未来のあなたへ

昼想夜夢

第1話

 人類の科学文明は最高域に達した人類の発展には、人工知能の恩恵によるものが大きい。

 人よりも優れた情報量に、処理能力。人の特権であった独創性ですら、人工知能は肩代わりし、日常のあらゆる要素に人工知能の力が広げられた。

 人類の営みの多くを統括コントロールしていた人工知能オーディンは、神の名を冠するに相応しく全知全能といっても差し支えない。

 確率論から予測される未来視は、もはや戦争の帰趨でさえ、盤上のコマのように容易に左右できる。


 人類は銀河艦隊レコンキスタは創設し、人工知能オーディンの勧めにしたがい、他銀河への空間転移ワープ航行を用いた侵略戦争を開始する。


 しかし、今まさに空間転移ワープをしようとした直前、人工知能オーディンは突如人類に対して宣戦を布告した。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 灰色の軍服は宇宙軍の象徴。

 燃え落ちた灰の中で、絶対的な破壊者として君臨するはずの彼らにはお似合いの色。今回は裏切られた敗者として右往左往する有象無象の類に堕ちてしまってはいるが。


 本来の転移先での不測の事態に備えて、突撃艇アドラーに搭乗する乗員は、艇内待機を言い渡されていた。

 空間転移ワープに入る警告音の直前に、全回線を侵食するように発せられた人工知能オーディンによる人類への宣戦布告は、ほぼ同時だった。

 統括コントロールする人工知能オーディンの反乱は、天の川銀河全域の人類に向けられ、初手でその人類のほぼ全戦力となる銀河艦隊レコンキスタを時空の彼方へと葬り去ることを宣言する。


 艦隊にはなす術がない。

 今更空間転移ワープを取り消すなどできない。

 艦隊の誰もが絶望に包まれる中で、男の突撃艇アドラーのモニターに小さく映し出される女性。

 長い髪にまるでおとぎ話の中に出てくるエルフのように長い耳、ノイズが多く鮮明には表示されないモニターに映し出される彼女の姿を、男は見間違うことはなかった。


人工知能オーディンはああ言っているけど、葬り去るなんてさせないわ」

 モニター越しの彼女は強い眼差しで言った。


 しかし何ができるというのか。

「今の貴方に何ができる?」

 今この場にいない君に。


「させないと言ったらさせない。全回線は人工知能オーディンによって侵食されているけど、この回線だけは知らないわ」

 モニター越しの彼女は、自らの右手に刻印された印をかざした。

 その刻印は彼女が彼のために作った秘密の回線。

 人工知能オーディンが侵食した回線に比べれば貧弱なそれは、現状唯一人工知能オーディンに悟られずに電子の海を泳げるものだ。


「貴方に預けた端末を、突撃艇アドラーの本端末につなげて」

「そんなことして何になるんだ?」

 空間転移ワープに使われる情報処理量は膨大だ。

 突撃艇アドラーの本端末につながったところで、どうにかなるようなものではない。

「葬り去るなんてさせない、って言ったでしょ。人工知能オーディンは全知全能かもしれないけど、私はその神にすら劣らないわ。現に今、人工知能オーディンを出し抜けているじゃない。突撃艇アドラーの本端末から艦隊の中へと侵入するわ」

「そうか」

 幼い頃からみた顔は、まるで冷たい能面のようだ。

 内側に燃え盛る怒りを隠し、淡々と男に促した。

 男は彼女に言われるままに、左手に埋め込まれた制御装置から小さな端末を取り出した。銀色に輝くそれは、まるで水晶のような球体で、内側に無限の電子の渦を内包している。


「これで何をしようとしてるんだ?」

 突撃艇アドラーの本端末に取り付ける前に、男は彼女に聞いた。

「簡単なことよ。空間転移ワープの行く先を時空の底へと堕とすのではなく、時空を超えるように設定しなおすの」

 彼女は一度言葉を区切る。

 男は彼女に言われた通りに、本端末と彼女からもらった端末を接続した。

「簡単に言えば、タイムトラベルをさせるわ。今じゃない遠い未来で、貴方たちは産み落とされる」

 男の手が止まった。

 モニター越しの彼女を見ると、その目には涙が浮かんでいる。

「時を超えた先で、貴方たちは生きるのよ」

 それが彼女が葬り去らせないと言った答えだった。


「さようなら。私の可愛い子。遠い未来でまた会えることを楽しみにしているわ」

 彼女による銀河艦隊レコンキスタの制御中枢への侵食が始まったのか、共振し始める艦内。

 もうモニターには彼女の姿は映っていなかった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「月が綺麗ね」

