第4話 乾いたところで旅をさせよう


 オリヴェールは利き手の骨折から二ヶ月、使いにくいながらも日常生活にもだいぶ慣れてきた。医者からは三ヶ月くらいと言われていたので、この調子ならまぁ順調なのだろう。仕事量も徐々にだが増やせている。

 そして骨折のきっかけの一端でもある、イグナシオの住む集落の学校建設もスローペースながら順調らしい。届いた手紙に目を通しながら、あの過酷な大地に思いを馳せた。

 一枚目は現状報告など、そして二枚目には下の方に遠慮がちにこう綴られている。


『追伸

 集落はまた別の問題を抱えることなってしまいました。どこかの宗教団体の信者が集落に押し入っては生贄を探しに来ています。私達は抵抗していますが、彼らは暴力も厭わぬ集団でした。連れ去られた者は帰ってきません。抵抗した者は殺されました。どう考えても異常です。私達はどうしたらいいのでしょうか。どうか知恵をわけてください』


 その文章を前にオリヴェールは頭を抱えた。まさか、新たな問題を抱えていたとは。大慌てでパソコンを開き、イグナシオの言う新興宗教団体を調べ始めた。彼の手紙からそれらしいキーワードを拾い、どんどん検索にかけていく。膨大な情報を取捨選択していると、それらしい投稿を発見することができた。

「……ミイラを神と崇める……神にはふさわしい器が必要……ふさわしい器に必要な儀式……救いを求める者に手を差し伸べるため……」

 信者を募るページだろうか、どうも思想が独特な宗教団体という印象は生まれる。この団体がそもそも狂っているのか、一部の信者が理念を捻じ曲げて解釈し、行動を起こしているのか。

「……トムなら把握してるか……?」

 自然科学、民俗学、人類史といった分野が好きで個人的に取材に出るような男だ、何かしらの情報を持っている可能性もある。この手紙と同じ内容がトーマスにも送られているのであれば、すぐさま連絡が来てもおかしくない。ということであれば、この宗教団体の件は自分宛ての手紙にだけ書いたのかもしれない、とオリヴェールは考えた。

 しかしこれは自分一人でどうにかできる内容でもなく、イグナシオが助けを求めているならば協力者が絶対に必要だ。彼は携帯電話を勢いよく掴み、トーマスに電話をする。いつもより呼び出し音が長かったが、トーマスは電話に出た。少し焦っているような口調で、ちょっと移動するから、という一言が終わらぬ内に保留音が流れる。

『……いやー、悪いなオーリ。ちょっとバタついてて』

 もういいぞ、といつものように陽気なトーマスの声が返ってきた。

「……おぉ、忙しいところ悪いな。イギーから久しぶりに現状報告の手紙が届いて」

『そりゃあ良かった。サムの方にも進捗関係の業務連絡は入るけど、集落の様子とかまでは書かれてないからさ』

 で、元気そう?とトーマスが聞いてくるということは、宗教団体の件は業務連絡の方には書かれてないようだ。少しの沈黙を訝しむトーマスに、思い切ってイグナシオの手紙に書かれていた宗教団体の話をする。

 今度はトーマスが沈黙する番だった。

「…トム……」

 沈黙に耐えきれず、思わずトーマスの名前を呼ぶと、彼は電話の向こうで何やら唸っている。

『……その団体、俺も噂にしか聞いたこと無くて、ほんとに存在しているのかも不明だったんだが……イギーが言ってる時点で存在は確定したわけか……』

「トムも情報は得てるのか」

『まぁ、こういうのは出処が不確かだし大抵がフェイクだったりするしな。不確かな情報に踊らされて無駄足ばかり踏まされたが……今回は確定と見ていいだろう。内情暴いて、教団関係者は逮捕されて、イギー達のところに手出しできないよう解散させちまえばいい……と言いてぇところだが、もちろん俺は行けない状況にある』

