第5話 エスパニアの野望

西暦2025(令和7)年12月11日 パルトーギア王国北東部沖合


 日本国長崎とパルトーギア王国カーブラを繋ぐ、直線距離600キロメートルの通称航路上を、1隻の灰色の艦が進む。その進路上には1隻の帆船。


「またか…今日はこれで二度目だぞ」


 海上自衛隊哨戒艦「くす」の艦橋で、艦長の宇野うの三等海佐はうんざりした様な表情を浮かべる。その理由は現在進行形で目前をうろうろしている帆船であった。


 イベリシア亜大陸で最大の版図を誇り、常々パルトーギア王国を脅かしているエスパニア帝国は、以前より嫌がらせの目的で私掠船を送り込んでいた。その範囲は日本との航路にまで及び、近代的な港湾設備の完成を待てずに出航したパルトーギア側の商船に襲い掛かっていた。


 無論、その手の狼藉を働く連中を放置する事など出来ず、海上自衛隊と海上保安庁は航路防衛を主任務に艦船を派遣。こうして航路上に展開する事で、商船を突け狙う『不届き者』の取り締まりに奔走していた。


 その中でも「くす」はこの手の任務にうってつけの艦船と言えた。2022(令和4)年の防衛計画にて導入が決定され、今年に就役したばかりの本艦は、戦闘よりも不審な船舶の捜索や周辺国の領海へ接近してくる艦船の監視を主任務としている。そのため武装は艦首の30ミリ機銃と艦橋両舷に装備する遠隔操作式12.7ミリ機銃のみだが、現在改良型として2000トン級哨戒艦の建造が決定されている。


「イベリシアはすでに情勢が悪化しつつあるとはいえ、今の我が国にとっては数少ない食料輸入相手国であるし、失業者の受け入れ先にもなっている。自衛隊の出番はそう遠くないかもしれんな…」


 宇野艦長はそう縁起でもない事を呟きながら、向きを変えて逃げていく帆船を見送った。


・・・


パルトーギア王国西部 とある農村


「これで、4頭目…!」


 鬱蒼と茂った茂みの中に伏せる隊員はそう呟きながら、ゆっくりと引き金を引く。直後に銃声が響き、巨大な猪の頭部に命中。猪は絶叫を上げながら暴れ回るが、急所を射抜かれたために出血がひどく、次第に動きが鈍くなる。と直後に一人の青年が飛びかかる。


「とどめだ!」


 長剣が振るわれ、猪の頭を叩き斬る。そうして地面が鮮血で赤く染まる中、一人の女性隊員が茂みから姿を現す。それを見た青年はにかっと笑う。


「いい援護だった。コイツは中々にタフな奴だったから、急所を正確に狙わないといけない。ニホンの兵士は本当に強いんだな」


「…お褒めに与り、光栄です」


 女性隊員がそう答えると、数台の自動車が走ってやってくる。そして先頭を走る車両から一人の女性自衛官が声をかけてきた。


羽川はねかわ三曹、よくやったわ。間もなく村人が荷車を持ってくるから、獲物はそのままにしておいて」


「分かりました、曹長。にしても、まさか銃を撃つ機会がこんな形で来るとは…」


 羽川の言葉に、曹長は「そうね」と答える。パルトーギア王国と国交が樹立された後、日本政府はパルトーギア側より食料輸出のための条件を幾つか提示されていたのだが、その中の一つが魔物討伐依頼であった。


 イベリシアの魔物は熊・鹿・猪などの野生動物が、大地より発せられる魔力の影響で通常の数倍も大きくなった様な存在ではあるが、それ故に能力は異常に高く、そして耐久性もある。魔法で強化されていない武器の攻撃は一切効かず、強化された武器や魔法を用いた攻撃でも上手く急所を狙わないと有効打になり得ないという厄介な生物は、現地の住民や産業に対して甚大な被害を及ぼしていた。


 国内の失業者を『労働力』として輸出している日本国としては、邦人への被害は致命的な失策へと繋がる恐れがあるため、有害鳥獣駆除任務として自衛隊の派遣を決定。この地域には陸上自衛隊第1師団に属する普通科中隊が派遣されていた。


