小鳥と塔

十戸

小鳥と塔

 ある森の片隅に塔が倒れた。年月を過ごすうちに半ば朽ち、半ば繁茂する蔦に覆われた古塔だった。きっかけもなく、なにかひとつの強い原因があるでもなく、塔はただ背負った時間の重みに耐えきれず崩れ落ちたようだった。白い塔だった―かつては優美と見えたこともあったかも知れない。日差しや風雨にさらされ続け、いまではすっかり洗われた骨のようになっていた。塔が壊れたことで命を落としたものはいなかった。傷らしい傷を負ったものも。人は長いことよりついていなかった。ふだんは塔の丈高い影をねぐらとする獣たちも、このときはたまたま留守にしていた。ただ一羽、塔の先に巣をかけていた鳥だけが塔の死に目に行き合った。その鳥は春が巡るたび、決まってこの塔に巣をかけ、数年来の恋人を待つことにしていた。塔が倒れたのは、鳥がくちばしに枝をくわえ、馴染みの古巣を目指しているさなかのことだった。鳥は散らばる白い石の上に停まり、しばらく小首をかしげたあと、赤い実に染まった糞をひとつしてやがてどことも知れない空に飛び去った。



 あ、と思ったときには手遅れだった。取り返しのつかないほど傷んだ身体は脆く、壊れやすくなっていた。これが生身の生き物であれば寿命ということになるだろう。ただそれだけの話。石で編まれたこの身体には無数の継ぎ目がある―塔として建てられたころには、そうとわからないよう工夫が凝らされていたものの、いまでは仕上げに塗られた漆喰もそう残っていなかった。もうずいぶん前から、あちこち隙間風があったし、雨も染み出すようになっていた。苔やら羊歯やらがたくさん生い茂っている。茸もいくらか。幸い、それらのおかげで黴くさくはなかったけれど。

 雷じみた音をたてて崩れていくさなかに思ったのは動物たちのこと。ふわふわの皮にくるまれたやわらかで弱い命たち。下敷きにしてしまわないか気がかりだった。建築物には建築物なりの第二の生がある。塔は崩れたところでひとつひとつの積み石に分散して、いずれは小さな石くれになって、やがては砂なり土なりになるはずだった。けれど動物たちはそうはいかない。一度壊れたらそのまま溶けて消えてしまう。だからできるだけ離れていてほしかった、壊れ崩れていくこの身から。虫たちや鳥たちはみな身軽だから、きっと逃げてくれるだろう。問題は兎たち、生まれたての仔鹿、穴熊、それから。

 そうこうするうちに最後の石が落ちた。いちばん上の積み石、てっぺんの飾り石が。なにもかもがらがらと音を立てて落ちていくなかで、花の模様を彫った飾り石はまっぷたつに割れて転がった。埋まってしまった植物たちに申し訳ない気持ちがふっとわいて、その気持ちも散り散りになっていく。小さな考え、小さな心、小さな魂……。

 少しして、いちばん大きく形を残した石の上に鳥が停まった。見覚えのある姿だった、たぶん、きっと、おそらく。この顔と嘴と色のかたちは知っている、と思った。鳥はしばらく小首をかしげ、やがて赤い実に染まった糞をして飛び去った。つかのま、鳥が停まっていた石のなかにひどく強い懐かしさのようなものがこみあげ、けれどすぐ砕けて見えなくなった。

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