第5話 意の内は変わらず


「……岩塩採掘場……」

 イテツの言葉を繰り返し呟き、アヤメは電話を手に取る。いつかけてもトーマスは相変わらず慌ただしく電話に出る。

『……おぅ、アヤメ! どうした!』

「問題発生よ、イギーが例の宗教団体に拐われたわ」

『何だとォ!?』

「奴らが古い坑道を使っているという可能性は南米支部の情報が入っているんだけど、問題はどこから集落へ侵入できるように繋がっているか、なのよね。現地で応戦していた二人からは、閉鎖された岩塩採掘場が怪しいんじゃないかって」

『…あー、そこはサムも対応入ったやつか……。確か、地図データがあったな……』

 少しの沈黙と、電話の向こうで何やら物音を立て、トーマスはちょっと待ってくれ、と呟きながら作業している。しばらくして、データをアヤメのパソコンに送ったと言った。

『それが例の岩塩採掘場の地図と地形図だ、そっちで問題なく確認できてるか?』

「……えぇ、大丈夫よ。ありがとう」

『…その岩塩採掘場、周辺の地形図と合わせると最下層が不自然に途切れているところがあるだろ? 岩盤崩落とかで閉鎖されただけだと思っていたが……そこから先が奴らの潜む坑道に繋がっているのかもしれねぇ』

 現地の人間が確認しないことになんとも言えない、とトーマスは唸る。

『あの時、対応にあたったテツもサムも中までは入ってないから、全容はまるでわからない。その調査も現地のテツとタロに任すしかないんでな……。イギーの事も思うとかなり賭けみたいなモンだぜ』

 トーマスはこの想定が違っていたことに対するリスクも心配していた。それはもちろんアヤメも考えているが、何もしないわけにはいかない。

「……例え賭けでも、二人には採掘場に行ってもらうしかないわ。私はその間、別のスジを探る」

 二人の対応が間に合わない時のための別のプランも練らなければならないとアヤメは言う。トーマスもそれに同意を示し、そこで通話が終了した。

 アヤメは直ぐ様、トーマスから受け取ったデータをイテツの携帯電話へ送信する。電波状況が良好ではない場所にいるため、少々時間はかかっているようだ。衛生電話を使い、ダウンロードが終わり次第その採掘場へ行くよう二人には伝えた。




「……まぁまぁ、時間はかかるな……」

 携帯電話の画面に表示されているダウンロードの進行具合を示す表示のスピードを眺めながら、イテツはため息をついた。じわりじわりと半分を超え、60、70、と進んでいく数字を見守る。タロウは逆に数字を見ると焦るから、と採掘場に行くために必要な装備を厳選していた。多すぎても邪魔だし、足りないことはあってはならない。

「……よし、タロさん。データがきた」

「……やっとか、マジで装備の選別ができちまったな」

 ほらよ、とイテツの分を彼に向かって放る。そして彼の差し出す携帯電話のディスプレイを覗き込んだ。

「構造はそれほど複雑じゃないし、大規模でもなさそうだ。地下三階相当まで下がってそのまま道なりに進むとこの行き止まりにぶつかる。地図だとその先にも一応、空間があるんだ」

「この空間が、その先の坑道にも繋がっているとみていいいんだよな」

「……そう願うよ」



* * *


  

 イグナシオは唐突に目を覚ました。

 目を開けても光の一切届かない闇の中に閉じ込められていると認識するまで少々、時間を要した。どうやら大きな布の袋に入っているらしい。そして布越しに固い感触が伝わる。空間の広さから棺桶のような木箱と推測する。

 耳を澄ましても音は全く聞こえない。生きたまま埋葬されたのかと思うほどだ。この八方塞がりの状態で、何をどうしたらいいのか彼は必死に考えた。幸い、ズボンのポケットには携帯電話が入ったままになっている。電波も辛うじてあることから、連絡は取れそうだ。

 しかし、この限られた電池残量で自分の居場所をどう伝えればいいのかわからない。メール作成画面を開き、宛先にオリヴェールを選んだところで手が止まった。

(……どうしよう……どうしたら僕がいる場所をわかってもらえるんだろう……)

 焦りが彼の冷静さを徐々に失わせていく。そしてみるみる減っていく電池残量がそれを加速させた。握りしめ、祈るように額に当てたとき、ガタン、と大きく揺れた。

「!?」

 どうやら持ち上げられ、移動を始めたらしい。ここから出される前に、助けを求めておかねばならない。チャンスは今しかなかった。

(……どうしよう……)

 自分ですらここがどこだかわからないのに、どうやって伝えればいいのか、彼は必死になって考えた。

(……居場所がわかる方法……位置情報……!)

