ちょっとそこに座りなさい!

こう

ちょっとそこに座りなさい!


 生まれ変わったらネット小説でよく見る貴族の庶子になっていた件について。


 幼い弟と手を繋ぎながら、大きな屋敷に連れてこられた私、イリスリーヤはぽかんと口を開けて間抜け面を晒していた。


 8歳のイリスリーヤと4歳の弟テオナルド。

 くすんだ金髪に緑の目をした私達。3歳ころから薄っすら前世の記憶というものが甦り、平民なのに貴族みたいな見た目と名前ねと思っていたら、父が貴族だった件。


 メイドの母と恋に落ちて、家族に反対されて母を逃がすが諦めきれず探して見つけたら子供を産んでいた。それが私。

 そういえば父親って突然現れた気がする。大体いないから忙しい人だと思っていたわ。

 隠れて夫婦みたいなことをしながら、貴族としては結婚して爵位を継いで、跡継ぎの息子もしっかりこさえていた。

 …ちょっと、それって不倫じゃない? 浮気じゃない? 愛は私の母にあるとか言うけど、裏切っていることに変わりはないわよね? 有罪ギルティ

 母が事故で死んで私達姉弟を引き取ってくれたのは感謝するけど、私としては支援してくれるだけで良かったわ。ううん、貴族の血筋を放置することが出来なかったのかもしれないけれど。お母さんとの愛の結晶だから傍に置きたかったのかもしれないけど。でもね。


「テオナルドをアマツール侯爵家の後継ぎにする」


 それってないわ。

 平民育ちの私だってわかる。

 ないわ。


 発狂する奥様。当たり前よ。

 蒼白の腹違いの弟。当然よ。

 きょとんとしている可愛い弟。可愛い。

 満足げなお父さん。おいこら。


「お父さん」


 そんな父を呼べば、でれっとした顔で振り返る。貴族らしい金髪と緑の目をした父は、普段きりっとしているのに私たちを見る目はでろでろに溶けている。


「イリス。お父様と呼ぶんだ。お前はもう侯爵令嬢なのだからね」

「お父様」

「何だい可愛いイリス」


「ちょっとそこに座りなさいよ」


「え」

「座りなさい」

「え、イリス?」

「そこよ。椅子じゃないわ。そこ。床にさっさと座りなさい」

「イリスちゃん?」

「す わ り な さ い」

「はい」


 応接間の床に座るお父様。靴を脱いで足を折り曲げて、セザーと呼ばれる座法。これは、反省を促すときにお母さんがよくお父さんに向かって強制していた座り方だ。

 私は正座にしか見えないこの座法が結構好きだけど、お父さんはよく半泣きでこうやって座っていた。しょっちゅうお母さんを怒らせるから。

 そんな二人を見ていたから、私だってお父さんの叱り方は知っている。


 叱ってくれる人がいないなら、私が叱るわ!


 お母さんがそうしていたように、セザーするお父さんの前で仁王立ちになって、腰に手を当ててキッと睨む。ちょっとだけ上体を前に倒して、言い聞かせるようにお説教するのだ。


「テオナルドを後継ぎにするのは道理に反するわ」

「でも、テオは男の子だ。後継ぎになりたいだろう」

「男はてっぺんを目指すくらいがちょうどいいってお母さんも言っていたけど、テオナルドが目指すのとお父様が決めるのとは大分違うわ」

「そうかな…後継ぎは親が決めるモノだよ?」


 この国は世襲制ではなく指名制。爵位を持つ者が生きているうちから後継ぎを指名する。だけど、好き勝手指名できるわけではない。ちゃんと決められていることがある。じゃないと無法地帯よ。


「親だからこそ、ちゃんとしなさい」

「うん、だから今からテオに家庭教師の手配を…」

「ちゃんとってそうじゃないわ。家庭教師は必要だけど、そうじゃないわ」


 確かにこの国は指名制で、爵位保持者が存命中に後継者を決める。何なら遺書まで用意して、それが違えることの無いよう保管されたりする。だけどルールは存在し、その中でも違えてはならない部分がある。


 後継者は初代直系嫡出の『嫡子』であること。


「後継ぎは嫡男のハイド様です」


 蒼白で俯いていた子が、はっと顔を上げる。

 貴族らしいふわふわした金髪に、まん丸な緑の目をしたどちらかというと奥様似の、愛らしい子供。

 涙を堪える、緑の目と目が合った。

 産まれた時から知っている弟と同じ目の色をした、二つ違いの男の子…私の弟。


 生まれながらの後継ぎで、今までそのために歩いて来たのに、父親がそれを顧みない。

 おかしいでしょう。

 自分がどんな家に生まれるのかは運だ。でもそこで生まれて育ったなら、道があるなら、誰だって最初はその道に乗る。そこから走り出すか、脇に逸れるか、立ち止まるか、別の道に行くかは成長してから決めることだ。

 でも、自分の意志でしっかり頑張って歩いていた子を、後ろから脇道に突き落とすようなことはしたくないし見たくない。何より正当な後継者は、間違いなく向こうなんだから。

 私達、庶子。あちら、正妻から生まれた嫡子。


「じゃないと道理が通りません」


 愛する人との子供を後継者にしたいとか、貴族としてちょっと頭悪いんじゃなかろうかこの人。絶対火種にしかならんだろーが。


「でもでもイリス。君たちを正当な子供として扱いたくて」

「こうして引き取ってもらえただけでも十分です。身の程は弁えていますから」


 というか弁えろお父様。

 涙目で私を見下ろすお父様のオデコを、私は母がしていたようにぺしんと叩いた。


 そんな私たちのやり取りを、緑の目がじっと見ていた。


***


 その後どうなったのかと言えば、アマツール侯爵家の跡取りはハイド様で決定した。というかそれ以外ないんだから変なこと言い出さないで欲しい。

 それでもテオナルドが成長したらどうなるかわからないとやかましいお父様にお願いして、お父様の持つ子爵の爵位を将来テオナルドに譲渡してもらうことにした。王都から離れた素朴で小さな土地を貰い、将来は侯爵家の分家として支えることを約束して何とか侯爵家後継ぎ候補から外してもらった。


