2-26 拠点の朝
大規模な南部探索は朝が来る前に終わり、現在は昨晩の内に作られたそれぞれの秘密工房から監視が始まっていた。
秘密工房は1つにつき最低でも1人は常駐するというコストが発生する。そのため、南部進出を契機にこれまでに作ったいくつかの工房を封印して、人員を南部に回せるようにした。封印された工房は付近を通った際の人形の補充などに使う予定だ。
南西にある堤防内部では白アリの巣の如く秘密工房が作られた。
堤防下層には人形工房があり、内部の階段を上がると堤防上層の辺りに空いた穴から穀倉地帯を望めるようになっている。
さすがに自分たちのせいで堤防が決壊したりしたら後味が悪いため、内部は暇を見て石材で補強していくつもりだ。
南東の秘密工房では湖の調査だ。
ここも昼間は穴からの湖の監視に留め、夜になったら近くにある廃屋や森の中を調べることになるだろう。湖の監視は船を見るための監視である。異世界人がどのような船を使っているのか、賢者たちも気になるのだ。
城壁近くの秘密工房は1か所作られたが、監視穴は複数個所作られた。
1つは正門前、1つは裏門前、そしてもう1つは城壁の上。
城壁については骨粉レンガと土で作られているため、賢者たちは魔法で穴を空けることができたのだ。
場所はスノーが出入りしていた場所をさらに進んだ先にある城壁の終わりの上部。そこに人形4体分が入れるだけの小部屋を作り、監視用の小窓を作った。誰かがその穴に気づいたとしても、さして気に留めないだろう。
この城壁上部の監視穴からは、町のある程度の範囲を見ることができた。この町は城壁から湖に向かって緩やかな傾斜となっていたのだ。
城壁から湖までは3kmほどもあり、その範囲に家々がゴチャゴチャと建てられている。
東西に延びた城壁は外部からの観測で7kmほどあるのではないかと推測されているが、その範囲の全てに家が建っていると想定するなら、相当な規模の町と言えよう。
残念ながら城壁上部の監視穴からは西部方面の町の様子は窺えなかった。
ミニャがムニャムニャしている朝方には町はすでに活動を始めていた。
町では漁港から多くの漁船が湖に出ていき、西部の穀倉地帯では人々が田んぼに出て農作業を始めていた。
この時間に起きるのがこの世界のライフスタイルだとすれば、7時くらいにミニャを起こしている自分たちはミニャを甘やかしているのではないかと、賢者たちは思った。お前が言うなである。
まあそれはさておき。
7時になったのでミニャとモグを起こした。
「んにゃんにゃ……みー」
「モグゥ……」
ミニャとモグは作られたばかりの掛布団の中にもぞもぞと潜り込んだ。
賢者たちにとっては質の良い布団ではなかったがミニャにとっては上等で、コタツから出てこないネコのようになっていた。
しかし、近衛隊は心を鬼にしてお布団をはぎ取った。
近衛隊の賢者たちは、これが母親の朝なのかと、早くから結婚した同級生たちの生活を想った。
そんなこんなでいつもの朝を過ごすミニャの生活は穏やかなものだ。
最近では、鬼芋や森塩の飛脚運搬ルートの確立や食べられる山菜が増えたことで、賢者たちの中にあった焦りのようなものも解消されつつある。やはりちゃんとした物を食べさせてあげられないというのはプレッシャーになっていたのだ。
「今日はなにするのー?」
『ネコ太:今日はこれからミニャちゃんにいろいろと見てもらおうと思っています』
「むむむっ!」
何やらいつもと違うことをするようで、ミニャはキリリ顔。
お部屋は掃除をするのでお庭に出た。
半地下にある織物工場はすでに稼働しており、カッコン、トントン、カッコン、トントンと楽しいリズムが聞こえてくる。
ちなみに、最近になると相当数のフィギュアが完成しており、基本的に拠点周辺の任務は全てフィギュアで行なえるようになっていた。その中には宝石系フィギュアもおり、拠点の警備やクエストの効率は跳ね上がった。近衛隊も可愛い女の子のフィギュアで揃えられ、ミニャと楽しく遊べるようになっていた。