 突如として頭が冴えた気がした。そうだ、位置情報を送ろう。一回だけしか送れないけど、集落から点を結べば方角くらいは見当が付けられるかもしれない、そう信じて。

 画像は処理に時間がかかるため、送信できなかったことのリスクを考え、位置情報の座標だけコピーして本文に貼り付ける。

 送信した後、携帯電話はすっかり沈黙してしまった。もうあとはメールを受け取ったであろうオリヴェールを信じるしかない。

 唐突に棺に衝撃が加わり、地面かどこか固い場所に置かれたであろうと推測する。ガタガタと物音は続き、小さくシューっと何かを吹き付けられているような音が微かに聞こえる。その音が何か、耳を澄ませて考えていたが、いつの間にかイグナシオは意識を手放してしまった。

 棺の蓋が開けられ、布を切り裂かれ大勢の人間に覗き込まれていることなど知らぬまま。



「……新しき器か」

「……ふむ、良き肉体の持ち主だ」

「……この肉体に宿る魂なら相応しいのだろう」

「……では司祭、儀式の準備を」

 司祭たちは頷き合い、横たわるイグナシオから離れていく。一人、イグナシオの傍らに残ったフード目深に被った人物は、彼の側で膝を付き祈りを捧げた。


 しかしそれは彼らの神に祈るものではなかった。


 ――助けてください、誰か


 ――今度こそ、助けに来てください、こんなことをやめさせてください


 ――お願いします、お願いします、お願いします…!


  

* * *




「……さて、行くか」

 準備はできたか、とイテツに振り返りながら声をかける。イテツも自分の装備を身に着け、小さく頷いた。外は既に闇に包まれている。

 しかし空は無数の星が瞬き、月が輝いていた。このような状況でなければ、何もかも考えることをやめてひたすら眺めていたいと思ったことだろう。

 外に出たところで、激しく乱れる光が近付いてくる。それは懐中電灯を持ってばたばたと走ってくるオリヴェールのものだった。

「……二人とも、イギーから、メールが……!」

 息を切らして握り締めた携帯の画面を突き出す。覗き込むと数字の羅列のみだった。

「……なんだかよくわからなくて」

 どうしていいかわからず、とりあえず二人の元に駆け込んできたと言う。

(……座標、か……?)

 タロウが小声で囁くと、イテツも小さく頷く。

「……おれもそう思う。……マケラ記者、その文面を撮らせてもらっても?」

「あ、あぁ、もちろん」

 イテツはその画像をアヤメに送った。イグナシオからのメールで最後の位置情報を送ってきたのかもしれない、とメッセージを添えて。やり取りに時間がかかることからすぐに返事は待たない。携帯電話をしまうと、オリヴェールに向き直る。

「……情報をありがとうございます。我々はこれから、例の宗教団体が潜んでいるとされる坑道へ行きます。しばらくは襲撃など止むかもしれませんが……油断なされませんように」

「あぁ……わかってる……」

 そうは言うものの不安は拭い去れないのだろう、背中を丸めて呟くオリヴェールに、タロウは無言で背中に手を当てた。突然の事に驚き顔を上げると、タロウの目がオリヴェールの目をしっかりと見据えてくる。

「……苦しい時かもしれないが、そういう時こそ背筋を伸ばしていろ、彼なりの励ましのメッセージと思っていただければ」

 イテツにそう言われ、オリヴェールは姿勢を正すとその手は離れていった。

 では、行ってきます、とイテツは軽く会釈をする。そーその横でタロウも軽く首を上下に動かした。二人は暗視ゴーグルを下げ、そのまま闇の中へ入っていく。オリヴェールは彼らの姿が見えなくなっても、しばらくその先の闇を見つめて立っていた。


 岩塩採掘場ではイテツが先導し、先行く彼の肩にはタロウの手が乗っている。進みながら時折、イテツは後ろのタロウに向けて手を軽く動かして合図を送る。

 ―このまま直進―

 ―少し止まって―

 ―ここから階下へ―

 その都度、タロウは軽くイテツの肩を指で叩く。

 ―了解―

 無言で手だけでやり取りをしながら、例の行き止まりまで到着した。そこには不要になった物か資材かわからないが、ありとあらゆるものが散乱している。木箱には何かが詰まっているのか重みがあるし、長い木材が壁に何枚も立て掛けてある。どうやら本当に行き止まりらしい。

 岩塩採掘場でも信者が潜んでいるかもしれない、と一切、物音を立てずに警戒していたが、その心配は必要なさそうだ。イテツ暗視ゴーグルを額に押し上げ、ライトを付けるとタロウに伝える。タロウも同じように暗視ゴーグルを額に押し上げた事を確認し、イテツは懐中電灯を使った。

 照らされた先の壁には特に変わった様子は見受けられない。隠し扉でもあるかと触ってみたところでなんの変哲もない岩壁があるだけだ。

「……まさか、ハズレの方を引いたか?」

 タロウは腕を組み唸る。もし本当にここがハズレなら急いで採掘場を出なければならない。アヤメに連絡を取り、作戦を練り直す必要がある。イグナシオから送られてきた位置座標とも照らし合わせ、新たなルートを探さなくては。

「……おい、テツ! ちんたらしてられねぇぜ、早くアヤメと連絡を」

 付けなきゃならないと言いかけて、タロウは言葉を飲み込んだ。振り返った先に、イテツの姿がないからである。懐中電灯を照らすが、彼の姿がどこにも見当たらない。

「……お、おいおい……どこ行った……? なんでいねぇ……?」

 テツ…? と控えめに言葉を発するとズボンの裾を引っ張られ、突然の事に叫び声を上げるところだった。懐中電灯で足元を照らすと、壁から伸びた腕がタロウのズボンの裾を掴んでいる。

