2-34 風雲急を告げる


「しまった!」


 外の喧騒に目を覚ましたスノーは、感覚的に寝坊したと理解して焦りの声を上げた。

 頭に過るのは、深夜に起きてやらなくてはならなかった湖岸の罠の引き上げ。一食分を無駄にしてしまった。


 ガクリと肩を落とすと同時に、ふと気づく。

 昨日までの疲れが綺麗さっぱり無くなっていた。


「お米を久しぶりに食べたからかな?」


 この地方で昔から食べられている玉米は、力の源だと暮らしている人たちから信仰されていた。

 そんな玉米を昨晩久しぶりに食べ、疲れが取れたのだとスノーは考えた。


 とにかく、時間があまりない。

 子供たちを起こそうと目を向けると、ハタとした。


 一番年下のルミーが凄い寝相で寝ているのだ。

 体が弱いルミーは、いつもなら人の熱を求めるように誰かに身を寄せて丸まって眠るのに、今日はまるで腕白な子供のようにパインのお腹に足を乗っけて眠っていた。


 そろそろ夏だから暑かったのか?

 咳が酷くなってなければいいけれど。


 そんな心配をしながら、スノーはルミーを起こした。


「きゅーん……」


 犬獣人の子供特有の犬っ気で喉を鳴らすルミーは、お気に入りの木の人形をギュッと抱いてコロンと寝返りを打った。


「むきゅ……やぁや!」


 ルミーが寝返りを打ったことで、パインのお腹に乗っていた足がグリンとお腹を押した。それを嫌がってパインも寝返りを打つ。

 いつもは団子になって起きるのに、2人はゴザのあっちこっちに転がってすやすや眠る。


 ぐっすり眠る子供たち4人を苦戦しながら起こして、ご飯にした。


「美味しい!」


 ニコパと笑って尻尾をブンブン振るルミー。

 子供たちが食べているのは、昨日に玉米と一緒に買っておいた干し芋だ。本当は焼き魚もつけるつもりだったけれど、スノーが寝坊したことで干し芋だけになってしまった。

 ちなみに、玉米は夜に食べるために取ってある。


「ルミー、今日は元気だね?」


「うん! 喉がクシクシしないの!」


 姉であるパインの質問に、ルミーは元気に答えた。

 今まで青白かったルミーの顔色は、スノーだけでなく誰が見ても明らかに良くなっていた。


 なによりも尻尾だ。

 犬獣人の尻尾は嬉しい時に動くが、その動きの激しさは体調で変わる。体調が悪い時の笑顔が弱弱しくなってしまうように、病気の時に動く尻尾もまた力がないのだ。

 それが今日はどうだろう。尻尾で泳げそうなほどブンブンだ。


「お米を食べたからかな?」


 スノーは首を傾げた。


 なんにしてもこれは朗報だった。

 ルミーのために薬を買いたかったが、この分なら必要ないかもしれない。


 ふとスノーはルミーとパインが持つ人形に目を向けた。


 なんだか、運が良くなった気がする。

 自分では買えないような人形を拾い、やはり自分では到底手に入らないジタタキを2羽手に入れ、それを売って手に入れた金は予想外の収入になった。そして一晩でルミーの体調は良くなった。


 今日も頑張れば良いことがあるかもしれない。

 スノーはそう思って、やる気を漲らせた。


「おいら、もうそろそろ行かなくちゃ」


「今日も女神様の森に行くの?」


 ラッカが問うた。

 そんなラッカの顔色もいつもより良い気がした。


「うん。今は女神の恵みがたくさん採れるんだ。暑くなると育ち過ぎちゃうみたいだから、今のうちにたくさん採るんだ」


 スノーはそう言って笑った。


「お姉ちゃん、女神様に会えそーお?」


 ルミーが無邪気に言った。


 いくつもの国に隣接する大森林『女神の森』には女神の園があるという。

 善き人は死んだあとに女神の園で幸せに暮らし、そして、生きていながら女神と会えた者は、時に王となり、時に大英雄となる。

 それはルミーのような子供でも知っている伝説だ。


「はははっ、どうだろうね。でも、会えたら最高だな!」


 スノーはすっかり顔色がよくなったルミーの頭を撫で、今日も女神の森へと出発する。

 そんな後姿を、ルミーが抱っこする木の人形がジッと見つめていた。




 それから数日、スノーは再びジタタキを得るような予想外の幸運こそなかったものの、女神の恵みを売ってしっかりと報酬を得ていた。

 しかし、その日、状況が変わった。


「小僧。そろそろ女神の恵みはダメだな」


 スノーがお世話になっている冒険者のザインが、マントの上に広げた今日の収穫物を検めながら言った。


「ど、どうしてさ! おいら、ちゃんと採ってるじゃないか!」


 せっかくたくさん稼げているのにそれでは困る。

 スノーは焦った。


「別にお前のせいじゃねえよ。旬が過ぎたんだ。お前の腰に届くほど伸びた女神の恵みは薬にならない」


「そんな……」


「それと、お前を連れてくることもそろそろ無理だ」


「え……」


「もうすぐいくつかの魔物が出現するようになるから、ギルドからもガキを連れてくるのを止めるように通達が来るはずだ」


「魔物が?」


「ああ。この前に教えたビリビリガエルもそうだが、他にも木の根っこみたいなマンドランとか、茂みに擬態して生き物を食うブラッドウィード、草木のアンデッドの樹霊——夏ってのは春よりも魔物が多く出るんだよ」