「マジか」

『行くならオーリ、お前しかいない』

「……そんな気はしてたな……」

 少し唸りながらも考えたオリヴェールだが、その時点で本音は行くしかないのだと覚悟を決めていた。

『……正直言って、今回はマジでヤバいと思う。それでも行くっていうなら、こういう時に俺が雇っているボディーガード兼通訳を二人、オーリに付けるぜ』

 費用は俺が出すから気にするな、と言うトーマスにオリヴェールは感謝を述べた。

『彼らとは現地集合、現地解散な。集合場所は前にサムと待ち合わせした町の役場前、ってことでいいか?』

「……あぁ、じゃあそれで」

『オーケーオーケー。…あぁ、そうだ。お前のボディーガードだけど二人とも民間警備会社に所属してる日本人

なんだ。一人は語学が全然ダメだけど腕っぷしは信用していい元自衛官。もう一人は英語はもちろんスペイン語もフランス語もロシア語もわかる語学堪能な元警察官だから安心してくれ』

 詳細は後で送っておく、ということで話は終わった。

 すぐにオリヴェールのパソコンへ今回ボディーガードに就く二人の情報が届く。ざっくりとした経歴に顔写真をが添付されていた。いきなり初対面の外国人がボディーガードと言われても安心はできないが、友人のトーマスが信頼しているなら、と自分を納得させるしかなかった。

 それよりもまたあの過酷な土地に行くのかぁ、という事実の方が彼には重くのしかかる。




 飛行機を乗り継ぎ、オリヴェールは再び南米の地に到着した。相変わらず時差ボケは酷いし、標高の高さ故に不調が上乗せされ、今回もコンディションは最悪だった。前回と同じホテルを予約しており、重たい身体を引き摺って行く。部屋に着くなり、荷物を開くことなくベッドに突っ伏した。二日後、写真でしか知らないボディーガードと共に、またあの坂道を登って行かなければならない。

 できるだけ休んで少しでも体調を整えよう、彼はそれしか考えられなかった。


 二日後、予定通り待ち合わせ場所の役場前へ到着した。ただ、予定と違ったのはチンピラのような出で立ちの三人組に絡まれ、建物の陰に連れ込まれたことである。ナイフをちらつかせて何かを喚いているが、スペイン語らしくオリヴェールにはまるで何を言われているかわからない。雰囲気としては金目のものをよこせ、といったところだろう。

 下手に抵抗してケガでもしたら厄介だし、もっと悪いことに殺されかねないという危機を感じ、オリヴェールはとりあえず持っている紙幣を全部出すことに決めた。ここで無一文にはなるが、命さえ無事ならなんとかなるだろう、と腹をくくる。

 金を出す、という英語はわかったらしい。男達はナイフを少し下げ、オリヴェールの動きを待った。オリヴェールはゆっくりとポケットに手を入れようと動く。その次の瞬間、目の前の男の内二人が視界から消えた。

「!?」

 もう一人が異変を感じ振り返ろうとすると、横から飛んできた拳にあっさりと地面に沈められる。最初の二人は既に意識を手放しているのか、ピクリとも動かない。顔面を殴られた三人目は痛みに呻いて地面を転がっている。

「……た、助かった……」

 感謝を述べようとしたが、黒髪を団子結びに結い上げている方の男がそれを制し、それよりもこの路地裏から出るよう促した。人通りの多い場所に出て、三人は一息つく。改めてオリヴェールは二人に礼を述べた。

「……危ないところを助けてくれてありがとう」

「いえ、間に合って良かった。あなたがトーマス・スミスの言っていた新聞記者のマケラさんですね。おれはイテツ・アンドウ。主に通訳をしています。こちらの彼はタロウ・サトウです。荒事に慣れています。どうぞよろしく」

「あぁ、こちらこそよろしく」

 オリヴェールはまずイテツと握手を交わし、次にイテツから通訳をされたタロウと握手を交わす。がっしりした手を握ると、タロウはオリヴェールをじっと見つめている。少し手を握る時間が長いのでは、と訝しげに手と顔を交互に見るとタロウはパッと手を離した。その後も妙に視線を感じるが、とりあえず気が付かないフリをする。

「では、ここから件の集落へどう行けばいいのか教えてください」

 オリヴェールはここから目的の集落への行き方を歩きながら説明した。バス乗り場ではワゴン車が一台停まっており、オリヴェールは今から言う事をイテツに通訳をしてほしいと頼む。イテツは伝えられた通りの内容を運転手に言うと、乗りこむよう言われそれに従った。