「……んなっ……!?」

 よく見ると、壁から伸びている手は横穴へと繋がっている。屈んでようやく通れるほどの穴が開いていたのだ。木箱や資材でそれとなく隠されていたので、よく見ないとわからない状態だった。

 イテツはそれを見つけ、一足先に潜り込んでみたらしい。

「…………驚かすんじゃねぇやぃ」

「…驚かすつもりはなかったよ、でもここから飛び出されても困るから」

 狭い横穴から這い出てきたイテツは、肩に被った土埃を払いながら立ち上がる。

「頻繁に使われているものではないにしろ……最近、使ったというのはわかるね」

 数メートル進んだ先に行き止まりがあったが、そこには木で作られたドアのようなものがはめ込まれている、と言った。明らかな人工物、そして板の隙間からは微かに光が漏れている。この先の空間が拠点の一部であることには間違いなさそうだ。

 さて、どうすっかな、とタロウは腕を組んで唸った。

「まぁ、入るしか選択肢はねぇけど? 向こうの様子が全くわからないわけだが。……鉢合わせる事を前提に飛び込んだとして、方角的にはどっちに行けばいい?」

 はぐれた時の事の事も考えて方向は定めておきたい、というタロウの言葉を黙って聞いていたイテツは、それもそうだ、と軽く息を吐く。

「……方角的には北西方面、鉢合わせたら応戦、強行突破しよう。援護は任せてくれ」

「よしきた」

 タロウは脚に吊っている拳銃を取り出し、弾倉を確認して右手に握り込む。先に横穴に入り込んだイテツは閃光手榴弾を掴んでいた。

 木の板をぐっと押すと、それはあっさりと外れ二人は狭い横穴から坑道跡地へと進んだ。坑道内は等間隔に配置された電球が弱々しい光を放っている。採掘が終わり使われなくなって久しいはずが、電気が通っているところを見ると別の目的によるものということはわかる。二人は慎重に足を進めた。

 しばらく進むと開けた空間に到達した。彼らが進んできた道以外に、4つの行き先がある。道の規模は様々で、ようやく人が一人進めるほどの細さから、おそらくはトロッコの通り道であったであろう太さまである。

「…方角的には右手側の2本か……どっちに行く?」

「……え、俺に聞く?」

「なんかこう、タロさんの時に鋭い感覚はどっち選ぶのかな、って」

 興味本位、とイテツは付け加えた。あぁそうかい、と投げやりに返事をして、実際にどちらに行くべきかをタロウは考えた。人が通ることを想定した細さの通路、その横はおそらくトロッコ用だったのだろう。

 どちらかがこの先の宗教団体が潜む空間へ繋がっているとしたら、信者達はどちらを使うのかと想像する。そして自分にも置き換えてみる。自分だったら、もし自分が信者でこの空間を歩く者であったのなら。

「……細い方……か」

「じゃあ、そっちで」

「……まじで、そんな判断でいいのかよ……」

 イテツの即答に驚き半分、呆れ半分で返すと、イテツは自分より少し高い位置にあるタロウの目を見つめる。あまりに真っ直ぐ向けられたものだから、タロウは内心動揺したが外には出さまいと抑え込む。目を見られていたから、もしかしたら自分の目は口ほどにものを言ってしまったかもしれないが。

「いいよ」

 イテツは一言そう言うと、タロウの目から通路の方へ向き直る。タロウはその後ろ姿を見ながら、先程の短い返答に全幅の信頼が込められているのを改めて感じ、喜びとそこに含まれる少しだけ締め付けてくるような感覚を同時に自覚した。

 二人が選んだ通路へ進もうとした時、後ろから物音が聞こえる。同時に振り返った瞬間、別の通路から歩いてくる信者と目が合ってしまった。信者は侵入者に慌てふためき、持っていた笛を勢いよく吹く。狭い通路に反響し、拡大された音は耳を貫く勢いだった。二人は顔をしかめ耳を塞ぐが気休めにもならない。そして信者はもと来た道を大慌てで戻っていく。

「こいつはマジでやばいな!」

 耳鳴りに呻きながらタロウが言う。耳を抑えながら壁際に下がると、信者たちは三方向からわらわらと湧いて出てきた。彼らの手には棒状の様々なものが握られているが、銃器のようなものを持っている者はいなさそうだ。集まった信者達をぐるりと見渡し、イテツが頷く。

「……よしわかった、タロさんはこの通路を予定通り進んでくれ。おれはこの通路の幅で信者を抑えながら進むから」

「…………あぁ、お前がそう言うならそうするさ! 万が一、この先がハズレだったら爆速で戻って来るからな!」

「ハズレでない事を祈るよ」

 イテツの合図でタロウは通路に駆け込んだ。それを追おうとする信者の前に立ちはだかり、イテツは手に握っていた閃光手榴弾を彼らの頭上に放る。突然投げられた物体を律儀に目で追った信者達は、強い光に目をくらました。咄嗟に顔を反らせてあまりダメージを受けなかった者もいる。手に持った武器で襲いかかってくる信者を相手にするため、イテツは通路の方まで下がった。シャベルや鍬、角材を持った信者達は急に細くなった通路で詰まりはしたが、2人ずつ進んでくる。この通路の幅では、武器の形状もあり二人でも狭いくらいだろう。