「そんな」


「まあ冬が終わったらまた連れてきてやるよ。それまでは町か農家で仕事を探せ」


「っ……」


 スノーは口を開きかけるが、ザインに文句を言っても仕方ないと諦めたように口を閉じた。


 スラムの子供は多い。親がいない子はもちろん、親がいる子供だって12歳くらいになれば働くので、仕事の枠なんて残っていない。

 それでも、もうザインたちが連れてこられないと言う以上、どうにかして仕事を得なければならない。


 すぐそこにある不安に俯くスノーを、茂みの中から人形がジーッと見つめていた。


 その日、ザインたちが手渡してきた報酬はいつもよりも少し多かった。


「状態が良かったんだってよ。良かったな」


 あるいは餞別だったのかもしれないが、不安を抱えたスノーは気づくことはなかった。

 ザインたちとの仕事はこうして終わった。




 その日の晩。

 スノーはハッとして目覚めた。


 今日も魚の罠を引き上げに行かなくては。

 数日前には寝入って起きられなかったが、その次の日からはこうして日課を続けることができていた。

 むしろ、今日からは絶対に寝過ごせない。必ず夜に起きて漁に行かなければ、食いつなげない。


 子供たちを見ると、全員がすやすやと眠っていた。


 玉米を食べてからルミーの体調はすこぶる良くなり、今では元気に走り回れるくらいになっている。

 ルミーの心配がなくなったと思えば、次の心配。スノーは泣きたくなるのを我慢して、今日も闇夜に紛れて漁に出かけた。

 そんなスノーの出発する姿を、パインの抱っこする石の人形が応援するように見つめていた。


 三日月の弱弱しい月明りを頼りにして、スノーはスラムを移動し、いつも使っている崩れたレンガの場所まで来た。


 角を曲がれば目的地というところで、ハタとした。


 穴の前に誰かがいる。


 角からソッと覗くと、そこには覆面をした2人の男が何かを城壁の外へと運び出しているようだった。


「っっっ」


 人攫いだ……。

 スラムでは色々な犯罪が起きるので人攫いとは限らないが、スノーは直感的にそう思った。そして、それは正しかった。


 すぐに逃げないと。

 そう思ったスノーは振り返ろうとしたその時、口が大きな手に塞がれ、体を抱き上げられた。

 人攫いは穴の前の2人だけではなかったのだ。


「騒げば首をへし折る」


 男のゾッとする暗い声が耳元で囁かれた。

 スノーはカタカタと震えるだけで、頷くことも拒否することもできなかった。


 男は穴の前までスノーを運ぶと、タッタタッと舌打ちをする。何らかの暗号なのだろう、2人の男は頷いた。


 スノーは口に猿轡を嵌められ、両手を長いロープで縛られた。

 長いロープの片側が穴の中に投げ込まれると、スノーは城壁の穴の中に押し込まれた。


 スノーの体なんてどうでもいいと云うような乱暴さに、スノーは体を守るように肘をつく。

 次の瞬間、ロープが引っ張られ、肘が伸びた。スノーは約2mの穴の中を引きずられながら潜らされた。


 スノーは人攫いの恐怖に猿轡の奥で荒い息を繰り返す。穴を通った時に擦りむいた肘の痛さは恐怖で麻痺していた。


 サァーサァー、チャプンチャプン。


 いつも見ている夜の湖が、まるで地獄を覗き込んだような深い深い闇に見えた。


 スノーは外にいた男に抱えられ、崖の下に運ばれた。

 そこには黒い中型船が一隻あり、スノーは担いだ男から船の男へと投げるように引き渡された。

 スノーを担いでいた男は再び崖の上に移動する。まだ人攫いを続けるのだろう。


 スノーは甲板の下にある狭い部屋に入れられた。

 そこにはすでにエルフの姉妹が2人いた。先ほど穴に入れられていたのはこの2人だったのだろう。


 2人は寄り添いながら震えていた。

 その視線は新しくやってきたスノーに向けられたが、すぐに床を見る。いや、正確には床ではなく、視界の端で見張りの男を見て怯えていた。

 見張りの男は室内でも覆面を被り、スノーたちに顔を見られないようにしていた。


 この姉妹をスノーは見たことがあった。姉は12歳、妹は8歳だったはず。

 最近父親を失ったことで、姉の方は仕事を探して奔走していた。姉妹ともに大人しく、どんな仕事ができるのだろうとスノーは思ったものだ。


 そこでスノーはゾッとした。


 人攫いは親がいない子供を狙う。

 大人からの抵抗がなく、攫うのが容易だからだ。


 まさか……、まさか……っ!


 スノーの予想は当たってしまった。


 少年が1人連れてこられたあとに、ルミー、パイン、ラッカ、ビャノの4人が運び込まれてきたのだ。

 ルミーとパインは暢気にぐっすり眠り、ラッカとビャノは猿轡を嵌められながら声を殺して泣いていた。

 スノーが4人に近づくと、ラッカとビャノはスノーの太ももに顔を埋めて泣いた。やはり声を殺しているのは、騒げば殺すと脅されたからか。


 最後に1人のドワーフの少女が船室に運び込まれ、人攫いたちの仕事は終わったようだった。


「エルフ2のドワーフ1、犬獣人2、双子が2。余計なのがいくつかいるが注文通りだな」


「ああ。とっとと帰って一杯やろうや」


 室内でずっと見張りをしていた男が、ルミーたちを運んできた男とそんなことを話す。


 タンタンタン!

 その時、天井——甲板でそんな音が複数回鳴った。


「なんの音だ?」


「見てくる」


 片方の音が船室を出ると、すぐに戻ってきた。


「異常なしだ。崖から石が落ちたんだろう」


「すぐに出るぞ。ギルドのバカ犬が騒ぎ出したら厄介だ」


 その言葉と共に絶望の船旅が始まろうとしていた。


 縛られた手でラッカとビャノの背中を抱くスノー。

 ルミーとパインが抱いている2体の人形が、怒りに燃えながら静かに子供たちを見つめていた。

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