 関東地方の防衛警備を担う地域配備師団たる第1師団は、練度維持とメディア向けに自分達の貢献度を表すために小隊規模の部隊を複数パルトーギアに派遣しており、そこからさらに農村単位で部隊を分けて広域をカバーしていた。特にこの分隊は、班長たる早瀬優香はやせ ゆうか陸曹長を筆頭に、7名全員女性自衛官で構成されるという特異な部隊であるが、練度は男性自衛官に引けを取らず、現地住民からも高い評価を得ていた。


 すると、この農村出身の戦士である青年ルードが、早瀬に話しかけてくる。


「しかし、ユウカさん。最近は変だ。これまでこんなに魔物が大量発生するなんて事は滅多にない…半年前はまだ数日に一度のペースで1頭か2頭が紛れ込む程度だったんだ」


 彼の言う通り、日本国が転移してくる前からパルトーギア西部では魔物が異常に増殖していた。それも生息域そのものが東へずれる様な動き方であり、時には緑鱗河竜ベルティグリ・クロコダイルという地竜が出現するようにもなっている。この緑鱗河竜は青銅の鱗を持つ巨大なワニであり、消防車の放水ポンプ並の威力を持つ水噴射攻撃や、両脚に魔法の力場を発生させて水上跳躍する突進攻撃が厄介であった。そのため現場からの報告を資料付きで受けた上層部は大層驚愕し、無反動砲による駆除を許可したり、対戦車ヘリコプター部隊の派遣が決定される程であった。


「」


・・・


聖暦1025年12月17日 エスパニア帝国 帝都マドリシア


 総面積140万平方キロメートルを誇るイベリシア亜大陸には、二つの国がある。一つは最東端に位置し、日本国や台湾と国交を樹立させているパルトーギア王国。もう一つは、イベリシアの9割近くを占める大国、エスパニア帝国であった。


 その帝都マドリシア、巨大な城塞都市の中心部にある宮殿にて、


「偉大なる皇帝陛下、準備は整いました。今こそパルトーギアの弱小国を攻め滅ぼし、このイベリシア帝国を統一する時です」


 広大な広間にて、初老の文官の男は言い、その目前の玉座に座る男はにやりとほくそ笑む。


「諸君、これまでの偉大なる宿願に向けた準備、大義であった。余の代でイベリシアを統一する日が来た事、嬉しく思うぞ」


 皇帝アフォンス9世はそう口にしつつ、白銀の鎧を身に纏った中年の男に目を向ける。


「大将軍デーレよ、此度の侵攻計画について説明せよ」


「はっ!」


 帝国軍総司令官の任を担う大将軍フアン・ディ・デーレは、エスパニア主体のイベリシア統一戦争で名だたる活躍を上げた歴戦の軍人である。故に最後のピースたるパルトーギア侵攻への計画策定でも中心人物として活動していた。


「まず、此度の計画にて動員するは3個軍団と2個艦隊、そして飛竜騎士団の総戦力です。手始めに総勢27万の将兵からなる3個軍団と飛竜騎270騎を進軍させ、国境地帯を制圧。同時に南北より2個艦隊を4万の海兵隊とともに出撃させ、敵主力が戦線へ集中している隙にカーブラとリスビアを強襲、これを占領します」


 総数35万の将兵を投じる大規模侵攻に、会議に参席する多くの閣僚が息を飲む。パルトーギアの貧弱な軍隊を完璧に蹂躙するに足る兵力は先代皇帝の代から着々と築き上げられたものであり、いずれ来たるナロピア・モルキア両国への侵攻も見据えていた。


「現在、彼の国はニホンなる国と同盟を結んでおりますが、戦争に対して消極的な国の兵など、恐るるに足りないでしょう。イベリシア統一が成った暁には、ナロピアとモルキアの蛮族どもも滅ぼせることでしょう」


「そうか…よろしい、余はここに対パルトーギア占領の開始を命じている。我がエスパニアの威光を知らしめよ!」


『ウオオオオオ!!!』


 室内に、歓声が木霊する。皇帝は不敵な笑みを浮かべながら、自身の配下を見渡した。

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極東国家連合戦記 広瀬妟子 @hm80

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