 イテツは伸縮式の警棒を取り出し、最長まで伸ばすと構えて相手の出方を待つ。

 鍬を構えた信者が大きくて振り上げて駆け込んできた。やはり二人同時に来ることは無理なようだ。一人ずつ相手にできるならそれほど難しいことではない。

 振り下ろされる前に、相手の懐に潜り込んで鳩尾を警棒を握った拳をめり込ませる。崩れた信者の後ろからシャベルで殴りかかろうとしていた相手には、警棒を横に振り抜き顔面を殴打する。呻きよろめいた信者を正面から蹴りつけ、通路の外へ押しやった。

 次は我先にとイテツに襲いかかろうとする者が増え、渋滞を起こし彼らは思うように動けないでいる。その様子を見ながらも冷静に、イテツは端から丁寧に信者達の相手をした。




 坑道の奥にある、特別な一室には教団の司祭と思しき人間が二人、そして信者が一人、イグナシオの前に立っていた。

 点滴の管に繋がれ、断続的に薬物を投与され続けているイグナシオは、薄く目は開いているものの意識など無いに等しかった。台座の上に座らされ、身体には白い布が幾重にも巻かれている。しかし彼を前にした司祭の二人の表情は渋い。

「……このまま、この者を捧げるか否か……」

「……肉体、魂はどちらも素晴らしいはず……いやしかし……」

 二人はどこか煮えきらない様子でブツブツと呟き合っている。信者の一人はその後ろに控え、黙って立っていた。

「……神に捧げる肉体がここまで傷だらけで如何に……如何に……」

「……これでは捧げるに値しないか……しかしそれ以外は素晴らしい……」

「……はて、どうすべきか……」

「……これほどにまで傷跡があるということは、他に誰かに既に穢されたのではあるまいか……」

「……その可能性は、大いに……」

 イグナシオの身体に残る無数の傷跡、それは岩塩採掘場での労働をしていた時に負った虐待の数々によるものだ。虐待などという一言では収まらない、地獄のような拷問の日々を耐え抜いたのである。

 しかし、教団の司祭達にそのようなことは関係ない。彼らの頭の中に今あるのは、神に捧げる器として相応しいか否か、である。より良い存在を求め続けてきた彼らにとって、まさに望むべき対象がようやく手に入ったのだ。傷跡のことさえ除けば。

 司祭の一人は軽くため息をつき、仕方ない、と呟いた。その右手には懐から出した拳銃が握られている。

「……仕方ない、これは実に仕方のないことだ」

「……司祭殿がそう判断するのであれば……仕方のないことだ」

「……彼の者に匹敵する器を探し出す他あるまい」

「……そうするしかあるまい……」


 司祭の右手はゆっくりと持ち上げられ、銃口はイグナシオに向いている。右手の人差し指に力が込められた。


 5発、銃声が鳴り響く。




 イテツと別れ、薄暗い坑道をタロウはひた走る。ずっと一本道で、どこまで続くか見当がつかない。このままこの道を選び続けていいのだろうか、本当にこれが正解なのか。進むにつれ、不安がもたげてくる。

 進むべきか、イテツの元に加勢するため引き返すべきか。

 しかし自分が選択した方であり、イテツはそれを信じて足止め役を引き受けている。中途半端では戻れない。

(……ん? 雰囲気が変わったな……)

 無機質な岩の壁には変わりないが、ある地点から受ける印象が変わった。今まで通ってきた坑道に比べれば整っている。更に進むと、岩壁にドアがはめ込まれている箇所も出てきた。試しにドアノブを捻るが鍵がかかっている。

(……なるほど、居住スペースみたいなモンか)

 これならばきっと監禁場所も遠くないのだろう、タロウは気配を殺しながら進む。おそらく居住スペースと思われる場所を抜けると、また通路の幅が広くなった。

(礼拝堂みたいな……そういう場所に繋がってる感じか?)

 照明も電球ではなく、蝋燭に火が灯されていた。等間隔に揺らめくそれは、どこか儀式めいたものを感じる。気分のワリィ場所だ、とタロウは呟きながら進んだ。

 タロウが警戒しながら歩いていると、突然、前方から発砲音が響いた。それも1回ではなく、2回、3回、そして5回鳴ったところで途切れた。

「!!」

 タロウは慌てて銃声の方へと走り出す。すぐ前方にある部屋のドアが、薄っすら開いていた。彼は迷いなくそこへ飛び込む。

 一人の身なりのいい男は銃を握っていた。その男が銃口を向ける先に、イグナシオがいる。二人の間に割って入ったであろう青年が銃弾を浴びていた。もう一人の身なりのいい男は立ったままその光景を見ている。

