第36話 無惨の部屋


 彼がその団地にいた頃。

 他の面々は、激戦のただ中にあった。


 不死身ノタウロス。

 それが彼らの前に立ち塞がった守護者であり、その特性は、ただひたすらに硬く、重く、速く、強い。そして不死身だ。

 概念攻撃を引きちぎり、踏み砕き、切り刻む。物理でなければ話にならず、物理ではまるで通じないほどに、硬い。


 それほどの化物を前に、彼らは一進一退の攻防を繰り広げた。

 が、それを叙述する余地はない。

 物語は既に佳境だ。少女を守れるかの瀬戸際にある。故にこの戦いは人知れず始まり、そして人知れず終わる。

 そういう死線があったということにのみ言及し、視点を戻す。

 けれど忘れないで欲しい。

 彼らもまた───死力を尽くしたということを。


 ───


 エレベーターは十三階へと向かう。

 さて、どうするか。

 箱の壁に凭れて、階数表示をじっと見る。

 ───やつは、エレベーターを使うだろうか。或いは、階段か。いずれにせよ、追いかけてくるのは間違いないのだから、十三階とは言え長居はできまい。到着したら奴がエレベーターを使うかどうか───エレベーターが下へと呼ばれるか否かを確かめよう。呼ばれたのなら直ぐに階を移動する。こちらが十三階につくことを、奴は知っているのだから。表示は、各階のエレベーター搭乗口にもある。

 ナイフとの正面戦闘に勝ち目は薄い。真正面からの対峙は、なんとしても避ける。


 エレベーターが、到着する。

 僅かに身構えていたが、何らかの手段で先回りされたりはしていなかったようで、空いた扉の向こう側は無人だった。

 それでも不意打ちされぬよう、気を張りながら降りる。

 エレベーターの搭乗口は、Lの字の角にあるらしかった。主観的にはVだろう。まあそこまで鋭角ではない。外廊下が右手と左手にそれぞれ延びている。


 手摺の向こう側は夕暮れだ。


 何げなく視線を向けたボクは、愕然とする。

 嘘だろ。


 この団地からは、町が一望できる。もちろん団地側を向いてない棟の廊下からの話ではあるが。


 それは知っていたさ。

 でも───流石にこれは。


 地方都市ゆえに高層建築は少ない。遮るもののない視線は、何処までも伸びる。

 家、道。無人の町。それは遠く、遠く、遠くまで。所々に屹立する鉄塔が、静寂と夕暮れを浴びて、古代の遺跡じみて見える。

 視線はなおも先に伸ばせた。

 彼方。地平線にわだかまる、音羅五山の、でこぼことした山並みまで。


 言葉がない。

 織機はこの町並みを完全に再現したというのか。

 同じ、迷宮の主をしていたボクだからこそ、その困難がわかる。一つ一つの家を、その内装まで詳細に語り尽くす、それを全てにたいして行う、気の遠くなるような作業の繰り返しで、その町は迷宮の階層として完成するだろう。


 いや───待て。

 待て待て待て待て。

 見間違いか!? いや、違う。

 たしかにそれは、ある───


 地平線は山並みではない、この高さと角度なら、見えてしまう。

 富士山───その、頂上が。

 ほんの僅かにではあるが。

 確かにそこにある。


 嘘だろう。

 見間違いか?