 バスは道なき砂漠を走り続け、今にも崩れ落ちそうなバス停の前で停まり、三人を降ろして走り去った。

「……で、ここから集落までは歩きになる」

 延々と続く坂道を示され、思わずイテツとタロウは顔を見合わせていた。見える範囲には集落らしき影は全くない。三人は覚悟を決めて足を踏み出した。

 元自衛官と元警察官であり、現在も諜報機関に所属し幅広く活動している二人にはなんとかなる道中でも、二回目とはいえ普通の生活をするオリヴェールには過酷に変わりなかった。嘔吐はしなかったものの、やはり途中で力尽き、タロウとイテツに交互に背負われながら集落まで向かうことになる。

「……助かった……申し訳ない……」

 集落に着き、オリヴェールはタロウの背中で小さく呟くことしかできなかった。三人の到着を見た集落の人々の行動は早い。担がれているオリヴェールに駆け寄ると彼の両脇抱えて建物内へ運んでいく。残された二人に話しかけるのはこの集落の長だった。

「……遠い所からお越しいただきありがとうございます」

 彼は深々と礼をしてそう言う。イテツはリアルタイムで通訳をしながら、タロウと共に礼を返した。

「…早速で申し訳ないが、現状を聞かせてください。人数も装備も限られていて、作戦を立てなければ対処しきれないかもしれないので」

 イテツの言葉に頷いた長は、自身の家に二人を案内する。その途中、オリヴェールはどこへ、というイテツの問いに、ベネガス家に運ばれました、と長は軽く振り返りながら言った。

 家に着き、一室に案内をされ席についたところで長は話し始める。イテツはその都度タロウに通訳を行った。

「……現状はイグナシオが手紙に書いたそうで、それはご存知でいらっしゃるかな」

「えぇ、だいたいの部分はマケラ記者から聞いております」

 そうですか、と長は頷いた。

「突然のことでして、妙な集団が集落に攻め込んできたのが始まりです。始祖神の復活がどうとか奇妙な事を言い、神の器にふさわしい者を出せ、とも。目を付けた若者を連れ去ろうとするし、抵抗すれば殺害も躊躇わない恐ろしい連中です。殺されるくらいなら、と従った者はもちろん帰ってきませんし、連中はしばらくするとまた同じようなことを言っては若者を連れ去りにくるのです……」

 長はどうすればいいやら、と項垂れながら小さくつぶやく。イテツは逐一、内容をタロウに通訳すると、タロウが唸り声を上げている。その唸り声を聞き、思わずタロウを見る長に、彼は大きく頷いてみせ、イテツに何かを話している。

「……長殿、我々が集落の護衛を務めます。その為にここへ来ました。悪しき者共を追い払います」

 もう手出しさせません、と言うイテツ、横にいるタロウを交互に見た長は深々と頭を下げた。

「お願いします……でも、こんなこと、お願いして申し訳ない……。我らは、争わない道を選んでこの地に落ち着いた民族なんです……。戦いを知らず、でも滅びたくなく、あなた方の…他の人の力を借りるしかなくて」

 でも、逃げる先もなくて、そう言いかけたところでタロウの大きな手が長の肩に置かれる。顔をあげると、力強くギュッギュッと肩を2回掴まれその手は離れた。言葉はわからずとも、表情や行動で伝わる彼の頼もしさは心強かった。