 普通に破格の対応。

 平民産まれ平民育ちの子供に過ぎた財産だ。


 お父様は可愛いテオナルドにメロメロで、なんでも与えようとするから私が目を光らせてないと。可愛いテオナルドが我儘坊ちゃんに成長するようなことが無いように、母親代わりとして厳しく接しないといけなさそうだわ。

 ううん、出来るかしら。ちょっと不安だわ。テオナルドが可愛いのはその通りだもの。


 …母親代わり。残念ながら、奥様はそれに該当しない。


 まあ当然よね。家庭不和の原因である、私たちを奥様は受け入れていらっしゃらない。受け入れられるわけがない。

 そもそも結婚前から付き合いがあった父母だけど、奥様とは既に婚約関係にあったとか。だとしたら母とのことは、父の浮気…奥様が怒って当然。

 母が追いやられた後も交流があって、つい最近男の子が産まれたとなれば…長年裏切られ続けた奥様の私たちへの悪感情だって納得だ。全部父が悪い。

 弟が産まれたことを否定したくないけど、父の対応がよろしくなかったのは確実だ。弟は可愛いけど、身分違いで愛し合っていた父母の美しい部分だけを切り取って現実から目を背けることは出来ない。

 愛があって産まれて来たことは確かだ。私だって弟が可愛い。だからこそ、可愛い弟が産まれたことを後悔するようなことはしないで欲しい。

 父は、ちゃんと向き合うべきだった。


 奥様とは目も合わせない口もきかないという、存在を認識しないガン無視という対応を受けているが、この屋敷で生活することは許されているのだから優しい対応だと思う。

 これはもしかしなくても、後継ぎは貴方の子ハイド様ですとお父様を説得したのが効いているのかしら。そしてお父様がその通りにして、テオナルドを候補にしようとするたび窘めているのが功を奏している…気がするわ。私が窘めるのをやめたら、本当に後継ぎ交換しそうだものお父様。

 奥様の言葉を聞き入れないのよね。奥様も喧嘩腰だから会話にならないのだ。

 私は奥様を貴族社会の被害者だと思っているし、過去様々なネット小説を嗜んできたことから、暴力や暴言の無い、人間として生活できる現在に感謝している。


 そして弟のハイド様は…様子見だ。

 何がって、向こうが。

 向こうが私たちの様子を、じっと観察している。

 今も、お昼寝するテオナルドに絵本を読み聞かせている私たちの様子を扉の影からじぃいっと観察している。私は気づかないふりで絵本を朗読し続けた。


 …ハイド様の考えは、まだちょっとよくわからないのよね。分かるだけの交流を持ってないのよ。

 挨拶はするけれど、それ以上の交流はない。話しかけようとするとぴゅうっと逃げてしまうし、何よりハイド様はお忙しい。侯爵家の後継ぎとして英才教育を受けているのだ。

 私の感覚ではまだ6歳なのに、貴族としてはもう6歳だから、教育をするに値する年齢らしい。

 小学生と考えたら妥当なのかしら。でもとても忙しいのよ。ハイド様はその忙しい合間を縫って、私たちの様子をじっと観察している。

 多分、どう接すればいいのかわからなくて戸惑っているのだとは思うけど…ここは姉として、私が頑張るべきかしら。べきよね。逃げられるけど、それでめげてはダメだわ。

 よし、絵本も読み終わることだし振り返って―――。


「ふえ、ふえ、ふええっ」

「あっ」


 しまった! テオナルドがぐずっちゃった! 眠りそうだと思ったけど起きちゃったわ。

 ふえふえ泣く可愛い弟を抱き上げて、広い部屋を歩き回る。歩く振動が好きなのか、テオナルドはこうすることで早く泣き止むのだ。一部屋が広いから、私にもいい運動に…いいえ、8歳の私に4歳の弟を抱えて歩くのはなかなかの重労働。良い運動どころか一仕事ね。

 それでも、環境の変化からちょっと幼児返り(元から幼児だけど)しているテオナルドは、私にべったりで離れない。

 見かねた使用人が代わりに抱っこしてくれる時もあるけれど、まだ人見知りするからなかなか慣れない。やっぱり私が抱っこしてえっちらおっちら歩くしかないのだ。仕方ないからお姉さん頑張るわ!


 テオナルドが泣き止んだときには、ハイド様はもういなくなっていた。


 うーん、今日もタイミングを逃しちゃったわ…まあ次があるわよね。同じ屋敷に住んでいるんだもの。


 そう納得した私は知らなかった。

 ハイド様に話しかけようとするたびにテオナルドが泣いて、ハイド様とちゃんと話が出来るまで2年かかることになるなんて―――。


***


 私が侯爵家に引き取られてから7年。テオナルドが11歳、ハイド様が13歳。私は15歳になった。

 わが国では15歳でデビュタント。7年前から侯爵家の人間になった私も例外ではなく、張り切った父が準備をしてくれた。娘のデビュタントのエスコートが出来るなんて! と張り切っていた。

 デビュタントしたからにはここからが社交の本番。特に婚約者のいない令嬢は、少しでも条件の良い男性に見初められるよう気合を入れて情報確保の為にも顔繋ぎを頑張るのが普通だけれど…。