 急に部屋に飛び込んできたタロウに気が付き、振り向きかけた二人だったが、彼らの視界はタロウを捉えることはできなかった。

 それよりも早く、タロウの銃から発射された銃弾は、二人の頭蓋にめり込んだからである。

 タロウは銃を投げ捨てるかのように床に落とし、イグナシオと彼を庇ったであろう青年の元へ駆け寄った。イグナシオの様子は尋常ではないが脈はある。声をかけても軽く揺すったり顔を叩いても無反応だ。腕に刺されたままの点滴の針を引き抜き、ゆっくり床に寝かせることしかできない。

 そして彼を庇い銃弾を浴びた青年の身体を抱き起こした。一目で助からないとわかる状態だった。それでもタロウは声をかける。その言葉は彼が使えないフリをしていた英語に変わっていたことを、自覚しないまま懸命に呼び続けていた。しっかりしろ、諦めるな、大丈夫だ。

 

 ―俺がいるぞ―


 青年はその声が聞こえたのか、タロウの方を見ようとしたのか、少しだけ頭を動かして目を開こうとしたが、その動きは止まってしまった。その瞬間、言いようのない重みがタロウの腕にのしかかった。

 

 そう、この感覚には覚えがある。

 遠い異国の地で、同じようなことが。

 大切な誰かは、いつだってこの腕の中にいても、守りきれなかった。


「〜〜〜!!!」


 ――俺は何故、いつも、いつも間に合わねぇんだ……!


 その叫びを部屋の外で聞いている者がいることなど、今の彼には気付くことができなかった。




 ふと、タロウは部屋の外で物音を聞いた。足音だ。青年を抱えたまま反射的に部屋の入口へ、持っていたもう一丁の銃を向けるが、駆け込んできたのはイテツだった。タロウは謝りながら銃口をさげる。

「……いや、いいんだタロさん……。それより、これは一体……」

 足元に落ちていたタロウの銃を拾い、差し出しながらイテツは言った。

「……俺にもよくわからねぇ…。銃声が聞こえて飛び込んだらこいつがイギーを庇ったみたいで……」

 俺は反射的にそいつ等を撃った、と司祭達の方は見もせずタロウは呟いた。イテツは横たわるイグナシオに駆け寄り、その状態を見る。タロウが点滴の針は抜いたが、それまでどれだけの量の薬物を投与されていたかわからず、生きているとしても危うい状態だった。

「救援部隊を」

 呼ばなければ、と言い終わる前に大勢の足音が響いてくる。信者達が二人を追い、迫って来ていた。彼らは部屋になだれ込み、倒れる司祭を見ると口々に何かを喚いている。

 今まで青年を抱き抱えて座っていたタロウは、彼を床に横たわらせると力なくゆらりと立ち上がり信者達の方を見た。その目には怒りとも悲しみとも言えない複雑な感情が宿っている。

「……これが、てめぇらの信じた神に使える者とやらの姿だ」

 タロウの言葉を、イテツは信者達にわかるよう通訳をした。淡々と聞こえてくる言葉と、目の前から発せられる感情にあまりに差がありすぎて、信者達は目に見えて動揺していた。

「神の名を語って私腹を肥やすばかりの人間に良いように利用されてただけなんだぞ……!」

 タロウが一歩踏み出すと、彼らはその分、下がろうとしたが後ろが詰まっており、最前列が少しだけ仰け反った。

「現実を見ろ、救われねぇ物に縋っている己という現実を」

 ここで言葉を区切ったタロウが前を見据え、これまでの鬼気迫る感情を抑えて静かに言い放った。

「……理解できねぇ奴は今まで通り、信念とやらを持ってかかってこい。そうじゃねぇ奴は帰れ、見逃してやる」

 彼の言葉に、一人が飛び出した。手に持った鍬をタロウに向かって振り下ろす。しかしそれはタロウに届くことはなかった。タロウが冷静に、襲いかかってきた信者の眉間に銃弾を一発、撃ち込んだからである。

 血飛沫を上げ、倒れ込んだ仲間の姿をそこにいる全員が目で追っていた。

「次」

 冷静なまま言い放ったタロウの言葉が固まった彼らの時間を動かした。我先にと、この場から逃げようとして混乱が生じたが、一人残らず散っていくのにそう時間はかからなかった。

 タロウは銃を納め、イグナシオを庇って倒れた青年の傍らに膝をつき、その目を閉じさせた。

「……テツはイギーを頼む。今度は俺が護衛に回るから」

「……あ、あぁ」

 イテツは意識のないイグナシオをなんとか背負い、部屋を出て再び通路を奥へ進む。このまま行けば北西方面の山の斜面に出るらしい。

 ようやく電波が通じる場所まで到達できたので、イテツはアヤメに連絡を入れた。

『……遅かったじゃない!心配したわよ!』

「……すまない、ようやく電波があるところまできたよ。なんとかイギーは救助できたんだけど、大量の薬物投与をされていて危ういんだ。坑道を抜けた北西方面の斜面に向かってる。そこに救助ヘリをつけてくれ」

