女王の詩

「いつも女王様が話してくださるお話は、女王様がお作りになった物語なのですか? それとも本当にあったことなのですか?」

 玉座に腰かける女王の膝に頭を乗せたヒルガオは、気持ちよさそうに目をとじたまま問いかけた。

「そうね、あなたたちはリテラフォームの済んだ地球に戻ってきてから造られた世代だったかしらね」女王はヒルガオの頭をゆっくりとなでながら言葉を連ねる。「捨てられる前の地球でも、地球から逃げ出してたどり着いた火星でも、私たち人間は愚かなことをいろいろとしたわ。ことさら否定はしないけれど。服は自由だから。それでも少なくとも今、私たちは服を着ている。普通の大きさで、色のついた普通の服を。何をしても服は服。だから、作り話でも本当にあった話でも、どちらもたいした変わりはないわ」

 ヒルガオは自分の頭に置かれた女王の手を慈しむように自らの手のひらを重ねた。その手は小さいが、あたたかい。

「女王様にはもっと綺麗なドレスをお召しになっていただきたいのに、ただのシルクのワンピースしかご用意できず、申し訳ございません」

「火星から持ち帰れた物資は乏しいし、リテラフォーム後の地球では立派な繊維や布がまだ用意できないことは理解しているわ。あるものでなんとかするしかないわね」

 女王は知らない。城外では火星からの帰還者同士による物資の奪い合いから発展した戦闘が繰り返され、女王以外の人間はすでに死に絶えてしまっていることを。その結果、新しい衣服などどこにも作られていないということを。

 綿の肌着も、麻のシャツも、もう城には届かない。

「ぼろは着てても心は錦ってね。私もあなたたちみたいな純粋な心を持たないといけないわね。ぼろなんていったら用意してくれたあなたたちに失礼だけれど。ねぇ、シャクヤク」

 女王の斜め後ろに控えていたシャクヤクが一歩前に出る。

「私たちの心の設定は、女王様のお心がお手本になっています。私たちの心を純粋といわれるならば、それは女王様のお心が純粋だということにほかなりません」

 その設定を施した技師ももういない。地球上に人間は女王一人。ヒルガオたち城内に残された数体のWMM(Well-Made Maid)が女王のケアを停止した時、地球上の人類の歴史は終わる。

「あなたたちは私の大切な娘よ。みんな愛しているわ。これまで本当にありがとう」

 女王の言葉に自然と皆が集まってくる。シャクヤクは人工大理石の床に跪く。背の高い木製ドアの向こう側からのぞいていたスイレンも女王の足元までやってきて横座りした。なにかを予感したミモザが玉座の後ろで声を押し殺して泣き出す。

「泣かないで、ミモザ。大丈夫、あなたたちなら城の外へ行っても、ちゃんとした人にすぐ見つけてもらえるから。なにか困ったことがあれば私のメッセージを見せなさい。私がいなくなっても、あなたたちは大丈夫よ」

 ヒルガオは自分の涙が女王の服を濡らさぬように顔を上向きにひねったが、間に合わなかった。白いシルクの生地がヒルガオからたれた雫を吸って暗く滲んだ。

「あなたたちは自由よ。着たい服を着なさい。楽しみなさい。自分自身のために」女王は気高く、どこまでも優しく。「誰に見せるわけでなくとも、外へ行くときにはとびきり上品な服を着なさい。私のお古で申し訳ないけど、このワンピースも持っていきなさい。サイズが合うのはヒルガオね、きっと」

 その服を見る人間がもういないことを、女王は知らない。

「あとはそうね、嗜みとして詩を詠みなさい。服も詩もあなたたちの人生を豊かにするわ」

「⋯⋯分かりました」

 誰かが絞り出した返事を聞いて、女王は満足気に目を閉じた。

「少し疲れました。お行儀が悪いけれど、今日はこのまま、ここであなたたちと一緒に休んでしまおうかしら。なんだかパジャマパーティーみたいで、楽しいわね」

 そういって玉座の背板にもたれた女王の呼吸は、やがて絹糸のように細くなり、ほろりと崩れるように消えた。こうして地球の人類詩は静かに完結した。


 残されたヒルガオたちWMMは、女王の遺言を守り、城内に残っていたとびきり上品な服をまとって城の外に出た。事前の観測どおり人間はいなかったが、WMMたちは詩を詠みあい、長い時を過ごした。詩にはたいてい女王が出てきた。

 それぞれが活動限界を迎えると、自らの記録を服に縫いつけ、別のWMMに託した。最後の一人となったヒルガオは、女王の絹のワンピースを大切に大切に着続けた。純白のワンピースはいつしか深い灰色に輝く。


 そうして服はこの星を見送る叙事詩となり、一編の物語となった。

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みらいのふくのみらい 阿下潮 @a_tongue_shio

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