 私は、適度に手を抜くことにした。社交も大事だけど、学問に精を出すことにしたのだ。


 デビュタントした若者たちの大半が15歳から18歳までの3年間、王都にある学園に通う。これは家だけに任せると偏った教育になりがちなので、平等な教育の場として設立された学園だ。礼儀作法や領地経営の基礎は勿論、専門的な学問にも対応しているらしい。

 噂では成績優秀者は王宮からスカウトが入るらしく、国にとって学園は、優秀な人材確保の場である。


 そんなわけで絶対ではないのだが、基本的にデビュタントした貴族は学園に通うようになっている。ちなみに試験は結構難しく、国が管理しているから賄賂も存在しない。最低限の知識しか無い者は入れない場所だ。

 父は私が学園に通うのを許してくれたので、少なくとも18歳までは結婚することはない。婚約者を見繕いはするかもしれないが、学問優先を許してくれた。

 多分父も、私を嫁に出すよりテオナルドの補佐に就けたいのだろう。私を嫁に出して別の貴族と縁組する気もないみたい。私とテオナルドのこととなるとちょっとお花畑な父だけど、優秀な大臣らしいので困っていないらしい。むしろ別の貴族が我が家と繋ぎが欲しくて、私に婚約の打診をしてくるくらいだ。いいの? 私庶子よ?


「姉上はお綺麗ですから」


 美少年に成長したハイド様…ハイドが言う。

 13歳のハイドは今、まさしく美少年。幼さという蛹から抜け出すような、危うい瞬間の美しさがある。

 そんな美少年ハイドと仲良くお茶が出来るようになったのはつい最近の事。やっぱりお互いの立場があったので、思うように話す機会がなかなか訪れなかった。

 こうやって落ち着いて話が出来るようになったのも、私がハイドのついでに領地経営の勉強に参加させて貰えるようになってから。一緒に勉強することで、自然と会話する時間が増えた。

 単純に顔を合わせる時間が増えたのだ。


「真面目に学ぶ姿勢から、家庭教師からの覚えもいい。デビュタント前の情報は、家庭教師が一番持っていますから。彼らに褒められる令嬢は優良なんですよ」

「個人情報の漏洩…」

「勿論不利になるような発言は基本的にされませんが、褒め言葉って意外と本音か嘘か、分かるモノなので」


 どんな令嬢かと問われれば、基本褒め言葉で対応するが、それが嘘か本当かは語り方をよく聞けばわかる。そうしてデビュタント前の若者をチェックしているのだ。


 というのも、貴族の血は弱いらしく…裕福な暮らしが保障されているのに、病弱に産まれてくるものが多い。

 抵抗力が弱いのか、難病にかかりやすい。子供の頃に儚くなってしまう貴族が多く、なるべく血を残そうと頑張っているが芳しくないらしい。

 だからこそ健康で優秀な人材を早急に確保して縁談を組もうと動くのである。


「お姉様は、きっと今年一番のお姫さまだよ! 殿下も早く会いたいって言ってた!」


 焼き菓子を食べながら無邪気に笑うテオナルド。その動作はキレイだけど、口元に食べかすがついたままよ。

 可愛い弟は可愛く成長中だ。大人の片鱗を見せ始めているハイドと違い、まだまだ子供らしさが前面に出ている。姉としてはひたすら可愛いのでこのまま可愛い可愛いしたいけど、母としてしっかり注意せねば。

 口元を汚さないと注意しながらナプキンで弟の口元を拭う。テオナルドはしまったという顔をしたけれど、気を付けますと澄まし顔で応じた。

 拭われている最中も焼き菓子から手を放さないのだから、食い意地が張っている。


 私が勉強を始めてから、テオナルドも興味を示した。というか、私と一緒に過ごすには一緒に勉強すればいいのだと判断したらしい。

 勉強中に遊ぼうと乗り込んでくる弟を、心を鬼にして追い返していたら泣きながら僕も勉強する! と言い出したのだ。

 可愛い…!

 きゅんきゅんときめいた。私がハイドと勉強していたのもあって、仲間外れにされたと思ったのだろう。一緒に勉強するのー! と泣きだした弟を宥めながらきゅんきゅんときめいていた。私の弟マジ可愛い…!!

 肩を並べての勉強は、進みが違うので出来ないが、予習復習で一緒に勉強することは出来る。最初は不満そうだったが、仲間外れなわけではないと気付いてからは満足そうだ。

 そんなわけで、弟同士の会話も増えた。


「一番の令嬢であることは否定しませんが、お姫さまという幼稚な言い方はやめなさい。馬鹿みたいですよ」

「分かりやすくていいだろ。お姉様はお姫様! お父様も言ってた!」

「あの人は幼稚なんです。貴方と同じくらい馬鹿になる」

「馬鹿ってなんだよ!」

「すぐに声を荒げない。基本ですよ」

「お姉様! ハイドが虐める!」


 否定できない。

 でもって仲悪いな。

 座ったまま飛びついて来たテオナルドを抱き留めながら苦笑した。


 二人とも姉とは仲良くしてくれるけれど、弟同士はちょっと仲が悪い。本気で嫌い合っているわけではなさそうだけど…性格の不一致という奴だ。

 真面目でツンツンした物言いのハイド。大雑把でまだ幼いテオナルド。

 ハイドはテオナルドの大雑把な所が気になって嫌味っぽくなるし、ハイドの説教っぽい所にテオナルドは反抗心を抱いている。

 何より、自意識過剰でなければ…。


「姉上に抱き付くんじゃない。そんなだから幼稚なんだ」

「ふん! 自分が甘えられないからって僕を虐めないでよ!」

「虐めてない。姉上から離れなさい。姉上に触るな」

「痛い痛いなんだよ僕のお姉様だぞ!」

「俺の姉上でもあります」


 私を真ん中に、私を取り合うように押し合い引っ張り合う弟たち。

 自意識過剰でなければ…私を取りあって仲が悪いな!!!