『イギーのメールにあった位置座標と照らし合わせて、だいたいの位置は予測して集落近くにヘリを待機させてるから。すぐ向かわせる』

「……あ、あと救助ヘリにマケラ記者を同乗させるよう言ってほしい」

『……それはいいけど、なんでまた』

「……きっと、イギーの治療の間は彼のような存在が必要なんじゃないかな……状態が状態だし、家族だと……」

『……あなたの言わんとしていることはわかるわ。一旦、集落を経由させるわね』

「……ありがとう、アヤメさん」

  坑道を抜けた先は、山の斜面が緩やかに下へと伸びていた。遠くでヘリコプターのローター音が聞こえてくる。イテツは発煙筒を焚き、居場所を知らせた。

 上空で静止したヘリコプターから救助部隊が降下してくる。彼らにイグナシオを託すと、直ぐ様ヘリコプターは上昇していく。

「……イギーのことはマケラ記者に任せよう。おれたちは後始末だ」

「……」

 ヘリコプターを見送った二人は、再び坑道内へ、先程の部屋へ戻った。




 集落上空にいきなりヘリコプターが来たかと思えば、降下してきた救急隊員に同乗願いますと言われ、半ば拉致られるかのようにオリヴェールはヘリコプターに乗せられた。機内でわけがわからずにいると、これからベネガスさんの救助へ向かいます、と一人の隊員に告げられる。

「……! 救助、ってことはイギーは無事なんだな?」

「……一命は取り留めたものの、危うい状態であります」

「……そんな……」

 思わず隊員に詰め寄るが、彼は冷静にそう言った。

「いたぞ、あそこだ!」

 パイロットが前方を指差して叫ぶ。山の斜面の中程から発煙筒の煙が微かに見えた。

 ヘリコプターは上空で静止し、二人の隊員が山の斜面へ降下していく。そして彼らに抱えられてイグナシオはヘリコプターに引き上げられた。

「……っイギー!」

 ぴくり、とも動かないイグナシオにオリヴェールが叫んだのも束の間、隊員達は慌ただしくイグナシオの処置に入る。オリヴェールは離れたところでそれをみていることしかできない。何をされてもイグナシオは意識のないままだった。

 病院までの飛行時間はそれほど長くないはずなのに、ずっとこうしているような錯覚さえ感じた。

 処置が一通り終わったところで、名を呼んでも、手を握ってみても全く反応が帰ってこない。指の一本すら動いてくれない。握った手は恐ろしく冷え切っていた。

「……イギー……!」


 ――大丈夫だよな、生きてるよな。


 声に出して確認するのが、これほどまで恐ろしいとは思わなかった。指先に血が通うようにそのままマッサージし続けてください、と隊員に言われ、起きてくれ、と願いを込めて懸命に擦る。


 大きな病院の屋上に着陸すると、待機していた医師達がイグナシオをストレッチャーに移し院内を移動する。バタバタと走りオリヴェールはそれに続いた。

 しかしながら、それも緊急処置室の手前までだった。

 処置が終わるまで外で待っているよう言われ、力なく廊下の長椅子に腰掛ける。

(……こんな、こんなことって……)

 できる事など何もなく、ただ、うろたえることしかできない。頭を抱えて下を向けば、後悔することばかりが頭の中を駆け巡っていた。

 

 何故、あの時イグナシオと離れてしまったのか。

 一瞬たりとも離れなければ良かったのに。

 何故、もっと早く異変に気が付くことができなかったのか。

 イテツがあれほど注意しろと言っていたのに。


 何故、自分はこんなにも無力なのか。 

  

「……クソォ……ほんとクソ野郎だよ」

 頭を抱えていた姿勢から、天井を仰ぎ見ながら呟き後ろの壁に力なく寄りかかる。固い壁が背中に当たったとき、唐突にタロウが背中に手を当てたことを思い出した。


『苦しい時かもしれないが、そういう時こそ背筋を伸ばしていろ』


(……背筋を……伸ばす……)

 心の中で唱えながら、椅子に座り直し姿勢を正そうとした。俯いていたときより視線が上がるので、先程より視界が開けたように感じた。背中を丸めて縮こまっていた時より、深く呼吸ができる。意識的に深呼吸を数回行うことで、随分と冷静さを取り戻せた。

 おそらく、タロウが伝えたかったのはこういうことなのだろう。

 それに過去の過ちを羅列し、自分を責めることはいくらでもできるが、それでは何も変わらない。そんなことに思考を支配されていては、今こそ必要な事に頭を働かせることができなくなってしまう。重きを置くべきところはそこではないのだから。

 オリヴェールが自ら冷静さを取り戻したところで、処置室から一人の医師が出てくる。だが、処置室のランプはまだ消えていない。

「……あなたが、付き添いの方ですね」

「……オリヴェール・マケラと申します」

「では、マケラさん。ベネガスさんの容態についてですが」

「……はい」

 オリヴェールは大きく呼吸をして、医師の言葉の続きを待つ。

「…致死量近い禁止薬物の直接投与を受けていたようで、現在は血中濃度を下げる為の処置を行っております。同時に鎮静剤にて落ち着かせているところですが……これで特別病棟に移って経過を見ます。しかしながら、薬物の血中濃度が下がるということは、禁断症状も出るということです」