「……さて」

 二人は集落に滞在する間は長の家で寝泊まりすることになった。部屋に通され、荷物を下ろすとこれからの作戦を考える。

「……基本的な対応は簡単だな。来たらぶちのめす……にしても問題は宗教団体そのものか。解散させなきゃ根本的な解決にはならねぇ……厄介な野郎どもだぜ」

 タロウは顎に手を当てながら唸る。イテツもそこは同意だと答えた。

「……南米支部からの装備も届いてる。長と話した後に話しかけてきた人が派遣されている諜報員だったよ。非戦闘員枠だから、戦力の期待はできないそうで」

「……実質、俺達2人でどうにかするしかないってことな」

 装備品のリストを取り出しイテツは内容をタロウに説明する。

「お、暗視ゴーグル入ってんじゃん」

「……あぁ、夜間に襲撃があるかもしれない可能性と、どうやら宗教団体は使われなくなった坑道も使って移動をしているらしい」

「……テツが銃器を使わないって言ってないのか? 全部、予備含めて二人分あるぜ」

「敢えて言ってない。おれの分はまるまるタロさんの予備扱いにしようと思ってて。足りなくなったら困るし、おれが無駄弾を撃つより、タロさんに使ってもらった方がいい」

「……はぁー、なるほどねー」

 そこまで考えてたんか、とタロウは感心したように呟いた。この集落に入る道は彼らが今回登ってきた道の他に、険しい山を命を捨てる覚悟で進めばいくらでも侵入することはできるらしい。

 どうやら宗教団体はそういった道を使い、犠牲もいとわず侵入を試みているそうだ。

「…実際に対峙してみないとわからないが……異常なことはわかる」

「見張りは集落の男達と交代制で、何もなかったらそれでいいけどよ、襲撃があったら真夜中でも非番でも叩き起こすぜ」

「あぁ、それでいこう」



 それから3日、とくに何もなく、平和な時間が流れていた。オリヴェールは少しずつ、集落を歩き回れるまで身体が慣れてきたようだし、タロウはすっかり子どもたちに気に入られ、いい遊び相手になっていた。

 イテツは器用さと動物好きが買われ、家畜家禽の世話や毛刈りを手伝ったりしている。

「……」

 既に見慣れてきた光景に、オリヴェールはここに来た目的を忘れそうになった。

 子ども達を肩に乗せたり小脇に抱えたりしているタロウが、手際よくアルパカの毛を刈っているイテツに何やら話しかけている。一言二言交わし、タロウの方は再び子ども達と遊び始めた。イテツの方はすぐに一頭の毛刈りを済ませ立ち上がる。刈り取った毛の山を袋に詰めると、それを運んでいった。

「おりサン、お気分はどうデスか?」

 イテツの後ろ姿を眺めていると、イグナシオがオリヴェールに声をかけた。振り返ると、彼は穏やかな笑顔を浮かべている。

「……おかげさまで、元気になったよ」

「それはヨカッタです。それにしても驚きマシた、おりサン、てつサンとお知り合いだったデスね」

「……いや、それについては俺も同じだよ。まさかイギーがあの日本人と既に知り合っていたなんてな」

「世間は狭いもんデス」

 イグナシオが頷きながら言っていると、刈り取った毛を預けてきたイテツがそこへ合流する。

「……やぁ、マケラ記者。気分はどうですか?」

「おかげさまで」

「顔色も良さそうですね」

 オリヴェールには英語で、横のイグナシオにはスペイン語で話しかけた。

「……やぁ、イギー。毛刈りのコツを教えてくれてありがとう。かなり手際よく刈れるようになってきたよ」

「僕のアドバイスなんて、微々たるもので。父さんなんか上達具合に驚いて、テツさんにずっといて欲しいなんてボヤいてましたよ」

「そう言ってもらえて光栄だね」

 普段、表情の変わらないイテツはこの時だけ微かに表情を緩め、声にも穏やかそうな響きを伴っていた。

 しかしそれもすぐ、厳しい表情に切り替わる。遠くでタロウがイテツを呼んでいるからだ。例の宗教団体が集落の近くまで来ているらしい。イテツは、二人に隠れているように伝えると、すぐさまタロウの元へ走り出す。

「……イギー、俺たちも早く隠れよう」

 急いで二人はイグナシオの家に向かった。



「……始祖神さまのため、今日こそ器を得ましょうぞ」

 先頭に立つ男はそう唱え、イグナシオ達の集落に深々と頭を下げた。後ろに控える信者もそれに倣い、頭を下げて何やら祈りを捧げている。


 今日こそ、器を見つけられますように

 始祖神さまに相応しい器でなければなりません

 強き肉体、美しき魂宿る器を

 どうか、そこまで、お導きください



「…………」

「……目がマジだな」

 沈黙しているイテツの横でタロウが双眼鏡を覗きながら呟いた。離れたところで美しく隊列を組み、祈りを捧げているような様子が見て取れる。

「……一見、そんな直接的なことはしなさそうな雰囲気だけど、近くまで来たら豹変すんのかな」

「……どうだろう、おれ達は初めて対する訳だしな」

 集落の入口をイテツとタロウが固め、取りこぼしを集落の男たちが防ぐ、という手段で今回は対抗することにした。彼らとしては、できる限りここで食い止めるつもりではあるが、万が一取りこぼしてしまうリスクも計算しなければならない。