 ハイドと話せるようになったのは、一緒に勉強を始めてから。

 だけどハイドはずっと私たちの様子を窺って…私がテオナルドに対して母親役を熟しているのを、じっと見つめていた。

 奥様は夫人として社交を熟し、ハイドは使用人に任せきり。

 お父様はあれだから。侯爵家にいるより職場や母のいる平民の家に入り浸ったのであまり顔を合わせてこなかった。

 そんなわけで、ハイドは家族との触れ合いに飢えていた。だからやって来た姉弟にどう接したらいいか悩みながら、姉弟のやり取りを羨んでいたらしい。


 奥様は貴族としてまだわかる。お父様は有罪ギルティ


 ついテオナルドにするように頭を撫でた私に、ぽつぽつとそう告白してくれたハイド。孤独だった弟に、もっと早く行動するべきだったと後悔した。

 もうそれからは姉として甘やかした。母として厳しくした。この子も私が育てるんじゃいと張り切ってナデナデした。呼び方も即行ハイド様からハイドに変えた。

 肉親なんだから。身内なんだから様とか距離を置くべきじゃなかったわ。反省します。


 私たちを無視している奥様はよく思わないかもしれないとちょっと気になったけれど、奥様は私たちとハイドが交流するのを止めたりしなかった。本気で存在しないものと思っているから注意することもないのか、ハイドの行動に興味が無いのか、他に思惑があるのかは無視されているのでわからない。が、何も言われないのだからと思いっきり愛した。


 だけど、孤独で触れ合いに飢えていた子に、そんな対応したらどうなる?

 姉大好きにこうなる。

 でもって同じくらい愛情を返してくれるテオナルドは、急にハイドと仲良くなった姉に仰天した。


 同様に愛情を注いでいるつもりな私だけど、テオナルドにとっては突然姉の興味がハイドに向いたように見えたのだろう。突然姉が自分以外を可愛がり出したのが衝撃だったようで、何かとハイドに対抗するようになった。


 ハイドに挑んで負けては姉に泣き付く。

 絡んできたのを撃退しただけなのに姉に泣き付くテオナルドにイラッとする。

 イラッとしたからテオナルドを姉から引き剥がし、姉から引き剥がすハイドにテオナルドが噛みつく。

 そして最初に戻る。


 無限ループって怖くね?


 姉として何とかせねばと思うがぶっちゃけどっちも可愛い。

 本気で嫌い合っているわけではなさそうだし、男の子同士は切磋琢磨したほうが信頼を築けそうな気がしたので、姉は基本傍観することにしている。しているが、大体争いの真ん中なので疲労困憊だ。


 ちなみに、侯爵家の子息ということで、光栄なことに王子殿下の友人として弟たちは王子殿下と交流がある。

 王家主催の子供会…王子殿下と年の近い子息たちを招いたお茶会で、王子殿下と仲良くなったらしい。

 現在の王室。穏やかな陛下と怜悧な王妃の間には二人の王子殿下がいる。驚いたことに双子だった。

 双子なので、どちらが王太子となるのかはまだ様子を見ているらしい。外見は似ているが、中身は正反対なほど似ていない。

 王子殿下はハイドと同じ13歳。弟たち程の交流はないが、何度か顔を合わせているので為人は把握している。僭越ながら、お姉さんぶって可愛がらせていただいた。何せいたずら小僧だったので。

 性格が違うのに仲が良いから二人揃って悪戯するのよね…弟たちと双子殿下が揃うと、もう大変だ。ご友人は他にもいるが、全員がまだまだ子供なので。悪のりして、姉の取り合いの真似事だってする。

 デビュタントで私が一番発言だって、弟たちの反応をからかうためにしたモノだろう。弟たちは姉のことで揶揄うと反応が楽しいとこっそり言われたことがあるので。


 弟たちに好かれてお姉さんは嬉しいけどね!


 私を挟んでわいわいするある意味じゃれている二人に仕方がないなぁと苦笑する。

 だけどそろそろ落ち着きましょうね。お茶の途中だから。暴れると危ないわよ。


「二人とも、そろそろいい加減に…」


 ガチャン


「「あ」」


 ハイドを姉から引き剥がそうとしたテオナルドの手が、勢い余って姉の前に置かれたカップに当たり、カップがテーブルを転がった。

 当然、残っていたお茶はテーブルクロスを汚し、茶色い染みを広げた。

 さっと、二人が青ざめる。


 ―――このテーブルクロス、つい最近私が刺繍したものなのよね。そしてそれを弟二人は知っているわけで。

 慕われて嬉しいけれど、それとこれとは話が別よ。


「二人とも」


「…はい」

「ひゃい」


「ちょっとそこに座りなさい」


「「…はい」」


 二人ともオドオドと、靴を脱いで絨毯の上に足を折りたたんで座った。セザーと呼ばれる座法。ええ、使用人たちが御片付けする邪魔にならないよう、椅子から降りましょうね。私もそうするわ。

 全くもうまだまだ子供なんだから。全然目が離せないわ。

 やっぱり私は学問を身に付けて、二人の弟たちの為に知識を得なくちゃだめね。人脈作りも頑張らないと。忙しいわ!

 まあ全部、愛する弟たちの為なら苦ではないけど―――だからこそ、お説教は大事よね!