「……それは」

「……あなたの知るベネガスさんの姿ではないでしょう。目を背けたくなるかもしれません。それでも、禁断症状が表れた際にはあなたがナースコールを押し、しかも医師が駆けつけるまでの間、彼を押さえていただかなくてはなりません」

 並大抵のことではありません、と言われたが覚悟するしかない。自分に課せられたのであれば、責任を持って立ち向かうまでだ。

「わかりました」

「では、もう少しここでお待ち下さい。処置が終わり次第、病室までご一緒に移動をお願いします」

 オリヴェールの意を決した目を見た医師は、そう言って再び処置室へ入っていく。

 しばらくして処置室のランプは消灯し、ストレッチャーに乗せられたイグナシオと医師が出てくる。やはり全く動く様子がないが顔色は幾分かマシに見える。移動する医師たちの後を追い、病室に入った。

 病室のベッドに移され、点滴を受け続けて眠るイグナシオの傍らに立つと、医師は、何かあったらすぐ呼んでください、と言って出ていった。

 薄暗い室内で眠り続けるイグナシオの様子を改めて見た。胸部は規則正しく上下に動いているし、氷のように冷たかった手も血流が巡ってきているようだ。ここでようやく、生きて戻ってきてくれたと実感することができた。ベッド脇の丸椅子に座り、一息つく。

 しかし、医師が言うには本当の闘いはこれから始まるらしい。不安が無いわけではなかった。禁断症状がどういう形で表れるのかもわからない。

(……俺に、できることなのか……?)

 立ち向かわねばならないという決意は揺らがないが、自分に対処できるかどうかはまた別問題だった。

「……なぁ、イギー」


 どう思うよ、という問いを含めて彼の名を呼んだが、もちろん答えは返ってくるわけもない。



 オリヴェールは、どうやら自分は椅子に座ったまま眠っていたらしい、ということに気が付いた。思えばずっと緊張したままで気を張っていたから、ここで少し緩んだのかもしれない。それもそうか、と軽く首を回して伸びをする。イグナシオは変わらず眠ったままだった。

「………う…うぅ……」

 だが小さく呻き始める。いままで指の一本すら動かしていなかったが、小さく唸り身体をよじる。

「イギー……? …なぁ、大丈夫か」

 声をかけても聞こえていないようだった。少し呻いたかと思ったら、急に目を開け錯乱したかのように叫び声を上げる。

「……あっ…うわああああぁぁぁあっあぁー!」

「……イギー……!」

 突如として暴れ出した身体をオリヴェールは懸命に押さえようとする。しかし力の差は歴然で、到底敵うわけもない。ナースコールは押すことができたが、問題は医師の到着まで彼を押さえなければならない。

(……このままじゃ舌を噛んじまう……!)

 だが指を彼の口に入れるのは躊躇した。あの力では噛み切られてしまうかもしれない。少し迷い、自分の左腕を噛ませることにした。それでもすごい力で、腕を引こうものなら肉が持っていかれそうだった。

「イギー!」

 どんなに呼びかけても、見開いたイグナシオの目にオリヴェールは映っていなかった。腕を噛ませたまま、暴れるイグナシオに馬乗りになって体重をかけてなんとかベッドに縫い付ける事ができたところで、医師たちがようやく到着する。オリヴェールの腕を口から離し、落ち着かせる為に薬を投与し、点滴の針を挿し直す。

 オリヴェールの腕からは血が流れ、それも医師が処置に入る。

「……無茶をしましたね」

「……あんな、暴れて……舌を噛んだら困るし……でも腕にして正解だったな……」

 指だったら2本は無くなってた、と呟く。医師はそうかもしれません、と処置を行いながら同意した。

 医師たちが去り、再び意識を失ったイグナシオを前にして、あと何回これを繰り返せばいいのだろうか、と途方に暮れた。そもそも、自分の知るイグナシオに戻ってくれるのか、それすらもわからない。

 イグナシオは目が覚める度に、ある時は叫び暴れ、ある時は怯え泣き、ある時はひたすら震えていた。その都度、オリヴェールの左腕は歯型や強く掴まれた痣が刻まれていく。

 この苦痛はとても言い表せるものではなかった。それでも、入院着から覗くイグナシオの全身にある傷跡の存在が、耐えなければならないという決意を強くさせた。

 今日も今日とて、目を覚まし怯え震えるイグナシオの頭を抱き締める。


 大丈夫だ、今日も俺がいる、と。


 そんな日々が1週間ほど続き、さすがのオリヴェールも疲れ果てていた。そして眠るイグナシオを見つめ、今日は起きたらどんな行動を取るのだろうかとぼんやり考える。小さく呻くイグナシオに、仕方ない今日もかかってこい、と意を決した。