「お、動いた」

 信者たちは祈りを捧げ終わったらしい。隊列はそのまま、彼らは前進を始めた。そしてその手には宗教団体の持ち物にしては相応しくない武器が握られている。

「……え、ものすごい武装してんじゃねーか!」

「これは……一人とて集落に通すわけにはいかないな……。タロさん、配置を変えよう。おれが集落外の細い谷で耐えるから、その後ろから援護を頼む。その更に後ろを南米支部のメンバーで固める方がいいと思う」

「……お前に無理させたくはないが……今回もそうは言ってられねぇしなぁ……!」

 タロウは唸りながらもその案を承諾する。イテツは直ぐ様、南米支部のメンバーにその旨伝え、集落の外に向かった。今回、イテツは接近戦用武器にじょうを選んでいる。これならば死人は出さないで済むし、複数人でも相手にできるからだ。ねじ込み式になっている二本を繋げ、一本にするとそれを構えた。

 もちろん、後ろにタロウが控えていてくれる安心感だからこそできる無茶でもある。

 また険しい斜面、複雑な地形も相まって一度に襲い掛かることができる人数も限られる。

 先頭に立つリーダーと思しき信者がイテツの姿を確認し、後ろに控える信者たちに合図を出す。彼らは思い思いの攻撃を繰り出すが、狭い道でお互いがお互いを邪魔しあい、思うように動けないでいた。その様子を見てもイテツ表情は変わらず、冷静に杖術を以てして信者たちを順番に打ちのめしていく。正確な突きを、振り下ろされる一閃を、死角からの振り抜きの一打を。顔面に、胴体に、脳天を唐竹割りするが如く、または武器を持つ手に対し的確な一撃が与えられ、彼らは成す術なく後退を余儀なくされる。

「……?」

 だが、イテツは疑問に思った。祈りを捧げて意を決しているように見えて、これほど呆気なく後退するものなのだろうか、と。

 それとも、戦い慣れていない集落の人々には強気に出られても、イテツ達のように訓練された人間となれば無理はしないのかもしれない。

「……タロさん、奴ら、妙に諦めがよくて気持ち悪い。何か企んでるとしか思えないな……」

 信者たちを警戒しながら通信機でタロウに話しかける。その間にも彼らはするすると下がっていき、あっという間に集落から遠ざかっていた。

『…そうだな……まだ初遭遇だし、気を抜かずに過ごすしかねぇわな』

 とりあえず戻ろうぜ、タロウはそう言って通信を切った。イテツはもう一度、信者たちが去っていった方を振り返る。


 あれだけで終わるはずはない、何度でも仕掛けてくるだろう。




 集落に戻り、住人たちに出迎えられた二人は、ここは変わりなかったかと聞いて回る。皆口々に、大丈夫だと答えていた。

 オリヴェールとイグナシオも現れ、二人の無事に安堵している。しかし、二人の表情が怪訝そうであることに気が付き、気になることがあるのかと聞いた。するとイテツがしばし沈黙の後に小声でオリヴェールに話しかける。

「……マケラ記者、集落に変わったことはありませんでしたか? 些細なことでもいいんですが」

「いや……俺の知る限りでは無いと思うけど……」

「そうですか、無いなら…それで……。でも絶対に油断しないでください。いくら我々が入口を固めても、違うところから侵入しようとしているかもしれないので」

「わかった。異変があったら報告する」

「お願いします」

 イテツはそう言うと、タロウと共に去っていく。恐らく長のところに向かったのでは、とイグナシオが呟いた。実際に集落は何の変化もなく済んだが、いつまでもそうだとは限らない。


 この日から、信者たちの襲撃は三日三晩、断続的に続いた。引いてはまた襲撃を繰り返し、イテツやタロウに追い返されている。しかし交代のしようがない二人はこの断続的な襲撃に徐々に体力を削られている。休みたいが、休む暇を与えられない。しかし相手は交代要員がごまんと控えている。常に万全の状態の相手をぶつけられ、疲弊しないわけがない。

