ってもらっていた。


 すると、すぐに玄関からネコ太が出てきた。


「よっす!」


「久しぶりだな、沙織。家の調子はどうだ?」


「1人じゃ広すぎるわよ。2人でも広いかも。もう2人くらいは住めるね」


 ニーテストの家だが、ネコ太の家でもあった。ルームシェアをするのだ。

 ニーテストが破格の金額で買えたのは、村の人たちを魔法で治療して回ったネコ太のおかげとも言える。


「ネット環境は?」


「ロッコウさんたちが全部してくれたわ。前の私の家より快適なんだから」


 この村には電気周りの世話をしてくれる爺ちゃんが3人いるのだ。


 しばらくすると引っ越し業者がやってきて、指定した部屋に家具を運んでもらった。崖から落ちずに無事に到着したようだ。


 午前中で引っ越しは終わり、業者を見送るとお昼ご飯を食べる。


 その席には数人のネコ忍も同席した。

 元凄腕の警官コウゲン、大企業に勤めていたカザマ、ネット屋のロッコウだ。


 桔梗が作ってくれた引っ越しそばを食べつつ、コウゲンが言う。


「里のもんのショップ解放率は現在16人だ。1週間以内には全員が解放されるだろう」


 ニーテストはソバをアチアチもぐもぐしながら、頷いた。


「そうすると、そろそろ隠密任務を始めるのか?」


 コウゲンは随分と歳上だが、ニーテストは敬語を使わない。


「いや、まだだな。境界超越で身体能力を復活させる必要がある。5月いっぱいはそんな調子だろう。とはいえ、現状でも調査できたことは多い。カザマ」


 言われたカザマはウインドウ機能を開いた。


「便利なものだ。万が一公安に踏み込み調査をされても、ウインドウにメモしておけばグレーな機密文章はほとんど残らない」


 ウインドウのツールには、自分だけのメモ機能が搭載されている。パトラシアでは賢者全員が強制的に生放送の状態なのでメモの内容が映ってしまうが、日本で使う分にはそういう心配はほとんどない。