空気が美味しい森の中、ネコ太たち近衛隊はまず昨晩の探索のことを話す。
「えーっ! 森のお外に出たんだ! どのくらい大きな森だったの?」
7歳の子供では『森の深度』なんて考えもつかないはずだ。さすが狩人の娘の着眼点といったところか。
ネコ太たちは図鑑の地図を表示させて、森の規模を説明。
ミニャは、森の説明をちゃんと理解できるようで、ふむふむと頷く。
『ネコ太:もしかしてミニャちゃんって、村にいた頃は森にたくさん入ってたの?』
「うん。お母さんと山菜採りに行ったりねーえ、ドングリ拾いに行ったりねーえ、深いところには連れて行ってもらえなかったけど、たくさん入った!」
『くのいち:へーっ、すごーい! たくさんってどのくらい?』
ミニャはぷにぷにお手々で指折り数え、途中でギュッと握り、バッと10本立てた。
「10回くらい!」
たぶん、適当だ。
現在のミニャの年齢は7歳だが森に連れていってもらった当時は5、6歳のはずである。ならば、かなり浅い場所だったのではないかと賢者たちは考察した。しかし、母親と冒険したと思っているかもしれないし、そんな思い出に水を差すのも憚れるのでわざわざ指摘はしなかった。
続いて、図鑑にある森の外の地図を表示してもらいつつ、別のウインドウで生放送を見始めた。
「ふぉおおおおお!」
久しぶりに見る文明圏の様子に、ミニャは興奮した。
「これ王様が住んでる町?」
複数展開しているウインドウの中では生放送でそれぞれの光景が映されていた。
広大な田園の風景やかなり大きな都市、森の入り口から見える丘陵地帯や城壁にある正門・裏門の姿、そして対岸が見えないほどの湖。
その中で、ミニャは都市に興味津々な様子。
奴隷として売られた時に町へ入ったようだが、観光で入ったわけではないので、ミニャは町の様子を全然知らないのだ。
『ネコ太:うーん、王様が住んでいるかはまだわからないなー。でも大きな町だと思うよ』
他の町を知らないので『大きな町』というのは適当な発言だが、ネコ太はそう教えた。
『ネコ太:ミニャちゃん、この中のどこかに見覚えはある?』
「えー? んー……」
ミニャは腕組みをして、考えた。その仕草が背伸びをしている子供のようで賢者たちはキュンキュンする。
ミニャは生放送をひとつひとつ見ていき、うむと頷いた。
「ミニャ……見たことぉ……」
ミニャはたっぷり溜めると、「ないっ!」と組んだ腕をV字にバッと広げて告げた。
いちいちアクションが大きいが、子供なのでこうやって有り余るエネルギーを発散しているのだろう。
こんな凄いアクションをされて保護者がクールに対応しては陰キャが育つ。自分たちのようにはなってはならないと心の底から思う賢者たちは、みんなで『ないっ!』とV字を作って盛り上げた。
ミニャはキャッキャした。
『ネコ太:ないのかー。じゃあこういう畑は見たことある?』
ネコ太は指さして穀倉地帯の生放送に注目させた。正確には映っているのは田んぼである。
「畑にお水が入ってるの?」
『ネコ太:そうだよ』
「大雨が降ったの?」
『ネコ太:違うよ。川からわざとお水を畑の中に入れているの。こういう畑を田んぼっていうの』
「田んぼ。んー……じゃあ……」
ミニャは体を捻ってエネルギーを溜め、『ない!』と同時に放出した。
そのアクションを見た賢者たちは、これはエネルギーがかなり溜まっているなと察した。
午後の自由時間には遊ばせているが、やはり定例会議で計画したように遠足を実施した方がいいかもしれない。
『くのいち:こっちは?』
くのいちが湖の生放送を指さした。
「これ川? すっごい大きいね!」
『くのいち:ううん、これは湖っていう、川の下流や上流にあるすんごくすんごくすんごーく大きな水たまりなの』
「にゃっ! それ、お母さんが言ってたやつだ!」
『くのいち:お母さんがお話してくれたの?』
「うん! 大昔のドラゴンさんがねーえ、なんでも好きなだけ出てくる宝箱を落としちゃうの。落としちゃう前に塩を取り出そうとしてたから、ここのお水は全部しょっぱいんだよ」