 信者たちは完全にイテツとタロウを潰しにかかっている。この二本柱さえ折ってしまえば、じっくりと器に相応しい者を探すことができるからだ。

 しかし二人とて、そう簡単に折れるつもりはない。最善を尽くし、お互いの気力体力共に尽きぬように気を配った。

 連続して襲撃してきたかと思えば、それが突然、途絶えるなど信者たちも変則的に動き続ける。襲撃が止んだ日であっても、またいつ来るか定かではなく、気を抜けない日々が続く。

 そしてまた彼らは前触れなく集落に現れた。今回も例外なく追い返されていく。しかし今日がいつもと異なったのは、追い返されても尚、襲撃に転じていることだ。今までであればそのまま後退して行くはずが、何度打ちのめされてもまた隊列を組み直して歩みを進める。

(……いやにしつこい日だな……)

 今日はタロウが最前線で信者たちを木刀で打ち据えていた。襲いかかってくる端から痛烈な打撃を与え、違和感を感じつつも攻撃の手は緩めない。

「……テツ、今日はどうも奴らの様子がおかしい! 全然、帰っていかねぇ」

 追い返しながら通信機に叫ぶと、イテツから加勢に入ると返事が来る。しかしすぐ、それは無理だとイテツは言い直した。

『ダメだ、大変だ、奴ら……あの絶壁を乗り越えてきた……!』

「なんだと!?」

『集落に侵入された! 入口は時間稼ぎだった! クソっ!』

「おい、テツ……テツ!」

 通信機に叫び返しても返答はない。加勢に行きたいが、入口から襲撃を繰り返す信者たちは全く引く素振りも見せない。完全に陽動作戦に乗せられていたと気付いた頃にはもう遅かった。しかも、絶対に来ないだろうと見越していた方角からの侵入は最早、不意打ち同然だった。

「……クソっ! テメーらもいい加減に下がりやがれ!」

 木刀で幾度となく打ち据えられても歩みを止めない姿は、常軌を逸しているとしか思えなかった。

(……しかもあの絶壁を越えて来やがった、だと? 無事で済むわけねぇのに? ……狂ってやがるぜ……!)

 今、相手をしている信者たちを戦闘不能状態に持っていけば放置してイテツの方に加勢しても大丈夫だとは思うが、何度打ちのめしても彼らの勢いは衰えを見せない。木刀でこれだけの回数の打撃を受けていれば、場所によっては骨の一本、二本は折れていてもおかしくないはずだが。そうでなくても痛みによって武器を掴むことができなくなっているはずだが。

(……クスリでもやってんのかよ……)

 心の中でイテツに対して加勢できないことを謝罪し、木刀を構え何度目かわからない信者たちの襲撃に応戦を続ける。




(……侵入された……!)

 地形から考えて、絶対に生身の人間が乗り越えられないだろうと思われていた側からの侵入は、集落を混乱させるに充分だった。

 五体満足ではないにも関わらず、まるで怪我などしていないかの如く振る舞う姿はホラー映画のゾンビに似た何かを感じる。越えられるまで何人も何人も送り続けていたのだろうか、一人、また一人と越えることができた者だけが集落に入ってきた。まだ数が少ない内に仕留めてしまおうと考えたイテツだったが、集落に着いた者からいろいろな方向に散ってしまい、まとめて抑えておくことができずにいる。順番に打ちのめしてもすぐ起き上がって何事もなかったかのように動き出す。

(……本当にゾンビみたいなものと応戦している気分だ……)

 頭から血を流し、どう見ても両手の爪は剥げている。彼らの姿は、絶壁をよじ登り、落石に遭い、落ちかけても耐え、進み続けてきたことを物語っている。足元は裸足で、こちらも血塗れだった。

 怪我人相手に武器を振るうのは一瞬、躊躇ったものの異常性を感じイテツは容赦なく顔面に杖を振り抜いた。打たれた衝撃で後ろに倒れ込むも、起き上がって素手で再び襲いかかってくる。イテツが数人を相手にしている中にバラバラと入り込んできた信者たちは住人にも襲いかかっていく。