 そのメモをニーテストとネコ太のウインドウに転送する。

 ネコ忍たちはウインドウをめっちゃ使いこなしていた。


「病に困っている富豪の多いこと多いこと。このリストの中なら誰であっても、比較的安全に多額の寄付をしてくれるだろう」


 そのリストには人名がずらりと並び、その横に肩書と病状が。

 人名を押せば、さらに、住所やスマホのアドレスはもちろんのこと、家族構成から主治医の情報、友人関係や政治への関わりまで細かく載っていた。


「ここに書かれている病状だが、健康鑑定で調べたものではない。調査段階では女神様ショップが解放されている者はいなかったからな。実際にはもっと酷い状態かもしれない」


「な、なるほど。どうやって調べたかは怖くて聞けないな」


 ニーテストはコイツらヤバいなと冷や汗を掻いた。

 ネコ忍が賢者になってまだ十数日だ。2、3日は状況把握で動けなかっただろうし、グルコサ襲撃事件もあったので、おそらく1週間やそこらでこれだけ調べたことになる。


 サバイバーや桔梗を含めたネコ忍たちは、驚くニーテストとネコ太を見て愉快そうに笑う。


「この中だと誰がいいんだ?」


「八菱グループの会長だな。彼なら私がアポを取ればすぐに会うことができる。性格も義理堅いし、パトラシアで手に入れた鉱石を売るルートの開拓も期待できるだろう」


「なるほど」


 真面目に働いて定年を迎えたネコ忍たちの伝手は、ニートな賢者たちでは持っていない素晴らしいものだった。これはインドアなトレーダーだったニーテストも同様である。


「ひとまずは彼を足掛かりにして、金持ちとコンタクトを取り始めるのが良いだろう。私からは以上だ」


 ニーテストとネコ太はソバをモグモグしながら、名簿を眺めた。報告を終えたコウゲンやカザマもズゾゾゾッ。


「では、次に俺が報告しようか」


 替わってロッコウが言う。


「動画サイトが完成した」


「早いな」


「賢者の中にはプログラミングに長けた者も多いようだからね」


 ロッコウは他の賢者たちと共に、動画サイトの作成をしてくれていた。


「あとはニコチューブの公式アカウントも作成したから、いつでも動画を投稿し始められる」


「わかった。とりあえず、運用開始日は今日の会合を終えてから考えるとしよう」


「うん、それがいいだろうね。それと、もうひとつ。これは定例会議で報告するべきか迷ったんだが、雷属性に新たな鑑定魔法を発見した」


「わざわざここで話すということは、危険な魔法ということか」


「ああ。雷属性の鑑定魔法は電子情報鑑定だ」


「……チートな響きだなぁ」


「ネット上への書き込みにこの魔法をかけると、書き込んだ人間の本名と性別、年齢、書き込んだ瞬間の所在地、そして、我らが主に対するヘイト値と、ミニャのオモチャ箱全体に対する危険度を知ることができる。今は誰を見てもヘイト値や危険度はゼロだ。おそらくこちらのことを認識してからこの値は変わるのだと思う」


「書き込んだ人間の、とはどういう意味だ。ハンドルネームから情報を暴くわけじゃないのか?」


「少し違うね。あくまでも書き込んだ文章に対して鑑定を行なう。ほら、SNSだと企業が運営しているアカウントもあるだろう? そういった場合には、書き込み毎に別の人間の名前が確認できたわけさ」


「なるほど。アイドルのアカウントでマネージャーが良い感じのことを書くみたいな話か」


「そうそう。ちなみに、この魔法は賢者の書き込みには適用されなかった」


「そうか……うーん、みんなに教えるべきだと思うか? かなり危険な魔法だと思うが」


「危険な魔法だが、我々には強力な武器になる。教えるかどうかは、俺は教えるべきだと思うよ。この魔法に気づいた賢者がこっそりとSNS上で悪戯を始めでもしたら、それが巡り巡って賢者全体への信頼性を揺るがすことに繋がりかねない。今のうちに告知し、しっかりと手綱を握っておくべきだろう」


「お調子者もいるからなー。匿名掲示板に乗り込んで、悪戯を始めるヤツが現れるのは想像に易いか。了解した。この件は掟機能で縛ろう」


「それがいいだろうね。俺の方からは以上だ」


 ミニャのオモチャ箱には『掟』という機能がある。

 いまのところ使われていないが、この件で使うことに決めた。


「じゃあ私からも報告を」


 ネコ太が控えめに手を上げた。


「グルコサでの調査か。どうだった?」


 ネコ太たち回復属性の賢者は、ミニャンジャ村の保険医の他に、いくつかの仕事があった。


 ひとつは、日本の町を歩き、道行く人を健康鑑定して、自分たちが治せる病を調べること。

 健康鑑定は相手の名前がわからないと発動しないため、活動は人物鑑定ができる火属性とセットだ。


 もうひとつが、異世界人がどんな病気をし、それが治せるか調査することである。

 グルコサの兵士に連れられて見学したのだが、ネコ太も2回調査に参加した。


「とても興味深いことがわかったわよ」


 ネコ太はニヤリと笑った。


「勿体ぶるじゃないか」


「みんな凄いんだから勿体ぶらせてよ」


 ネコ太が褒めると、爺さんたちはテレテレした。ニーテストはうわぁと思った。


「それで?」


「それがね、不思議なことにグルコサの人の中に癌患者が一人も見つからなかったの」


「なんだって?」


「あと他の病気をしている人も全体的に少なかったわね。いないわけではないけど」


 その言葉に、ニーテストたちは顔を見合わせた。


「癌患者がいないって凄いな。遺伝的な理由か?」


「さあ、1人もいないから逆に何が原因なのか分からないわ。グルコサの治癒術士が治しているって様子でもなかったし」


「そうか。ふーむ」


「でね、クラトスや竜胆に知恵を借りたんだけど、遺伝ではなく女神の森の薬草が原因なんじゃないかって意見を貰ったわ。というのも、領主館の書庫にある本に、面白い記述があったみたいなのよ」