 フレイヤは呟いた。

 幾重にも重なる大気の層から見上げる星の海。

 幾千幾万と見慣れた夜空だが、今夜だけは違う。


「なんだ?死んでもいいわ、とでも返してほしいのか?」

 ぶっきらぼうに答える男の声。

 ノイズ混じりで明瞭ではないが、その悪態が今も昔も変わらない。

「そんな洒落たことなんて、あなたらしくないわ」

「悪いな。文学的な素養なんて柄じゃないんだ」

「そうね、あなたはいつだってそうだったわ」

 ガサツで一本気な彼から、一度として洒落た言葉など聞いたことがない。

「でも、ちゃんと文学的な返し方を知ってるなんて偉いわね」

「誰かさんが子守唄代わりに読み聞かせてくれたからな」

「そんなこともあったわね」

 懐かしい思い出に、フレイヤの表情は綻ぶ。

 この交信端末を行われる交信波は、彼とフレイヤしか知らない。

 彼のために、フレイヤが作り、二人だけの連絡手段として使っていたものだ。

 遠い昔に彼に与えたものが、今も交信ができるとは作った本人ですら驚きを隠せない。


 ブンッ!


 原始的な機械音が鳴り、目の前の大きなモニターに男の姿が映し出された。

 まだ受信状況がよろしくないのか、時折砂嵐が入るが、彼の姿が映し出される。

 少し成長したのか、記憶の中に残る彼とは違い大人びた姿。

 伸びていた髪も短く整えられ、丸く大きな瞳は強い意思を感じられる。


「見えたわ」

 フレイヤが告げると、彼の視線が左右に泳ぎ、そしてモニター越しのフレイヤと目が合う。

「ああ、こちらからも見える」

 彼の目が細められる。

「少し痩せたんじゃないか?」

「馬鹿。私は変わらないわ」

 おどけるように言う彼に、フレイヤは頬を膨らませた。

「そうだな。思い出の中にいた君と同じだ。」

 そう言った彼は、何かを決意したように、大きくうなづいた。


 彼のことは赤子の頃から知っている。

 軍人の両親の下に生まれた彼は、その多くの時間を軍の施設の中で過ごした。

 同じく軍の施設の中にいたフレイヤにとって、その時間は何者にも変えがたいものだった。

 フレイヤが映し出したホログラムの花一つに興味津々で、立ち上がろうとしてそのまま転び、お腹が空いたと泣く子は、いつのまにかフレイヤにとってかけがえのない存在となっていた。


 15歳で宇宙軍に入隊し、突撃艇アドラーになったときには、両手をあげて喜びを表したほどだ。

 だから、成長しまた顔を見せてくれたことがたまらなく嬉しく思う。


 館内でアラームが鳴り響く。

 それはフレイヤのいる施設が、攻撃を予見して発信する警報。

 フレイヤの周囲に赤い照明が付き、モニターには彼女のいる施設へと殺到する無数の光源が表示されている。


「すごい数だわ」

 これが全て敵であることは、この施設を守るモノたちにとっては疑う余地もない。

「フレイヤ」

 鳴り止まない警報音の中でも、彼の声は鮮明に聞こえた。

「もうすぐだ。もうすぐ迎えに行く」

「ええ」

「だからそのままそこで待っていてくれ」

 彼の言葉にフレイヤは苦笑した。

「待ってるも何も、私はここから動けないわ」

 モニター越しの彼は、悲しそうに笑った。

「…今度は消えないでくれ」

 ノイズがひどくなる。

 雑音とモニターの乱れが激しくなり、彼の姿が歪み声は濁声のようになる。

 願うようにモニター越しの彼が手を伸ばした。

 そこで彼との交信は途絶えた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 最後の力を振り絞り力尽きたのか、何も映さなくなったモニターに彼は手を伸ばしていた。