「!」

 イテツは飛びかかってきた者に突きを食らわせ、背後から掴みかかってきた者には肘を打ち込む。ここで距離を取り、信者たちの包囲から抜け出した。そして住人に向かっていく信者たちに矛先を変える。

 ただ、信者たちが選ぶのは屈強そうな若者ばかりだった。武器を持って侵入できていればまだしも、怪我をした上で素手とあれば、集落の若者たちも応戦することは出来ているようだ。

 だが混乱を来たしていることには変わりない。一対一に持っていければいいが、複数人が相手では応戦するも厳しい状況に陥る。イテツはどこに加勢すべきかを判断し、住民に群がる信者たちを追い払い続けた。

 その時どこからともなく、笛の音が響いた。その音を認識した信者たちは一斉に動きを止め、しばし耳を傾けたあと集落から出ていく。絶壁から来た者は、絶壁の方へ。入口でタロウに打ちのめされていた者たちも、もと来た方へ帰っていく。

「……どうなって……?」

 住人の誰かが呆然と呟き、誰もが状況を飲み込むのに時間を要した。急に静まり返った集落に、入口で応戦していたタロウが声を上げながら駆け込んでくる。その声に我に帰ったイテツは、タロウの方へ駆け寄った。

「……タロさん、加勢に行けなくてすまない」

「いや、そりゃこっちのセリフだな。全然、あいつら下がっていかねぇからずーっと足止め食っちまったぜ。良いように陽動作戦に乗せられちまって、腹立たしいくれぇよ」

 混乱が生じた集落内では、住民それぞれが安否を確認し合っている。

「大きな被害は無さそうか…?」

 その様子を眺めながらタロウが呟く。無いといいが、イテツがそう言いかけた時、オリヴェールが一人、こちらに駆け寄ってくる。

「……あぁ、二人とも! なぁ、イギーを見てないか? さっきから探してるのに姿が見えねぇんだ!」

「!?」

 イテツの顔に緊張が走る。まさか、あの笛の音は彼らのいう『相応しい器』を手に入れた合図なのだとしたら。それがイグナシオだったとしたら。

「……まさか、イギー……!」

 イテツが呟き、オリヴェールは信じたくない事実に衝撃を受けている。

「……イギーが、拐われたのか……? あの狂った奴らに?」

 地面に膝をつき、絶望した声でオリヴェールは言葉をこぼすだけでその場から動けなくなってしまった。その様子を遠巻きに見ていたイグナシオの両親が彼に近付き、その肩に手を置く。イグナシオの母親はオリヴェールを抱き締め、彼が落ち着くのを待った。オリヴェールがようやく立ち上がり、歩き出そうとするとイグナシオの父親はその背を支えるように手を当てた。

 立ち去る三人を見送りながらイテツは思った。

 あの宗教団体が拐った者を生かしておくとは到底、考えられない。すぐに救出作戦を立てなければならない、と二人は長の家に急ぐ。

 荷物から衛星電話を取り出し、日本にいるアヤメに連絡を入れた。今に至る状況を伝えると、アヤメは少し時間を頂戴、と重苦しく言葉を発する。

『……例の宗教団体は古い坑道を使ってるって言われてたわよね……? 拠点に通じているのか、そもそもそこを拠点にしているのかはわからないけど……情報を端から当たるしかないわ。それらしい候補が見つかったら連絡するわね』

「……無理を承知で、できるだけ早く頼む、アヤメさん……」

『……わかっているわ、テツ。でも、すぐ答えが出せなくてごめんなさいね……』

 いや、いいんだ、こちらこそ無理を言ってすまない、とイテツが謝罪し、通話は切れた。

「……さて、俺達はどうするよ」

 二人の通話の間、黙っていたタロウがここで口を開く。

「闇雲に動いても、時間の無駄にしかならねぇ。時間を無駄にするということは、イグナシオの命が失われると同義だしな」

「……奴ら、神の器がどうとか言ってただろ? 仮にイギーが器にさせられるとして、すぐ生贄にするような儀式とかを行うんだろうか…」

「……長なら、そういう儀式とか風習とかなんかそれっぽいのを知ってるんじゃねぇ? 全く同じとはいかないだろうけどよ」

「タロさんの言うとおりだな……」

 二人はひとまず長の元に向かい、イグナシオが宗教団体に拐われたであろう事を伝えた。長は、またしても希望が奪われたと顔を覆い肩を震わせる。そしてその姿勢のままではあったが、二人に感謝も述べた。何日も身体を張ってくれて本当に感謝している、と。しかし、イテツは苦しそうな表情でそれを制し、まだやらなければならないことがあると伝える。長が顔を上げると、イテツは言った。