『くのいち:あー、それは海だね。川が最後に辿り着くのが海なの。こっちは湖って言って、しょっぱくない水たまりなの』
「はえー」
ミニャはコテンとした。
どうやら、母親の昔話の中に登場したらしい。ただ、それは海のことだと思われる。
なんにせよ、ミニャは海も湖も見たことがないようだった。
それにしても面白いのは、ミニャの母親が語った昔話である。これは地球にも類話があった。
物を無限に生み出す魔法の臼を手に入れた者が、ひょんなことから船上で塩が欲しくなって塩を生み出すが、途中で止める方法がわからずに、どんどん出てくる塩の重さで船ごと臼は海の底に沈むという話だ。だから今も海の水は塩辛いわけだが、世の中には意外とこの事実を知らない人が多いことで有名である。
賢者たちはミニャの住んでいた村の推測を進める。少なくとも南部地域ではなさそうというのが、有力な考察だ。
『ネコ太:あと、これはミニャちゃんと同じくらいの歳の子なんだけど、見てくれるかな?』
かなり貧乏そうなのでミニャに見せるか賢者たちは迷ったが、隠さずに見せることにした。
スノーにお持ち帰りされた人形が見せる生放送が映される。
ボロボロの家で、ルミーとパインが向かい合ってお人形遊びをしていた。
「あっ、ミニャと一緒のお人形! これ、賢者様が作ったヤツぅ?」
『ネコ太:そうだよ。あの子たちに上げちゃっても良かったかな?』
「うん、いいよー!」
その返答に、ネコ太たちはホッとした。
独占欲が強い子なら駄々をこねたかもしれない。
「ルミーちゃん! パインちゃん! ねえねえ、ルミーちゃんとパインちゃんだって! 犬獣人の子かなぁ?」
同世代の子供たちの名前を知ったミニャは、賢者たちに教えてあげた。
賢者たちには、ミニャがこの子供たちにたいして可哀そうといった感情を持っていないように見えた。
実際にそれは正しく、ミニャにとって、この水準の生活は過酷そうに見えていなかった。大人がおらずに子供だけで暮らしているとわかれば、さすがに違った感想もあるだろうが。
そもそも、ミニャには他人の暮らしのデータが欠けていた。同水準の暮らしをしている村人たちの中で過ごし、金持ちの暮らしは見たことがなく、貧乏という概念がそもそも乏しかったのだ。これでもう少し歳を重ねればなんとなく察することもできたかもしれないが、7歳ではそんなものだろう。
「わぁ楽しそう!」
ミニャは目をキラキラさせて2人のおままごとを見ていた。
ここには人形しかいないので、やはり人間の友達が欲しいのかもしれない。
おままごとをしているルミーがケホケホと咳をした。
『ネコ太:ミニャちゃん、このルミーちゃんは病気なんだって』
「にゃんですと!」
ミニャはウインドウの中で楽しそうに笑うルミーの顔をまじまじと見た。
そうして、ペカッと豆電球が灯ったような顔をした。
「ネコ太さんはピカーッて治してあげられる?」
『ネコ太:うん、治してあげられるよ』
「じゃあ治してあげてほしいな!」
『ネコ太:わかった。じゃあこの子たちが眠った夜に治してあげようと思うけど、それでいい? いまだとお人形がいきなり動いてビックリしちゃからね』
「はえー、ビックリするんだ……」
ミニャにはもう当たり前の光景だが他者からすれば違う。ミニャはまだ幼いからか、他者視点で物事を考えることがあまりできなかった。ただ、こうやって言えばすぐに理解してくれた。
「わかった! じゃあ夜に治してあげてね」
これは賢者たちの予想通りの展開だった。
ならばわざわざ許可を得ずに勝手に治せばいいじゃないかと思うところだが、『重要な決断はミニャにさせる』というルールを設定しているので、このような誘導をしたのだ。
おそらく、ミニャもこの判断をしたことで賢者たちの力の使い方をまた一つ学んだはずだ。
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