 しかし、どうも今日は様子が違うらしい。目を覚ましたようだが、暴れる気配はなさそうだ。

「……ウゥ……」

 目を開け、ぼんやりと天井を見つめている。恐る恐る名を呼ぶと、目がオリヴェールの方を向く。今までとは違い、その目はオリヴェールに焦点が合っていた。

「……おり、サン…………?」

「……! あぁ、そうだ、イギー。オリさんだぞ」

 オリヴェールが顔を覗き込むと、イグナシオがもう一度オリヴェールの名を掠れた声で呼ぶ。

「……ナンだか、おナカ空きマシた……」

「……そうだろうよ。……ちょっと待ってな、医者を呼んでからな」

 

 オリヴェールは喜びと痛みに震える手でナースコールを押した。


 医師たちの検査を受け、イグナシオは一般病棟へ移ることが決まった。体調も回復しており、数日で退院の見込みとなる。

 オリヴェールはようやく心の底から安心できた。そしてずっと携帯電話をチェックしていなかったことをここで思い出す。1週間分の着信履歴にはトーマスの名前が並んでいた。何度も電話をくれていたらしい。そしてメールが一通、もし余裕があれば連絡をくれ、と書いてあった。

 彼は手短に、イグナシオの入院に付き添っていること、退院の日が近いことを取り急ぎメッセージで送った。するとすぐ返信が入る。

 ―退院の日が決まったら教えてくれ。車を手配するから―

 どうやら病院から集落までは車で帰ることができるらしい。さすがにバスを使ってまた歩いて帰るなんて、退院したばかりの人間にさせるわけにもいかないだろう。

 尤も、イグナシオだったら歩けるのかもしれない。そしてオリヴェールの方が早々に音を上げるに違いない。


 一般病棟に移ってからのイグナシオの回復速度には目を瞠るものがあった。退院の日も早々に決まり、オリヴェールはトーマスに連絡をいれる。

 そして退院日になり、病院の前には1台の車が停まっていた。この車がトーマスぼ言っていた迎えということはすぐわかった。運転手の顔はなんとなく見覚えがある。

 直接的な関わりはなかったが、あのイテツたちと信者を追い返す時に見張りなどの協力していたメンバーの一人だった。

 軽く会釈をし、感謝を述べて車に乗り込むと、彼は集落へ向けて車を発進させた。


 集落に着き、二人を降ろすと車はもと来た道を走り去っていく。

 イグナシオの家に向かえば、帰ってきたことを知った彼の両親はイグナシオを強く抱き締めた。オリヴェールが思わずその光景に感動をしていると、二人は今度はオリヴェールに対して同じように強く抱き締めてくる。

 ありがとう、と繰り返し言われ、オリヴェールは二人の背中にぎこちなくも手を回し、それに応えた。ようやく解放された頃、オリヴェールが見たのはマリエラと幼い双子にがっちりと捕まっているイグナシオの姿だった。抱擁というより拘束と言う方が近しいのではないかと思えるほどの。

 そういえば、イテツとタロウの二人が見当たらないと言えば、彼らは既にこの集落を去った、とイグナシオを拘束したままのマリエラが言う。

「例の宗教団体の奴らを追い払って、坑道も閉鎖したから帰るって、何日か前に出てったよ」

「……そうか。ちゃんとお礼が言えてなかったから会えないのは残念だ」

 マリエラはイグナシオから離れ、オリヴェールの横に立つと声を落として続きを話す。

「……実は、あの二人がここに帰ってきたとき、もう一人を背負っていて、そのもう一人は既に死んでいたんだけど……どうやらその男が兄貴を庇って命を落としたらしくって」

「……なんだって?」

「その男が兄貴を守らなかったら、殺されてたのは兄貴方だったって。真の英雄はその男だから、せめてこの地での埋葬方法で彼を弔ってほしいって言ってさ。それを聞いた親父とお袋が、ベネガス家に埋葬するって決めたんだ」

「……そう、だったのか…」

「ベネガスの墓は…というかこの地の墓地は崖にある横穴の中なんだ。数日後に安置するために行く予定だから……アンタが良けりゃ兄貴と一緒に行ってやってくれよ」

「そうだな……それは確かに行かなきゃいけない気がする」

 イグナシオを助けてくれたという男に、ちゃんと会って話がしたかった。話、というよりはオリヴェールの一方的な報告になってしまうだろうけれど。

 

「……ありがとう、兄貴と帰ってきてくれて」


 そう言うとマリエラはぎこちなくオリヴェールに抱きついた。あのマリエラにハグで感謝される日が来るとは思っていなかったオリヴェールは驚き固まったが、すぐそれに応える。


「……俺にできたのは微々たる事だったけど……一緒に帰ってくることができて本当に良かった。君の兄、イグナシオは強い男だな」 


 マリエラは頷くと、オリヴェールから離れた。イグナシオの帰宅は集落中に知れ渡っているので、ひとり、またひとりとイグナシオに声を掛ける者が増え始める。さすがに退院したばかりだから後で、とマリエラが集まった人間を散らしていた。



 

 宗教団体がいなくなったことで、日々、緊張を強いられていたであろう集落全体に、ようやく穏やかな雰囲気が漂うようになった。 

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Noトラブル!Noライフ! とりのめ @milvus1530

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