1-42裏 覇王鈴木は覇王に非ず


 家のベッドで起き上がった覇王鈴木は、ヒュッと息を吸ってゆっくりと吐いた。


「ほのぼの牧場系異世界生活だと思ったら、殺伐戦争系異世界生活だった件について」


 そのまま天井に手を向けて、やろうとしたことを寸でのところで思い留まる。

 本当にサンダーボールが出ちゃったら困るから。今まではそんな心配をする必要などなかったが、本当に異世界に行ける今は違うのだ。いまのところ地球で魔法が発動したことはないが、もしかしたら何回もやっているうちに成功してしまうかもしれない。


 天井に向けた手を握りしめて、覇王鈴木は言う。


「びっくりするほど最悪な気分だ」


 少年の頃から、魔法を使って敵を倒すのはきっと爽快だろうと妄想してきた。

 だが、今日、ゴブリンの集落を壊滅してみてわかった。

 全然いいものじゃない。


 ミニャのオモチャ箱で、凄い友達が何人もできた。

 その1人の言葉を思い出す。


「沸騰したお湯に塩を入れて飲めだったか。こういう時は酒じゃねえのか?」


 覇王鈴木は部屋のドアを開け、廊下に出た。

 妹の部屋の明かりが点いている。ゴブリンの討伐作戦は23時から行なわれたので、まだまだ現代人にとっては宵の口だ。


 しかし、ニートとは肩身が狭いもの。

 音を立てずに廊下を歩き、階段を下る。長年住んでいる家なので、廊下の電気を点ける必要もない。


 親が風呂に入っている音を聞きながら、鍋に水を入れて火にかけた。


 昨日の夜くらいから、自分が当たり前に使っているこういった道具を見ると、覇王鈴木はミニャの顔や森での活動を思い出した。

 それは覇王鈴木だけでなく、多くの賢者がそうだった。


 形がよく破損の心配をほとんどしなくていい鍋。

 替えの下着や選ぶのも面倒なほど多い衣類。

 物置と化した勉強机。

 できれば買い換えたいと思っているベッドや布団セット。


 逃げてばかりの自分が持っている物を、一生懸命生きているミニャは持っていない。


 特に何かを食べる際には強く罪悪感を覚えた。

 母親が作る美味しい料理、お湯を入れただけでできる味の濃いラーメン。

 自分たちはそんな物を食べられるのに、ミニャは塩すらかかっていない魚やスープを食べている。


 だが、今はあまりそういう気持ちにならなかった。

 それよりもゴブリンたちの断末魔と死の臭いが脳裏に残っていた。


「皆殺しにするのは確定だった」


 完全に危ない人の発言である。

 だが、そう呟きたくなるのも仕方ない。


 調理台に置いたスマホを横目に見て、ミニャの下で問題が生じてないことを確認していると、お湯が沸いた。


 美少女柄のマグカップに沸騰したお湯に淹れる。飲み物が2割増しで美味しくなる魔法のマグカップだ。

 スプーン一杯の塩を取り、入れる前にそれを見つめた。


「これ、入れすぎじゃね? 小さじ一杯とかの間違いか?」


 しかし、言われた通りにお湯に入れてそのスプーンでそのままかき回す。


 また音を立てずに部屋へ戻ると、マグカップに口をつけた。


「あっつ! 塩辛!」


 沸騰したお湯なので当然だ。


 なんでこんなのを飲むのだろうか、と覇王鈴木はグルグルと考えた。『塩分で血圧を上げると鎮静効果でもあるのだろうか』とか『熱すぎて上あごがやけどしたんだけど』とか。


 そうして、3、4口飲んでキレた。


「こんなん飲めるか! 次!」


 覇王鈴木はお湯を飲むのを諦め、サバイバーが言っていたもう一つの方を試してみた。


 好きなアニソンを流しながら手拍子を始める。

 壁一枚隔てた隣は妹の部屋なので、手拍子の音はとても小さい。


 覇王鈴木は覇王に非ず。

 異世界で活き活きとした覇王鈴木だが、こちらではかなり気を使って生きているのだ。


 だけど、次第にノッてきた。

 頭にこびりついたゴブリンの断末魔に負けないよう、必死に手を叩く。

 体の正面で叩くばかりじゃない。右、左と肩を揺らして手を鳴らし、ついには椅子から立ち上がり、ダイナミックな動きでパンパンする。


 さあ、サビが始まる! パンパンッ!


「マーベラス!」


 今の手拍子のタイミングはPerfect評価!


 冬が終わり、春の始まりの季節。それはニートにとって、とても呼吸がしづらくなる眩しい季節。ニートとしての悩みが脳裏をかすめるが、ゴブリンの件と一緒に踊り狂って吹き飛ばした。前者は吹き飛ばしてはいけない悩みなのだが。


 次第に汗が出てきて、間奏のタイミングで求めるようにマグカップに口をつける。


 塩辛い!

 が、それがいい!


 覇王は、親指でピッと唇の水滴を拭い、再び踊り狂った。


 ゴブリン退散!

 職安退散!


「うっわ、キモすぎ」


 ふいに背後から声がした。

 覇王鈴木はハッとして振り返った。


 そこには勝手にドアを開けた妹がドン引きした様子で立っていた。


「か、勝手に開けるなよ」


「は? 何時だと思ってんのよ。うっさいからやめて」


 覇王鈴木は時計を見た。

 日を跨ぎ、0時10分。

 こんな時間に部屋で踊り狂うニートの兄など、客観的に見てたしかに迷惑だろう。場合によってはサスペンスホラーの始まりだ。


「あ、ああ、ごめん。だけど、今日だけは許してくれ」


 覇王鈴木は汗を拭うふりをして、ゴシッと涙を拭った。


 それを妹が気づいたのかはわからない。

 中学2年くらいまで一緒にアニメを見て楽しんでくれた妹は、覇王鈴木がニートになって1年もすると冷たくなった。自分は受験勉強で苦労しているのに、ニートを始めた兄が許せなかったのだろう。


 今年でニート3年目。

 今年の春も就職先を見つけた気配はなし。

 慕ってくれていた妹にどう思われているかと考えると、覇王鈴木の心をキュッと締め付けた。


 そんな妹は少し涙ぐんだ目でキッと覇王鈴木を睨みつけて、荒々しくドアを閉めて去っていった。連続して、妹の部屋でも荒くドアが閉める音が聞こえた。


 覇王鈴木はゴシッと涙を拭い、手拍子をせずに腕を振って踊り狂う。


 妹はまだ知らない。

 賢者ナンバー5、覇王鈴木の存在を。


 覇王鈴木はまだ知らない。

 全ての賢者に名前を知られ、ニーテストから「とりあえず、お前行ってこいや」と気軽に頼られる自分自身の価値を。


 覇王鈴木は、ニートをする後ろめたさとゴブリンを殺した罪悪感を吹き飛ばすように、今はただ踊り狂うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る