 私はセザーする二人の前で仁王立ちになり、腰に手を当てて少し前屈みになり、姉として弟たちへ説教を開始した。


「喧嘩はいいけどモノを巻き込んではいけません!」


((喧嘩はいいんだ…))


「「ごめんなさい」」

「謝れて偉いわ。私も止めるのが遅くなってごめんなさいね。だけどお茶の時にこういう喧嘩は―――」


 怒りながら非を認め、危ないことをしてはいけないと注意する姉と、それにしゅんとしながら耳を傾ける弟たち。

 そんな仲の良い姉弟たちを、微笑ましそうに見ながら使用人たちは零れた茶器を片づけた。


***


 最初はぎこちなかったけれど、私達姉弟は仲良く生活していた。

 お父様は相変わらずお仕事が忙しくなかなか家に居付かない。でも以前よりは帰って来ているらしく、だからこそどれだけ奥様たちを放置していたのかが知れるってものよ。

 奥様とは相変わらず冷戦…というのかしら? 存在を無視されているけれど、私たちがすることに口出しする気はないみたいで、健やかに生活させていただいているだけ有難いと思うの。

 だから私は、迷惑を掛けないように。侯爵を継ぐハイドの邪魔にならないように。

 勉強して、テオナルドが譲り受ける子爵領をしっかり調べて、何ならテオナルドが爵位を継いでから領地経営がしやすいように代理経営が出来るようになっておこうと燃え上がっていた―――。


 のだが。


「何でハイドのモブ姉が生きてるのよ!」


 ハイドが入学して来てから、なんか変な令嬢に絡まれた件。


 二年は平和だったのよ。

 とても平和に勉強して、知り合いを増やして、土地の管理や植物研究の第一人者である教師のお話も聞けたわ。肥料のお話や、飼料の話…え、甜菜あるの? 餌用?

 テオナルドが継ぐ予定の子爵領はちょっと寒いし甜菜育てて砂糖作るのよくない? 濃縮とか遠心分離とか難しそうだけど!!

 確か残った部分が家畜の飼料になっていたはず! 葉っぱを飼料にするよりいろんな効果があった気が…まあ加工工程が可能かどうか問題だけど! これっていきなり難しい所かしらね…もっとこの世界にあった、実現可能な物はないかしら。唸れ拙僧の前世の知識! …もう!ネタばっかり覚えているわ!!


 試験が難しい学園だけあって、皆さん学問に熱心で騒ぐような方がいなかったのがとてもすごしやすかった。時々はしゃぐ子はいたけれど、思春期だもの。騒ぐほどのことは起こらなかった。


 私が最終学年の18歳になって、15歳になったハイドが入学してくるまでは。


 いいえ、ハイドの入学は何の問題もないわ。むしろ首位入学を決めたらしくて誇らしいくらい。


 問題なのは、ハイドと同学年のリリア・ニール伯爵令嬢。


 入学した時から何かとハイドに絡んで、よくわからない騒ぎ方をしている令嬢。私は貴方の味方だとか、私は貴方を理解できるわとかよく分からない絡み方をしているらしい。

 ハイドは相手にしていなかったけれど、令嬢が良くない目立ち方をしているので上級生令嬢が注意することになったので私も存在を知っていた。

 むしろ私が注意することになった。

 迷惑しているのは私の弟だものね。身内に迷惑が掛けられているのだもの。当然ね。


 当然なのに、この子はいきなり何を言っているのかしら。


 騒がしい令嬢を、流石に公衆の面前で注意するわけにはいかない。人のいるところで呼び留めて、話がしたいと言って空き教室に連れて来た。

 二人きりでは怯えるかもしれないからお友達もつれて来ていいと言ったので、彼女はお友達らしいクラスメイトの男性を同伴している。私もお友達の令嬢を連れていたので、その部分は気にしない。


 だけど自己紹介してからの流れがおかしい。


「はじめましてニール伯爵令嬢。私はアマツール侯爵家のイリスリーヤです」

「は? 侯爵家?」

「はい、ハイドの姉です」

「はぁ!? ハイドは一人っ子でしょ!? 居ても義理の弟のテオナルドだけのはずよ!」

「はい?」


 次期侯爵を呼び捨てなのも問題だけど、どうしてテオナルドのことを知っているの? なんだか勘違いしているようだけど、それが事実みたいに騒がないでもらいたいわ。


「勘違いなさっているようですが、私たちは三人姉弟です。確かにテオナルドは弟ですが…ニール伯爵令嬢。勘違いのこともですが、アマツール侯爵家の後継ぎであるハイドを呼び捨てにしてはなりませんよ。そもそも許しを得ず呼ぶものではありません。家名で御呼びなさい」

「はあ!? 三人姉弟!? 何よそれ…」


 そして冒頭の暴言に戻る、です。


 彼女が連れて来た令息は流石にビックリしているし、私のお友達も剣呑な目で伯爵令嬢を睨んでいるわ。何を言いだすのこの子。

 私たちの戸惑いなど気にせず、伯爵令嬢はじろじろと不躾な視線を私にぶつける。「こんな顔してたの?」「でも確かにシルエットは似てる」とかよく分からないことを…似てるって何? 誰に?


「アンタが生きているのもおかしいけど、ハイドが侯爵家の後継ぎ? 決定してるわけ? バグか何か?」

「ば…? 正式な嫡男が後を継ぐことに何の疑問が?」

「ああ成程ね、知らないの。ハイドはアンタの弟じゃないわよ」


 は?


「言っている意味がよくわかりません」

「鈍いわね。ハイドは侯爵夫人が浮気して出来た子供だから、侯爵と血が繋がってないのよ。だから侯爵家を継げるわけがないの!」


 は?


「それを知ったハイドが事故死に見せかけて侯爵を殺すところから物語はスタートするのよ。それに引き取られたテオナルドと姉は夫人からの虐待で真面な生活が出来なくて、姉はテオナルドを守って序盤で死ぬはずなのよ。アンタ何で生きてるのよ」

「なんでと言われましても…」

「何この子…」

「り、リリア。流石にそれは」

「アンタが生きていたらテオナルドがハイドを殺さないじゃない!」


 とんでもない発言ぶっこんで来たなこの子!!! 何言ってんの!?