 いや、違う。

 まさか───織機。

 あいつが作り出した領域は、この町だけじゃないのか。山の向こうすらも、作り込んでいるとしたら。


 桁違いだ。

 こんなことがあっていいのかよ。


 いつの間にか、崩れ落ちそうになる体をささえるために、手摺に両手を載せていたらしい。

 息を吐いて、足に力をいれる。

 体重がしっかりとかかった。

 よし。

 手摺から手を離す。

 ザリ、と。嫌な感触がある。

 見ると、手のひらが赤い。錆だ。風雨と日光に曝された手摺には赤色の錆が浮いていた。


 ゾッとしていると、音が聞こえた。

 エレベーターでも階段を上る音でもない。

 背後の部屋から、聞こえてくるものだ。

 振り替える。扉がある。その奥から、音が鳴る。ジリリリリリと響いている。ジリリリリリリリリ。ジリリリリリリリリリリリリリ。ジリリリリリリリリリリリリリリリリリ。


 恐る恐るドアノブに手を伸ばす。

 鍵は、掛かっていない。

 捻るとすんなり、扉が開いた。

 引いて、中に入る。

 ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ。

 音が更に大きくなった。

 扉を閉め、鍵をかけた。

 中は何の変哲もない、ごく普通の部屋だった。


 音源を目指して歩を進めると、足にザサッと何か当たった。かさかさした軽いものがある。部屋の奥には窓があり、そこから差し込む赤色が、床のそれを照らしていた。

 菓子の包装。ポテチだろうか。中身は空だ。

 脱け殻じみていて、無気味である。

 表面に書かれたポップな文字とキャラクターが、この状況においてあまりに不釣り合いで、視界にノイズが走っているような、そんな錯覚がある。───そのキャラクターの上に、中か書いてある。


 ユウハン。


 中は油でテラテラしていた。


 ───厭だ。

 そう思った。


 落ちているのはそれ以外にも色々とある。

 現れていない衣類、脱ぎ捨てられた下着、異臭を放つレースのそれ。床は塵だらけ。一方、キッチンのスペースは不思議に綺麗で、流しも汚れは見当たらない。奥へ進む。『督促状』と書かれた手紙。ジリリリリリリリリ。転がっている卒業アルバム。ジリリリリリリリリリリ。異臭を放つ扉の前を通り抜ける。ジリリリリリリリリリリリリリ。音が大きくなる。


 突き当たりの扉を押してリビングに入る。


 ガラス越しに夕日の差す。

 世界が二つに分かたれている。


 ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ。


 さーっと、何かが床を擦る音が混じった。

 ぶらんこみたいにそれはゆれている。

 前後左右関係なく、ゆらゆらと。


 ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ。


 怖い。

 そう思った。


 音は、直ぐ近くから聞こえている。

 電話だ。

 受話器を、取る。

 音の止む。


『やあ。元気?』


 織機はそう言った。


『言葉もでない様子だね』

『なんてね。様子なんか、こっちからはわからないや。あはは』

『まあいっか。別にキミの嘘を聴きたい気分でもないしね』

『それでもせっかく来てくれたんだから、ゲームのルールぐらいは説明してあげるね?』

『勝利条件は、私を見つけ出すこと』

『敗北条件は、私が目的を叶えること』

『もしくはプレイヤーであるキミの死』

『制限時間は、どうだろう。どれくらいかかるかな? わかんないや』

『とにかくそんな感じだよ。探し当てられるなら、当ててみてよ』

「織機」

『何』

「ぶらんこは好きか」

『何聴いてるのー。もー』


『だいっ嫌いだよ』


「そうか」

『じゃ、もう切るね。頑張って!』


 プ───、と。鳴り始めた頃にはもう受話器を戻している。


 そして。


 思う。


 この光景を見せたのは、織機の意思だろう。

 誰か知らんがウェルテル坊主と化している。

 その光景を見せることがか。


 ───汚れた部屋。ユウハンと書かれたポテチ。ぶら下がる誰か。


 その目と、ボクの目が合う。

 ボクの目がある。そりゃそうだ。死人の目には景色は写らない。覗き込んだ相手の目が写るだけだ。


 ボクは無惨の部屋に背を向ける。

 廊下を抜けて、外へ。

 十三階へ。


 さて。

 時間を食ってしまった。

 追い付かれちゃいないだろうな。

 だが移動するには階段は使わなければならない。

 エレベーター乗降口の脇に、階段はある。

 そこを目指す。



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第六迷宮『ダリア』の番人代行~ケツ論から言うと少女に乞われて現代ダンジョンの番人になった話~ みやこ @miyage

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