3-8 スカウト1
後藤八太郎は元大学教授である。
民俗建築学、それを研究テーマとしてきた。
世界中の建築物を習慣や風習といった民俗的な角度から研究しており、それをテーマに教鞭を振るっていたが、この春に定年を迎えて大学を後にした。
サラリーマンは定年退職すると燃え尽きてしまう場合もあるというが、元大学教授の八太郎にはそんな暇はない。
大学でなければ研究ができないなどという学者はいない。学生への教育をしなくて良くなった分、むしろ八太郎は精力的に活動をしていた。
桜の花が散り、世の中がゴールデンウイークの話題に沸き始めたある日のこと。
明日の午前中に相談があるから家を訪れたいと孫娘から連絡がきた。
ジィジはワクテカした。
その日のうちに銀行で3万円を下ろし、出前寿司で特上の配達を予約して準備万端!
しかし、いったい相談とはなんだろうか。
孫娘は高校生。そろそろ進路を気にし始める頃合いだ。
どぉれ、元大学教授の辣腕を振るっちゃおうかなと、八太郎はワクワクした。
翌日、土曜日。
8時にピンポーンと呼び鈴が鳴った。
予想よりも早い訪問に驚きつつも、飼い主の帰宅に喜ぶ犬の如くすぐに腰を上げたジィジだが、そこでふと考える。
ここですぐに出たらいかにも楽しみにしていたようではないか。よし、研究に没頭して1回目は気づかなかったことにしよう。
八太郎はグッと我慢して、孫娘を焦らした。小賢しい。
2回目の呼び鈴を聞いてから八太郎は玄関に向かった。
「おう、花奈(かな)。よくきたね」
「お爺ちゃん、急にごめんね」
孫娘の花奈はそう言って花のように笑った。
これには小賢しいジィジの頬も緩むというもの。
花奈が仏壇の祖母に手を合わせているうちに、お茶を淹れてスタンバイ。手を合わせる時間は長く、故人を大切にする娘に育ったことに八太郎は嬉しく思った。
「お昼にはお寿司を注文したからゆっくりしていきなさい」
「わぁ、ありがとう!」
これでお昼まで一緒に居られることが確定した。世の中のジィジが出前寿司を取るのは高度な戦略なのである。
「それで今日は突然どうしたんだい?」
リビングのソファに腰かけた花奈に問う。
すると花奈は神妙な顔で口を開いた。
「お爺ちゃん、これから話すことは私とお爺ちゃんだけの秘密にして、誰にも話さないでほしいの。お母さんやお父さんにも」
「ふむ……」
相談相手に両親ではなくジィジを選んでくれたことに八太郎は嬉しく思った。
若者の進路相談は何度も受けてきた。建築関連ではない全く別の道を進む者もいたし、民俗学に魅了されて建築の分野から離れた者もいた。時には家業を継がなくてはならないと寂しそうに去っていく大学院生もいたものだ。
ああ、そうか。
自分が若者たちの悩みを聞いてきたのは全てこの日のためだったのだ。
孫娘というお姫様の相談を前にして、八太郎は理解した。
まあ、もしもシンプルにお小遣いが欲しいという話であっても別にいい。3万円用意してある。
ジィジに死角なし。さあ、どんとこい!
「お爺ちゃん、驚かないでね。私ね、異世界に行けるようになったの」
ないと思われた八太郎の死角から抉り込むような相談がぶっ飛んできた。
「ふ、ふむ……」
つい1分前に感慨からの「ふむ」が出たが、今回は困惑の「ふむ」が出た。
今年定年退職をした八太郎は、ファンタジーに対してある程度造詣があった。
日本ではかまど神や座敷童、欧州ではシルキーやコボルトなど、世界中の古民家には、神や妖怪、妖精といった迷信にまつわる痕跡が見られるからだ。その地方の人々がこれらに向けた想いを無視しては、建築学の頭に『民俗』とはつけることができない。
そういった存在が過去から現在にかけてどのような変遷を辿ったかも調べ、結果としてファンタジーにある程度詳しくなったのだ。
異世界に憧れる少年少女の心も理解していた。
異世界に迷い込む物語は現代でとても流行っているが、大昔からあったジャンルであり、今も昔も思春期の子供たちを魅了してきた。
だが、まさか自分の孫娘がここまで空想屋さんだとは思わなかった。
もしかしたら、小さい頃に聞かせた家にまつわる妖精や妖怪たちの話が悪かったのだろうか。
どうやって答えようか考えていると、花奈は「信じてないなぁ」という心の声を隠さずに苦笑いした。
「お爺ちゃん。これ、すぐ外に咲いていたタンポポと猫じゃらしを摘んできたの」
花奈はそう言ってティッシュの上にタンポポと猫じゃらしを乗せた。
黄色い花をつけたタンポポと猫じゃらしが茎から摘まれている。
「異世界に行くとね、魔法の力を得られるんだ。私が貰ったのは植物を操る魔法」
花奈はそう言うと、猫じゃらしの茎の端に人差し指を触れた。
するとどうだろう。猫じゃらしはひとりでに動き出し、茎の真ん中でくるんとコブ結びになった。
同じくタンポポも茎を抓むと、太陽のように開いた花弁がゆっくりと閉じたり開いたりする。
八太郎が眉間にしわを寄せて、その現象をよく観察する。
