星降る村


浮いて沈んで浮いて沈んで。

申し訳程度に舗装された地面を、屋根もない馬車が駆けていく。

車体が跳ねる度に床板に尻が打ち付けられて鈍く痛む。

いつもの不快さに顔を顰めていると、前を向く騎手から声がかけられた。


「もうすぐで着くぞお二人さん」


「意外と早いな」


「おうとも。こいつは新しい馬なんだが、これがまた優秀でな」


上機嫌にそう言った騎手が、赤茶の鬣を撫でる。

そもそも世辞など言う性格ではないが、俺の言葉は正直な感想だった。

スピーラを出発してから二日と半分。

三日目の昼間に一旦の目的地に着くとは思っていなかった。


「……もう着くんですか?」


俺の傍ら。

荷台に腰を下ろすもう一人が、囁くように口火を切った。

見慣れた空色の瞳には、困惑の色が窺える。


「ああ。中継地点だけどな」


「中継?」


首を傾げた彼女に応えるように、俺の言葉を騎手が引き継いだ。


「割と長い経路だから、途中にある村で補給するんだ。予定じゃ今日の夜に着くはずだったんだがね」


「なるほど……ありがとうございます」


「礼はいいさ。そうだ、お嬢ちゃんの方はこの便使うの初めてかい?」


「ええまあ」


「ならスタリアの夜景は見て行った方がいい。ここいらでは有名なんだ」


聞き慣れないであろう単語を受けて、ルナが視線を此方に移す。

土地勘がないというのは苦労するものだと同情する。

まあ、これに関しては俺も他人事ではない。

今からでも西の地形について聞いておくべきかもしれない。


つらつらとそんなことを考えつつ、彼女の物言わぬ疑問に答えてやる。


「今から着く村の名前だ」


「古い連中は星降村とも呼んでるがな。その名の通り、星空が綺麗な丘があってなあ」


「へえ、素敵ですね」


ルナの声色が弾む。

少女然としたその仕草に、何処か昔のコハクが重なった。


「ところでお二人さん、話は変わるが」


そう改まって言う騎手からは、俗っぽく軽薄な気配が感じられる。

ろくな話でないだろうことは容易に察せた。


「二人は付き合ってるのかい?」


「ねーよボケ」


「いえ全く」


「そ、そうか。恋人なら逢引にぴったりだと思ったんだが……」


ほぼ同時に放たれた否定の声。

それに当惑する騎手の背中越し――下り坂の底に広がる盆地に、小さな集落が見えてきた。



「そこで止まれ!」


「はあ?」


村の入り口。

木造りの門前で仁王立ちする男が、馬車を威嚇するように声を荒立てた。

その手荒い歓迎に、騎手は困惑と苛立ちが混ざったような様子を見せる。


「どうしたんだ。怖い顔して」


「いいから止まれ」


「……何故だ?いつも通りの補給じゃないか」


馬上から降りた男が、番人の待つ門へ近づく。

状況を訝しむその様は無防備そのもの。

それを咎めるように、石槍が振るわれた。


「なっ」


「補給は受け入れられないって言ってるんだ」


ひたり、と騎手の首筋に穂先が当てられる。

その冷たさに肝まで冷えたのか、彼の身体は硬直した。

何とも不穏な空気である。

俺は何度かこの便を利用した経験があるが、こんな展開になったのは当然初めてだ。


「随分物騒だなあんた。それとも、これがこの村流の歓迎法か?」


「何とでも言え……とにかく此処から去ってくれ。追いはしない」


「ふうん」


此方を睨む男は、まさに鬼気迫るといった表情だ。

どうあっても補給はさせたくないらしい。


騎手や俺たちへ因縁がある、という線はなさそうだ。

おそらく、この異常の原因はこの村そのものにある。

門番の顔つきを見て何となくそれを察した俺は、事を荒げない方針を選んだ。


「分かった。去ればいいんだろ」


「……ああ、分かればいいんだ」


「ちょっと待て。補給はどうするんだ」


「この早馬なら野営挟んでも明日の昼間にはアンクレアに着く。そのくらいなら食事もギリ我慢出来る。飲み水はあるしな」