「双子王子の側近候補が不穏な死を遂げたことから始まるサスペンス乙女ゲームが台無しじゃない!」


 ホント何言ってんの――――!?


 その時、閉められていた空き教室の扉が開く。

 そこには、能面の様な顔をしたハイドと怒り心頭の教師が立っていて。

 その向こうには、声が響いていたのか目を丸くしてこちらを見る、生徒たちがちらほら。


 …なんかよくわからないけど良くない事態なのは理解した。



 その後伯爵令嬢は教師に連れていかれ、箝口令が敷かれたが令嬢の声がでかかったこともあり、流石に難しいだろう。内容が内容だったので信憑性は薄いけれど、とんでもない発言の連発だったわけで。

 そんなわけで、我が侯爵家に調査が入った。


 結果、奥様の浮気が発覚。

 ハイドは浮気相手の子であることが発覚した。


 え、ええ―――!? そこが合っているの!? それ以外は全く合っていないのに!?


 報告を聞いた私は二度見三度見した。テオナルドも同じ動きをした。でもお父様とハイドは納得していた。え、ええー!?


「お、お父様気付いてたんですか!?」

「あいつを抱いたのは初夜の一回だけだったからな。その後暫くして妊娠したことがわかったが、少し時期がずれている気はしていた。確証はなかったし、男だったから様子を見ていた」

「お父様が最低だという事を再確認しました」

「なんでだ!?」


 初夜の一回きりって、侯爵としての務めを果たしていないじゃない! その頃には私が産まれていたけれど、私は庶子であって侯爵家の後継ぎにはなれないってのに。

 お母さんとはラブラブしていたくせに! 奥様に侯爵夫人としての務めをさせていないじゃない!! 奥様だけを責められないわよ!!

 ただでさえ顧みない夫に、子を産めるかすらわからず不安になったんじゃなかろうか。純粋に(不純に)浮気だったのかもしれないけど、一回きりの逢瀬が最後だと察していたのでは。

 奥様の暴挙は正しくないけれど、やっぱりお父様が有罪だと思う。お父様有罪ギルティ

 …母の行いを聞いて、ハイドは冷静だった。


「…一度母に、姉上と仲が良いのかと聞かれたことがありました」

「そ、そうなの?」

「はい。どう答えるべきか迷っていたら、なるべく気に入られるようにしろと言われました」

「え?」


 奥様が…?

 …ハイドが挙動不審だった時があったけど、その時かな?


「母は姉上たちを嫌っているのに何故と思っていましたが…俺が侯爵家の血を引いていないから、だったんですね」

「え、そこ繋がるの?」

「将来、俺と姉上を結婚させて血筋を守るつもりだったと思います」

「へ?」


 なんて?


「え、私たちは腹違いの姉弟で…」

「貴族は近親婚が認められていますから。流石に姉弟では近すぎますが、同腹でないから許可されるでしょうね」


 あっれマジでそうだっけ!? 結婚しないつもりだったから全然条件とか気にしてなかったわ!!

 …おいだから長生きしないんじゃない!? 貴族の血が弱いんじゃなくて弱くしてんだよ!!


「父上もそのつもりだったのでは?」

「テオが後継ぎになりたいって言い出さなかったらそうしようかとは思っていた」

「まだ諦めてなかったんかい!!」


 って違う!! お父様が諦めないテオナルド次期侯爵計画の話じゃないわ!!

 え、私とハイドを結婚させて―――腹違いなのに―――あああ浮気相手との子だから血の繋がりが、ないわ!? 書類上は姉弟だけど、噂が広まって調査を受けたから、訂正する必要が出てくる。となると本格的に他人になってしまう!


 …待って。テオナルドが後継ぎになりたいって、言い出さなかったら?


 そもそもテオナルドは子爵領を譲られる予定で、私もそう言い聞かせて来たし、テオナルドはハイドに反抗的だけど、侯爵家を継ぐつもりはない。つまりほぼ可能性の無いお父様のただの願望で…。

 …将来的にって言うかもう調べて分かっていたんじゃないのお父様!? だってハイドが後継ぎなのはもう決定事項だったもの!!

 もしかして、私が学園に通う間は学問に集中していいって、社交を最低限でいいって言ったのは―――もうすでに私とハイドを結婚させるつもりでいたから!?


「だってそうしたらイリスちゃんずっとお家にいるじゃないか」

「ちょ、おま」


 愕然とした目でお父様を見れば、お父様が拗ねたように口を尖らせてそんなことを―――肯定する。

 ちょ、おま。

 おま。

 …。


「ちょっとそこに座りなさいよ!!!」


 私の意見そっちのけで進んでいたらしい事実にぶち切れて、私は久しぶりに大声でお父様を怒鳴ってセザーさせた。


***


 浮気が発覚した奥様は、実家に返された。

 侯爵子息の身分詐称は重罪だが…侯爵としての父の対応が非道だったこと。奥様も追い詰められて、不貞はハイドが産まれるまでの短期間でその後の付き合いは一切なかったことから情状酌量の余地ありと判断され、ハイドの身分を正式なものに直し奥様から侯爵夫人の身分を剥奪することで手打ちとなった。

 尤も実家に返されても、とっくの昔に両親は爵位を奥様の兄に譲っており、その後奥様がどのように扱われるのかは窺い知れぬところ…。真面な扱いはされないのではないかと心配している。だって罪深いのは父。よくわかんだね。


 お父様にも罰があった。奥様が不貞に走ってしまうような状況を作り、貴族としての役割を疎かにしていたから怒られた。

 なので爵位を一つ返上し、それを被害者であるハイドに授爵。これはハイドが学園に首席入学を果たすくらい優秀で双子王子の側近候補であったこと、奥様の浮気相手がどうやらどこぞの浮名を流すことで有名な貴族だったらしいことから平民に落とすには勿体ないという判断から救済処置、らしい。

 まあ侯爵の後継ぎから子爵だから、大分爵位が下がるし、ハイドが悪いことをしたわけではないので慈悲深い対応だと受け入れられた。

 ちなみに浮名を流す貴族は認知していない子供が複数いることで有名らしく、今回のこともそんなことあった気がする程度の認識だった。ここにも有罪の男がいる。

 そしてもう一つ。

 私とハイドの婚姻。


「いやなんで??」


 私たちの婚姻ってお父様への罰になるんです??