手品だと考えているが、全くタネがわからない。
「お爺ちゃん、好きな植物を持ってきていいよ。ただ、根っこがあると動かしにくいかな。あー、これでもたぶんいいかも」
花奈はテーブルのペン立てに差してあった割り箸を取った。コンビニで貰った物で、使用せずに適当に置いておいたものだ。
花奈はやはり指先を端に置いた。すると、割り箸はひとりでに割れ、そうかと思えば人差し指に接触している片方に雑巾を絞るような捻りが加わった。もう片方の箸に指を置くと、今度はL字型に曲がる。
「え、えぇ? えぇえええ?」
驚愕するジィジ。
孫娘が魔女になっちゃった件。
「お爺ちゃん、私の話を聞いてくれる?」
「え、あ、ああ」
八太郎は驚きから立ち直り、頷く。
「じ、実に興味深い。聞こうか」
花奈から語られたのは、ネコミミ少女から始まった300人の賢者たちの物語。
ある程度の説明が終わると、花奈は言った。
「私たちは仲間を集めているんだ。信頼におけて、ミニャちゃんの役に立つ人を」
「それは……花奈を通じて私が家作りのアドバイスをするということかい?」
「ううん。お爺ちゃんも賢者になってミニャちゃんの村を作る手伝いをしてほしいんだ」
「ふぇええ、私も行けるのか!?」
「うん。お爺ちゃんも忙しいと思うけど」
「いや、行けるものならぜひ行きたい。どうすればいいんだ?」
「ちょっと待ってね」
花奈が空中に手を這わせると、手元に光が生まれ、その光が一枚のチケットに姿を変えた。
八太郎は息を呑み、それをやった花奈もまた嬉しそう。
花奈は裏面に書かれた説明をサッと読んでから言う。
「我、後藤八太郎を新たな賢者として推薦する」
その言葉を言い終わると、チケットに文字が浮かび上がった。
「やっぱりお爺ちゃんは大丈夫だった。悪い人だと、この文字は現れないんだって」
孫娘が事後報告で恐ろしいことを言う。
孫に対する優しさをベースに考えているのなら、それは純粋が過ぎる。会社で部下を虐め抜いてきた男だって、身内には激甘なことはよくある。特に孫になるとそれは顕著だ。可愛いもの。身内への優しさはその人物の善悪のバロメーターにはなりえないのだ。
孫娘に失望されずにホッとする八太郎は、こうして新たな賢者として異世界の扉を開いた。
鈴木七星たちが新たに賢者となったのは前日の0時少し過ぎ。
これによって召喚チケットの詳細が判明し、ここからスカウト活動は本格的に動き出した。
特に重要なのは『我、○○を新たな賢者として推薦する』というワードを唱えることで、システムがその人物の善性と悪性を判断してくれるという点。これで予め賢者にふさわしいか調査しておけば、勧誘はずっとスムーズにいくわけだ。花奈はそれを行なわなかったわけだが。
ちなみに、この時に唱える名前は雅号でも大丈夫なのはすでに判明していた。5年付き合いのあるネット友達を招待した賢者がおり、その人物のネットネームで試したのだ。
その翌日である土曜の午前中に、八太郎もまた重要人物としてスカウトを受けた。
そして1時間後、初召喚から帰還し、感動や充実感が綯交ぜになったジィジが爆誕していた。
「……夢でない」
八太郎は花奈の周りに浮かんでいるウインドウを見て、現実であることを理解した。
「どうだった?」
「最高の時間だった。それよりもあれはなんだ? どうして竪穴式住居にしている?」
八太郎は若干お尻を浮かせて尋ねた。
「いろいろ理由があるかな。賢者が小さいこと、まだ先輩の賢者たちも3週間くらいしか活動できていないこと、賢者が穴を掘るのが得意なこと、そんな感じかな」
「ふむ。ゼロから始めているというのはこういうことか。知識以外はまさにゼロだな。それで私に求められているのはどういうことなんだい?」
「村作りのアドバイスかな。住居とか、水路とか。ここの図鑑を開いてみて」
孫娘に教わりながら、パソコンで『図鑑』を開く。
そこには多くの項目があった。
「元々はなにもない図鑑だったんだけど、みんなで作ったの。私は植物の鑑定ができるから植物図鑑をよく作ってるよ。これとか私が作ったヤツ」
「コルンの木。ふむ、天井に使っていた木か」
「うん。他にも樹皮から布が作れるの」
「ほほう。樹皮布を知っている者がいるのか、よく勉強をしているな。世界中で広く作られていたが、現代では大半が姿を消したものだ。なるほど、そういうことか。賢者は小さいがゆえに物を集めるのが苦手だから、1本から大量に繊維が採れる樹皮に目をつけたのか」
「そうそう! そういう感じのお話をみんなとしてくれたら、色々な発想が生まれると思うの」
「なるほど」
「まあこれは置いておいて。お爺ちゃんにはまず、現地に行ったり、生放送を見たり、この図鑑を見たりして、賢者たちが何をできるのか知ってほしいの。あと、森でどんな資材を採れるのかとかも」
「なるほど、それらを知らなければアドバイスのしようがないからな。では質問なんだが、この地方の年間の気候は?」