 麦茶で舌を湿らせるネコ太は、いつもの明るい顔ではなく真面目な表情で語った。


「なんでも、女神の森に隣接する領土は、『女神の恵み』を採取して流通に乗せなければならないんだって」


「へえ、塩みたいに生きるために欠かせない物なのかな?」


「クラトスたちもそんなふうに考えてたわ」


「女神の恵みっていうと、ポーションの材料になるってヤツだよな?」


 女神の恵みは、女神の森ならどこにでも生えている薬草である。

 女神の恵みで作られたポーションは、研究のためにミニャンジャ村にも数本置いてあった。賢者たちがいるので、ミニャたちの回復目的で買ったわけではない。


「旬を過ぎて育ちすぎるとポーションの材料にならないって、ザインがスノーに言っていた記憶があるが」


 それをきっかけにして、スノーは焦ったわけだが。


「うん、言ってたわね。でも、冒険者の市場を見ると、女神の恵みは普通に売っているのよ。たしかに私たちがミニャちゃんと出会った頃よりもずっと育っていたけど、それを町の人はこぞって買っていたわ。購入者層は主婦ね」


 ネコ太の説明を聞いて、サバイバーが口を開いた。


「おそらく、ザインがスノーに言った説明は、夏の森が危険だから方便として使われたんじゃないかな? ザインはお浸しにして食べると言っていたし、実際には売り物になったんじゃないかな」


「それはあるかもしれないな。それで、沙織は女神の恵みが癌の特効薬になると考えているのか?」


「特効薬というよりも予防薬ね。女神の恵みは他にも破傷風を予防する効果があるとザインさんは言っていたわ。とにかく、女神の恵みは一番に調査してもらうと良いかも」


 これから八鳥村には外に出たネコ忍がやってくる。

 その中には、カスミ製薬という有名な製薬会社の創立者の孫がやってくる予定だった。孫といっても、60歳近い人物のようだが。

 女神の恵みなどの薬草の調査は、会合が無事に終わったなら、このカスミ製薬に頼みたいと考えていた。


「予防薬か。すでに発症している癌は回復属性で治せたんだよな?」


「ええ、肺癌と食道癌は治せたわ。しかも比較的簡単に」


 八鳥村の人は高齢なこともあって、癌患者もいた。

 その治療ができたことを、ニーテストも事前に報告で聞いていた。


「簡単にか……。癌について人並みにしか知らないんだが、癌が治ればそれで終わりというわけではないだろう?」


「合併症ね。これらはひとつひとつを治さないとダメ。癌より合併症の方が難易度が高いものが多い印象ね。合併症を治さないと意味がない場合も多いから、癌の治療自体は容易だけど、完治に至るまでには魔力を大量に消費することになるわね」


「なるほど」


「今回の任務でいろいろと見てきて、回復魔法のルールがだんだん把握できてきたわ」


 みんなが興味深そうにネコ太の話に耳を傾けた。


「アレルギーみたいな体質的なものは数日かかるし、高難易度の魔法になるみたいね。逆に手術をすることで摘出できるような病気は短時間で治療できて、比較的難易度の低い魔法になるようね。魂魄性の病気は症例が少ないから何とも言えないわ。でも、消費魔力と難易度は比例しないわね。回復魔法の消費魔力は治す病に対する理解度で変わるみたい」


「なるほど」


 サバイバーが口を開いた。


「素人考えでアレだけど。回復属性は傷を治せる。それは臓器を破壊されたエルト君すらも蘇生するほどに。となると、究極的には、腹を裂いて病巣を摘出して傷を魔法で治療するという乱暴な手術が成り立つと思うんだよ。もちろん、麻酔や輸血とかは必要だろうけどね。回復属性のルールというのはそういうところから来ているんじゃないかな」


 サバイバーの意見に、ネコ太も頷いた。


「私もそう思うわ。地球人にとって難病でも、回復魔法を使うと簡単に治る病気は結構あると思うわ」


「逆にさ、治せない病気はあったのか?」


「あるわよ。異世界だと多いわね。魂魄性の病の中に治せないものをいくつか見つけたわ。日本だと糖尿病と血液の病気はレベル2だと根治は無理ね。現状維持か少しだけ快方に向かわせることしかできないわ」


「糖尿病は治せないのか」


「いまのところはね。あー、そうそう、異世界人は糖尿病もいなかったわ。まああっちの人は健康的な生活をしているから、これについては特別な理由はないかもね。私からは以上です」


 パチパチパチと爺さんたちが拍手した。

 これにはニーテストもえぇーである。本当に里の人に可愛がられている様子であった。


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