「……長殿、ご存知の範囲で教えていただきたいのですが、この辺りで古くから伝わる風習、というものはありませんか? もしかしたら、奴らは故事になぞらえて行動している可能性もあるかもしれないと思いまして」

「……古いもので、一つ。山の神に生贄を捧げるのはあります。……最後に行われたと言われているのは100年程前とか」

「……生贄……」

「……神に捧げる贄となれば、捧げられる日の前の晩には豪華な食事が用意され、食後にはこの辺りで採取される植物で麻薬の原料になる葉を摂取し続けます。服は清められた布を全身に巻くだけで、台座の上に座り、植物をひたすら口にします。だんだん感覚が麻痺するそうです。自分の意志で口にできなくなった頃、台座は集落の男達が山の上まで運びます。そしてそのまま祈りを捧げられ続けます。いつかそれは生贄ではなく、山の神の新たなる身体となり祈りを捧げられる守り神へと変貌を遂げる訳です」

「……その、最後に捧げられた方は、今もその場に……?」

「……恐らくはいらっしゃる事でしょう。ただし、その場所は誰にも明かされません。運んだ者達しか知らないのですから、私達は存在していることしか知りません」

「……なるほど、ありがとうございます」

 二人は長に深々と頭を下げた。その二人の肩を掴み、長は言う。

「宗教団体の奴らは、その風習を歪めた解釈をし、自分たちの神を作り上げようとしているのであれば……それだけの期間を要するはずです……。今までもそうしようとして、うまくいかず……失敗する度にここへ……」

 その震える手に手を重ねイテツは長に言った。そのようなことはもう、決して起こさせません、と。



「……整理すると、その故事に合わせて人間を生きたままミイラにしようとしてる、ってところか。だからあの宗教団体はミイラを神と崇めている、って解釈になるわけだな」

「……すぐ命を奪うわけじゃなさそうだが……あまりに惨い話だ……」

「アヤメの坑道情報がカギだな。目星が付かなきゃ動きようがねぇ。そして時間は全くねぇ、ときたモンだ」

 腕を組み、唸りながらタロウは言った。そしてふと、唸るのをやめてイテツの方を向く。

「……なぁ、テツ。今回の信者ども、集落に侵入した奴らは行きも帰りも絶壁の方を行ったんだよな……」

「……あ、あぁ……。帰りもあっちに行くとは思わなかったから、かなり驚いたんだ。……案の定、誰も生きて帰ってないけれど……」

「そこなんだよな……」

 どうも腑に落ちない、とタロウは首を傾げている。

「……じゃあ、拐われたイギーはどうやって集落から出た? 俺が応戦していた方から集落を出たやつはいなかったぞ。もちろん、絶壁側から帰る事も不可能。全部死体になっちまう」

「もしかして……人知れず、集落の中に侵入できる経路が既にあった……?」

 信じられないけれど、と呟くイテツに、そう考える方が妥当だろ、とタロウは言う。

「問題は、どこからどのように繫がっているか、ってことだ。それがわかれば、連中の使っているらしい坑道も絞れるんじゃねぇかな」

 ここでふと、イテツの脳裏に蘇るものある。集落の中に繫がっている訳では無いが、近くまで人目に付かず近寄れる場所がある事を。


「……岩塩採掘場かも……!」


 一度閉鎖されたが、再開を望まれ、就業環境や就業規則を見直し、再開に向けて動き出していた岩塩採掘場の事を思い出した。

 完全には稼働していないその場所であれば、近寄る者などほとんどいない。

 イテツは衛星電話を引っ掴み、アヤメに連絡をいれる。


「アヤメさん、集落のすぐ近く…北東の方に岩塩採掘場があるんだ…! そこを基準にしてくれ!」

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