ちひろ 35歳

「聞いた?カケルくんのママの話」

「聞いたー。PTAで ウチの息子をいじめないで!でしょ?」

「それそれ。みんなしれーっとしてたってよ」

「そりゃそうでしょ。うちのコだってカケルくんの近くになんて居てほしくないわよ」

「ねー。悪いけどそうよね」


噂されているのは、私の高校の同級生。彼女は当時、どちらかと言えば目立つ方で、スタイルも良く、活発で中性的でありながら、いつも彼氏が居るような人だった。とりわけ仲が良かったわけではないが、この広い日本で子供の小学校が同じという軽い奇跡が起きて、たまに話す仲になった。

この同級生、「カケルくんのママ」を私は。

彼女を殺したいと思っている。


小学校入学式。子供の隣の席の子が、このカケルくんだった。真新しいランドセルを机に置き、膝をしっかり閉じて、緊張した面持ちで座っているたくさんの小さな1年生はそれはそれは可愛らしかった。その中で。明らかに使い古されたランドセルに、晴れ着とは言えないような洋服を着た男の子が1人。ソワソワと脚を動かし、首をくるくるとまわして、なんの説明もなく連れてこられました、というような顔をして座っていた。そのうち手足を振り回して、隣に座る私の子に当たる。

私の子はびっくりしてその子の方を見るが、その子は我関せずの表情。

その時だった。

「あれー?ちひろじゃない?アタシ!わかるでしょ!?」

保護者の中からひときわ大きな声で話しかけてくる

女性が1人。彼女が、「カケルくんのママ」だった。

子供の持ち物、洋服、行動の全てが疑問だったのに対して、彼女はしっかりとメイクをして、綺麗な着物を着ていた。若い頃からスタイルが良かった彼女のそれは、さらに磨きがかかったように見えた。綺麗だった。


そうして押しの強い彼女に負け、入学式から1か月もしないうちに、カケルくんのママとカケルくんは、うちに遊びに来た。

玄関に着くやいなや、靴をめちゃくちゃに脱ぎ、あらゆる扉を開けるカケルくん。

注意もしないカケルくんのママ。

「いいとこ住んでるねー旦那何してる人?」

ジロジロと品定めでもするように置いてあるものを眺めながら聞いてくる。

この人は、こんな人だっただろうか?わからない。そもそも仲は特別良くなかったのだ。

「普通のサラリーマン。座って?今お茶いれるね」

「うん、ありがと」


お茶を持ち、テーブルに置くと、彼女はおもむろに話し始める。

「アタシさあ、カケルがお腹にいる時に離婚したんだよね。全然1人で育てられるし余裕って思うけど、やっぱり旦那必要かなって時々思ってさ」

心底困ってしまった。こんな重い話をされるだなんて思っていなかったし、どう答えたらいいか全くわからない。

はいでもいいえでもない曖昧の極みのような返事をしながらお茶を飲む。彼女は2時間ぴっちりと自分のこれまでと苦労話をどこか楽しそうに話して、お茶うけにと出したクッキーとチョコレートを平らげて、帰ると言った。


「今度みんなそろった時にランチでもしようよ!」

「え、みんなって?」

「ちひろの旦那!見てみたいし!」

「あぁ…日曜しか休みがないし、どうだろ?ちょっと難しいかも」

こんな会話を玄関を出た所でした。

でも私は知っている。お茶を用意している時に、背を向けている時に、彼女はしっかりウチの家族写真を見ていた事を。

本能が、警報を鳴らす。



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坂道日和 文月一 @fmtkic

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