「そりゃそうだが……」


到底納得出来ない、と騎手の顔に書いてある。

それも当然だろう。

この村での補給はスピーラからアンクレアへ向かう便では日常茶飯事だ。

その都度対価は払われる故に、スタリア側からしても損はないはず。

そんな交換を突然になって拒否されて、一日程何も食わずに過ごさなければならないともなれば、その不満にも共感出来る。


だがそうした不満より、事態の回避の方が俺にとっては優先される。

予感がするのだ。

この村には結構な面倒事が起きている、と。


「ちょっと待って下さい」


ここまでずっと静観していたルナが口火を切る。

その真っ直ぐな声色に、嫌な予感が最高潮になるのを感じた。


「どうした。不満でもあるのか?」


「不満というか……その、門番さん」


「何だ」


「事情を聞かせてくれませんか。力になれるかもしれません」


思わず溜息が漏れる。

相変わらず無駄に目敏い女だ。

気付かなければ何事もなく終わったものを。


ルナの言葉を受けて、男が面食らう。

そうして調子を崩しつつも、返事はにべもないものだった。


「……不要だ。助けなどなくとも、この村のことはこの村で何とか出来る」


「やっぱり、何か困ってるんですね」


「んぐっ……」


あっさりと情報を出した男が苦悶の声を漏らす。

どうやら、ルナの方が一枚上手らしい。


「そこまでじゃ、アッド」


そんな時だった。

男の後ろ。

丁度門の裏側から、嗄れた声が響く。

さして間もなく、白髪白髭の老人が現れた。


「……村長」


「通してやれ」


「ですが」


「大丈夫じゃ。こやつらはあの山賊擬きとは別物だろうさ。目を見れば分かる」


それだけ言うと、老人は俺たちに背を向けて村の中へ歩いて行った。

それを追うように、アッドと呼ばれた門番の男も駆け出していく。


――これは、着いてこいってことか。


「どうする?」


「どうするもこうするも、行くしかないだろ。クソだるいけど」


「……すいません、レティアスさん」


「謝るなら初めから首突っ込むな」


荷台から降りる。

凝り固まった体を解してから、俺はスタリアの門をくぐった。



場所は移って、古めいた屋敷の居間。

俺は、あの場に居た四人と囲炉裏を囲んでいた。


「まずは名乗るかの。スタリアの長、シダールじゃ」


「……守衛のアッドだ」


「カリーだ。アズマ便の騎手をやってる」


「レティアス。旅人だ」


「同じく旅人のルナです」


全員の紹介が出揃った。

シダールがその枯れ木のような手で、伸びた口髭を触る。

その眼差しは穏やかなようで油断ならない鋭さを纏っていた。


「さて、何から話したものか」


「まずは謝罪からだろう。いきなり槍を向けるなんて何を考えてるんだ」


「何だと?」


「落ち着けアッド。確かにそれは過剰な対応じゃった。此方の落ち度だ」


「村長……」


ゆっくりと、しかし深く頭を下げる。

そんな仕草に、カリーも毒気を抜かれた様子だ。


「だが、アッドも徒に事を成したわけではないことを理解してくれ」


「というと?」


「一昨日のことじゃ。通りがかった馬車が、拒否していた補給を無理矢理に迫ってきてな。なるべく穏便にお引き取り願ったが、そのせいでこの怪我じゃ」


シダールが左腕の手首を晒す。

そこには確かな青痣が刻まれていた。


「……俺の仕事は村民を守ること。二度とこんなことが起きないよう、通りがかる馬車を村の中へは入れないようにしているだけだ」


「ちょっと待て。そもそも何故補給を拒む?その馬車も大概だが、補給自体はいつものことだろう」


「それは……」


アッドが言い淀む。

まあ、大体の想像は付いている。

俺が言うまでもなくルナが答えるだろうが。


「補給する食糧がないんですよね」


澄んだ声で告げられたその推測は、実に単純明快で筋が通るものだった。