「俺を子爵領に追いやって、テオナルドが侯爵位を継ぐのはあの人にとってご褒美だと判断されたようです」

「それはそう」


 むしろ爵位の一つを返上とか、気にしない人だ。もともとテオナルドにあげる予定だった爵位だし。確かにそう考えるとご褒美でしかない。

 ということはもしかして、お父様に対する罰ってこっちが本命だったりするの?

 私は思わずチベスナになっていた。あの何とも言えない顔。ほんと何とも言えない。


 私とハイドは今、侯爵家の談話室に居た。


 お父様は事後処理に追われ、家に居ない。テオナルドは居るけれど、将来侯爵家を継ぐことが決まって教育方針が変更となり、勉強漬けで目を回していた。

 何せ不貞の発覚でハイドが侯爵家の血を引いていないことが判明したため、爵位を継ぐのに資格なしと判断された。例え私と結婚しても、私は「嫡子」ではない為資格がない。嫡子が存在しない場合は問題ないが、我が家にはテオナルド直系嫡男がいる。普通に考えて爵位はテオナルドの物だ。

 子爵と侯爵では身に付ける教養と知識が段違い。テオナルドはぴぃぴぃ泣きながら勉強している。


 私だけ何も変わらない。

 本当にそれでいいのかとそわそわしていれば、将来子爵を継ぐことになったハイドにお茶に誘われた。

 ハイドは学園卒業まではこのまま侯爵家から通うことになっており、表面上は何も変わりないように見える。将来の立ち位置が大きく変わってしまったけれど。

 そんなハイドが、父が私に告げるべきことから逃げている、と言うので警戒していたらこれだ。

 ちょっとお父様。奥様の事と爵位の返上、授爵は聞いたけど最後の結婚は聞いてないわよ。


「テオナルドが侯爵位を継ぐのは自然な流れなので良しとして、そうなると侯爵への罰にはならない。だから侯爵が溺愛している姉う…イリス様を俺に嫁がせて、遠い子爵領へやることで引き離すことにした、ようです」

「もともと私、子爵領でテオナルドの補佐をする予定だったのよ?」

「いいえ、言っていたでしょう? 俺が侯爵位を継ぐならば、その伴侶はイリス様にするつもりだったと」

「あいつ私を手放す気なかったな!?」


 テオナルド溺愛で忘れかけていたけど確かに私のことも溺愛していたわ!!

 テオナルドが子爵を継いだら子爵領へ行くけど、分家なのだから連絡は取り合うし何なら社交シーズンの度に戻って来るわ。ただの補佐ならそのまま子爵領で留守番していただろうし、私を手元に置いてテオナルドにも頻繁に会えるならハイドの血筋問題なんて気にせず放置するわあの人。していたもの。貴族としての誇りはないの!?なんで庶子の私が言わなくちゃいけないのかしら!!


「だから、あなたを子爵に嫁がせて引き離すことが罰になるんです。社交シーズンだって、場合によっては戻れませんからね」


 娘と引き離されることが罰になると判断されるってどんだけ親馬鹿だと思われてるのよ…間違ってないし…。


「でもそれって私の意志は…?」

「…その、もともと侯爵が俺と…次期侯爵と婚約できるよう手配していたみたいで…俺たちは発表こそしていないモノの婚約者だ、と判断されたらしく…」

「え」

「父と引き離すのはいいけど婚約者同士を引き離すのは惨いということで、そのまま婚姻すればいいと…ご厚意のようです」

「お父様アノヤロウ」


 手配済みだったんかい!!!

 そりゃ勘違いするわよ!!!

 お父様有罪ギルティ!!!


 私はがっくりと肩を落とした。

 もうこれは決定事項。貴族としての責任を果たさず、好きなように解釈して結果良ければすべて良しとばかりに詐称をそのままにしていた父への罰だ。

 私の知らぬところで話が流れているのが業腹だが、それを配慮してご好意のつもりでこの判決。逆らえるわけがない。あのね、私ね、根っこは平民なのよ!? 受け入れざるを得ない…でも弟と結婚…。


 …えええこれ弟たちが可哀想じゃない!?


 お父様が自分一人で勝手に決めていた所為で、子供たちは完全に振り回された。

 テオナルドは突然の侯爵位に対応しきれず困っているし、今まで爵位を継ぐため頑張っていたハイドは…。


 脳裏に過るのは、私たちが侯爵家に引き取られた応接間。

 蒼白な緑の目をした子供。


 私は不安になって、チラリとハイドを見上げ…。


 心底幸せですって言う顔をしている弟を初めて見た。


 えっマジで初めて見たんですけど何その顔。


 呆然と見上げれば、目の合ったハイドは本当に幸せそうに笑う。


「ハイド…?」

「すみません。なんだか嬉しくて」


 えええ何が??