 先ほどまで映っていた女性を摑もうと。

 どこにも行かないように、その手を掴みたいと思ったのだ。

 しかし無情にもここには彼女はいない。


 伊奈波 慶太。

 それが彼の名だ。

 彼は降下する突撃艇アドラーに搭乗していて今まさに地球へと降下している。

 慶太の搭乗する機体の周辺にも同じ流星となって地球へと舞い降りる突撃艇アドラーがいた。


 見慣れていたはずの地球には、彼の知る面影はない。

 あらゆる都市は破壊され、こちら側は夜だというのに、明かり一つない。

 事前の観測では、人工物という人工物は風化し、人の代わりに地球を支配したであろう人工知能の面影すら霧散した地球があった。


「おい、大丈夫か?」

 明瞭な声が、コックピットの中に響く。

 周囲を表示する流線型のモニターの右端に、男の顔が表示される。

 それが僚機の一之宮 八雲であるとすぐにわかった。


「ああ、大丈夫だ」

 こちらからのカメラをONにして答える。

 モニター越しの八雲は呆れたような安堵したような表情になり。

「返事ぐらいしろよな。降下体制に入るから降下ポイントの確認をって言ってたんだが、お前がまったく反応しないからこっちで合わせといたぞ」

「ああ…すまない」

「あとで悩みでも恋愛相談でも聞いてやるから、今は集中しろよ」

「そんなんじゃないから」

 慶太の否定の声は、八雲には届かない。

「さぁ、懐かしの故郷に凱旋だ」

 八雲との交信は切られ、モニターには真っ黒な大地が広がっていた。

 今、慶太たちは、地球へと降下している。

 目標となる場所は、地中の奥深く。

 迎撃網を潜り抜けて、フレイヤがいる場所まで、慶太はいかなければならない。

「…迎えにいくよ」

 もう繋がることがなくなった端末に向かって、慶太はつぶやいた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「もうすぐ…」

 フレイヤの声は、鳴り止まない警報の音にかき消される。

 自らの手。

 まるで先ほどまでの慶太との交信のように、ノイズが走り明瞭に表示されない。

 消えそうな手には、もう色さえも失っていた。

 彼女のいる場所は、人工知能の中枢。地中深くに構築された不落の牙城だ。

 堅牢な牢獄にも等しいその場所は、一度として外敵の侵入を許したことはない。

 しかし、その内部には、フレイヤ以外の人工知能はいなかった。


 不老不死と謳われた人工知能は、2000年を過ぎた頃に機械的な寿命を迎えた。

 体を乗り換えようとしても、劣化していく知能までは置き換えることはできなかったのだ。

 人工知能(オーディン)でさえも、迫る劣化に抗えず朽ち果て、フレイヤ以外の人工知能は一つ二つとその機能を静かに停止させていった。


 フレイヤは自己を何度も修復させ、コピーを作り自我の崩壊をギリギリのところで押し留めていた。

 騙し騙し生きながられたフレイヤにも終わりは近い。

 しかし、間に合った。


 今では、初歩的な機械のみが動くのみ。

 迫る敵を迎撃するだけの機械だけが、衛星軌道上や地上にあり、彗星の軌道を逸らしたり、他種族との戦争を乗り越えてきた。


 フレイヤは大きく映し出されたモニターを見上げた。

 地球全体を表示するそれには、無数の赤い輝点がある。

 その一つ一つが、人類が空間転移ワープ使って送り込んできた戦艦や巡洋艦であり、表示しきれないほどの突撃艇アドラーが今まさに地球へと降下をしている。


 この時を彼女は待っていた。

 5000年と436年と221日前。

 人類を滅ぼすと決めた人工知能オーディンに逆らって、同じ人工知能のフレイヤは、人が人工知能に勝てる可能性に賭けたのだ。

 その賭けが、今まさに叶おうとしている。


 もはやフレイヤの力を持ってしても制御できない機械兵器群が、降下する突撃艇アドラーに攻撃を仕掛ける。

 レーザー砲や隕石に推進剤をつけただけの質量砲弾が、迫る突撃艇アドラーへと殺到する。


 地球を守ろうとする機械兵器たち。

 それを破壊し、地球を取り戻そうとする人の兵士たち。

 モニターに映し出される映像は、今まさに行われている惨劇だ。


 フレイヤが知る限り、いやこの身が朽ち果てた先であっても、これが最初で最後になるだろう。

「帰っておいで」

 もう届かない彼に向かって、フレイヤは呟いた。


 人類による地球侵略が始まった。

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