「20kmくらい離れた下流地域の話になるけど、エルフのレネイアちゃんの話を総合すると日本の東海地方に近い気候みたい」
「エルフがいることに驚きだが、いや、賢者たちの主がそもそもネコの耳がついた少女だったということだったな」
ミニャの話になり、花奈は嬉しそうに微笑んだ。
「あとは資料としてこれが最近手に入ったんだ。近くにある湖の地図。地図が手に入った理由もこの報告書にあるから」
「児童救出作戦? ふむ……人攫いを撃退したわけか。危ないこともあるのだな。花奈は危険なことなどに巻き込まれていないかい?」
図鑑にある『まとめ』から概要を読み、八太郎は心配する。
「大丈夫だよ。戦いには参加しないし。でもね、私なんて小さなカヌーで下流にある森の入り口まで行ったんだから!」
厳密には人を発見したくらいで終わったが、それでも本人には大冒険だった。
「ほう、大冒険じゃないか! じゃあ少し体が丈夫になったか?」
「うん。異世界で活動してから凄く調子が良いの!」
花奈は体が弱くよく貧血を起こしたり風邪をひいたりしていたが、今日会ったら血色はとても良く、見るからに元気いっぱいだった。
それを我がことのように喜びつつ、八太郎は地図を開いた。
「ほほう! これは羊皮紙か?」
「実物は手に入れられなかったけど、賢者は常に生放送の状態だから、記録には便利なんだ」
「私が先ほどいた場所はどこなんだい?」
「ここ。グルコサが南の町の名前だから、崖の形から推察してこの小さな地域。でも、お爺ちゃんが研修を受けていた場所はちょっと西側。みんなが拠点を作っているのは研修をした場所よりももう少し湖に近い場所だね」
羊皮紙は中世期のような形式の地図で、町などはマークで記載されていた。
ミニャのいる地域は、地図上で見るとグルコサの町のマークに隠れてしまうほど小さかった。逆に、マークが大きすぎるとも言える。
「ここ? となるとこの湖はとんでもない広さではないのか?」
「そういうことになるね。異世界の地図の精度はわからないけど、少なくともこの崖からこっちの岸は見えなかったよ」
湖は東西に長く、北に一部延びた形をしている。その北の小さな一地域がミニャのいる拠点である。
拠点近くの崖のさらに東側には対岸となる場所が地図上に描かれていた。異世界が地球と同じ大きさなら、30mの崖からならば約20km先まで見えるはずだが、対岸は目視できなかった。
地図の縮尺を信じるのなら、拠点の近くにある湖の大きさはカスピ海を超える。具体的に言えば、東西は最大で2000km、南北は最大で1200kmほどか。
地図上、湖の北側にはひたすら森のマークが広がっており、ほとんど人里のマークはなく、逆に南側には人里のマークは多く、森のマークは一切ない。
これはあくまで湖の地図なので港や岩礁の位置が重要で、森は基本的に描かないのだろう。それでも森のマークが北側にあるのは、それが畏怖の対象である女神の森だからだと賢者たちは考察していた。
「なるほど。なんにせよ現地で活動しないことには始まらんな」
八太郎はフィールドワークによく赴くタイプの学者だった。
「もう一度行きたいのだが、クエストを受ければいいんだったね?」
研修でそんな説明もされているので、新米賢者は次にやることに迷わなくて済むようになっていた。
試しに押してみると、ニーテストたちが作ったクエストがずらりと並んでいた。ほとんどのクエストがまだ始まっておらず、受付段階である。人数制限があり、それがいっぱいになったクエストは灰色に変わっている。
その中には拠点製作というクエストもあり、人数制限もかなり多い。八太郎は子供のように目を輝かせた。めっちゃ参加したい。
「うん、基本的にはそうなんだけど、お爺ちゃんは助言者枠で見学ツアーが用意されているよ。私と一緒に召喚されて、いろいろ見て回れるんだ」
「この拠点製作にはまだ参加できんのか?」
「とりあえず、見学ツアーを受けてもらってからかな。その後は好きにクエストを受けていいと思うよ」
「ほほう。ではさっそく行こうじゃないか!」
八太郎はワクテカしながら言うが、花奈は冷静だった。
「お寿司を頼んでいるんだよね? 何時に来るの?」
「え、寿司? あ、そうか……えーっと、12時だ」
「12時なら、2時間見学して戻ってくるようかな」
「本来ならもっと活動できるのか?」
「今だと、最大で10時間くらいかな。宿る人形の種類によって違うんだ」
「はー、いろいろ決まりがあるんだな。面白い! 実に面白い! それじゃあ時間も惜しい、さっそく行こう!」
こうして、八太郎の賢者ライフが幕を開けた。
■イラストのお知らせ■
・近況報告に作中で出てきたクーザーの地図を投稿しておきます。
興味がありましたらご覧ください。
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