現に、アッドの表情が分かりやすく変わっている。

こいつは嘘を吐けない気質なんだろう。


「食糧がないって……そんな馬鹿な。スタリアは田畑が多いんだぞ?」


「いや、その通りじゃ。よく分かったのお嬢ちゃん」


「皆さん、あまり食べていないようですから」


そう言ったルナの視線は、アッド達のこけた頬に向けられている。

シダールが目を丸くする。

そのまま口角を上げた彼は、淡々と現状を語り始めた。


「二週間程前……丁度収穫期に、この村の田畑に魔獣が棲みつくようになった」


「魔獣だと……」


カリーの表情が一気に険しくなる。

無理もない。

獣が何らかの原因で魔力を溜め込み、それによって別物に変容した結果である魔獣は、一部の例外を除いてその多くが危険だ。

戦う力のない人間からしてみれば、恐怖の象徴と言ってもいいのだから。


「幸い居住区に被害は及んでいないが、収穫作業は不可能に近くなってしまった」


「それで、ですか」


「そう。アンクレアへ助けを呼びに何人か遣わせたが、あっちの翼剣会はまともに相手をしてくれないときた。……今は既に収穫した少しの野菜となけなしの金で買い出した食材で食い繋いでいる状況じゃ」


説明は終わり。

そう言わんばかりに視線を落としたシダール。

それに応えるように、ルナが再び言葉を紡いだ。


「先程も言いましたが、力になれると思います」


「本当か?」


「村長!」


「アッド、お主ももう分かっているはずだ。儂らの手には余ると」


「うっ……」


呻くアッドとは対照的に、シダールの様子は落ち着いたものだ。

おそらく、門前の時点で既にルナの言葉に頼るしかないのを理解していたのだろう。


「しかし、本当に何とか出来るのか?儂が言うのも何じゃが、お主の細腕で」


「いえ、何とかするのは私じゃなくて――」


碧眼がこっちを向く。

今すぐに口を塞いで外に放り出したい衝動に駆られた。


「こっちです」


「ちょっと待てや」


ルナの肩を抱いて部屋の隅へ連れ出す。

何を言ってくれてるんだこのクソガキは。


「何ですか?」


「俺は動かねえぞ。何が悲しくて金にならない労働しなけりゃならないんだ」


「でも、このままじゃ村の皆さんは飢えてしまいます」


「俺には関係ねえ。救いたいんならお前がやれよボケ」


そうすげなく返すも、ルナの表情に動揺は見られない。

真っ直ぐに俺を見つめたまま、彼女は耳打ちするようにそっと言葉を重ねた。


「レティアスさん」


「あんだよ」


「依頼、忘れてませんよね」


その単語に、少なくともこの場面での敗北を悟った。

この女、端からこれを狙っていたわけだ。


「……」


「“旅の途中、最低限の衣食住を保証する”でしたっけ」


「お前な……」


「助ければ、多分補給も得られます。その選択肢があるのなら、このまま村を出て一日何も食べずにアンクレアへ向かうというのは契約違反です」


理路整然と並べられる言葉が、何とも図々しい。

こいつはさっきの自分の謝罪を忘れたのか。

いや、多分忘れてはいない。

謝罪は謝罪で真摯に行った上で、この村の他人達を助けるためにその賢しさを全力で行使しているのだろう。


ふと、あの朝焼けの一幕を思い出した。

やっぱりこいつは不気味だ。

この善意と意志の強さが、何処から湧き出ているのかまるで分からないが故に。


「分かったよ。やりゃいいんだろやりゃ」


不快に過ぎるが、契約は契約だ。

これを裏切ることは、そのまま報酬を手放すことを意味する。

それは流石に出来ない。


嘆息一つ、俺はシダール達に向き直って、魔獣の様子を見に行くことを告げた。

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聖歌 昨日刻 @kizami_2813

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