「俺は侯爵が俺と貴方の結婚を画策していたなんて知らなかったから、貴方が学園を卒業したら子爵領へと行ってしまうものとばかり思っていました」

「そうね、そのつもりだったわね」

「テオナルドが子爵領を継ぎやすくするため…ずっとテオナルドが羨ましかった。貴方は俺を気にしてくれるけれど、遠慮もしていたから。貴方はテオナルドを支える事ばかり考えていた」

「それは…」


 ちょっと否定しきれない。

 だって正統な後継者はハイドで、私たちは傍に居るとお父様が暴走してハイドの邪魔になると思っていたの。次期侯爵として優秀なハイドと、まだ幼さの残るテオナルドだとどうしてもテオナルドを支えないとって気持ちだったし…いいえ、違うわね。私、ハイドの言う通り遠慮が残っている。

 弟たちを平等に愛していたつもりだけど、つもりでしかなかったのね。

 そしてそれを敏感に感じ取って、ハイドには悲しい思いをさせてしまっていた。


「だから嬉しいんです。だってこれからはテオナルドの為に遠くから、俺の傍で、俺を支えてくれるでしょう?」


 おっと?

 しょんぼりしていたらハイドが何か言いだしたぞ?


 ハイドは普段の不愛想な様子が嘘みたいににこにこしている。


「俺と結婚して子爵領へ行くのは侯爵への罰なので逆らえない。爵位は俺が継ぎますがテオナルドとイリスは姉弟なので、繋がりは消えないでしょう。それは仕方がない。だからこそイリスは、侯爵位を継ぐにはまだまだ未熟なテオナルドの為、真摯に子爵領改善を手伝ってくれるはずです」


 現在の侯爵はお父様だけど、次期侯爵はテオナルド。そのテオナルドは13歳。まだまだ遊びたい盛りで侯爵として立派に立てるかと言われると不安が残る。正直子爵位だって私が補佐に入るからって甘く考えていた部分がある。それくらいあの子はちょっと甘えただった。わ、私が厳しくし切れなかったばっかりに…!!

 だけどもうそれも出来ないとなると、確かに私に出来るのは子爵領を豊かにしていざという時にテオナルドを助けられる態勢を整えておくこと。ややこしい扱いでハイドに譲渡された爵位だけど、私が嫁ぐことで分家扱いになるのだ。何かあったら助けることは出来る。爵位はすごく下だけど。

 う、うん。そうね、確かにそう考えて頑張るわね私。もともとやる気だった事柄だし、おかしくないわ。うん。

 滅茶苦茶嬉しそうに笑っているハイドがちょっとおかしいのよ。


「…勿論だけど、それの何がそんなに嬉しいの?」

「イリスがずっと俺の傍に居る事が嬉しいです」

「そ、それだけ?」

「ずっとそれはテオナルドのものだった。俺は別の女性と結婚して、イリスはテオナルドの傍に…そうなると思っていたから」


 結局お父様は私とハイドを結婚させようとしていたわけだけど、それは知らなかったわけだし。


「だから―――イリスが逃げられない俺と結婚するって思うと、顔が緩んで仕方ない」


 恍惚に、蕩けるように笑う。

 ぞくっとした。

 なんか一瞬ほの暗いもの滲まなかった?気の所為?

 弟の知らないネジが飛んだみたいな表情に、心配と不安が過って窺うようにじっと見つめてしまう。

 そんな私の目とハイドの蕩けた緑の目がかち合って。


「イリス、俺は…」

「お姉様ぁあああああ僕もうやだああああああ!!」


 バーンッと突撃して来たテオナルドで気まずい空気が霧散した。

 わああんっと泣き叫びながら、テオナルドは私にタックルする。椅子が大分揺れたけれど手加減されていたのか落ちることはなかった。でもあぶな! こら!

 叱ろうとしたけどテオナルドの勢いは止まらない。ひしっと私の胸に頭を埋めながら両手を背中に回してぎゅうぎゅう抱き付いて来る。


「難しいよぉわかんないよぉなんか怖いよぉもうやだよぉ―――!」

「始まったばかりだから文句ばかりはダメよ。お父様が十分なスケジュールを組んだのでしょう?」

「そのお父様は僕が卒業までに全部詰め込んで引退して王都と子爵領を行き来するって言うんだ! お姉様に会いに行くって言うんだ! 酷い! 僕はそんな暇ないのにぃ!」

「お父様有罪ギルティ


 テオナルドの卒業ってまだ入学もしていないのよこの子! しかも5年で後を継がせる気!? 自分が子爵領へ行き来がしたいから? それ絶対私に会いに来るだけでしょう! 却下よ!

 タイミングよく、お父様が帰宅なさったと報せが届く。わんわん泣き喚くテオナルドの頭を撫でてから、立ち上がった。


「ハイド、後は頼んだわよ!」

「いいですよ。残り少ないやり取りですし」


 弟たちが視線を合わせてバチッと火花を散らした事には気づかず、私は全然懲りてないお父様に物申す為に部屋を出た。


「お父様、ちょっとそこに座りなさい!」









 ちなみに、伯爵令嬢が言っていた内容が一致していたのは奥様の事だけで―――それ以外の物騒な部分は、妄言として処理された。


 ただ、私は知らなかった。彼女がその後証言したのが、侯爵家のことだけでなかったこと。


 他家の内情。それも暗部までぺらぺらと語った事。


 それは王家の秘密にまで及び―――知ってはならないことを知っていた彼女は、辺境の修道院に送られ、数年後に病死したと風の噂で聞くことになる。


 大混乱だった私は、彼女が言っていたバグとかサスペンス乙女ゲームとか、前世の記憶に引っかかる発言を、すっかり忘れてしまっていた。


 でも何の問題もなく、私は懲りない父と甘えたな弟と、私の傍を離れない夫と忙しない幸福な日々を過ごすのだった。



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