天国で迷う少女

青篝

短編です

深い霧が飽和する森の中を、

1人の少年があてもなく歩いている。

前も後ろも、右も左も分からず、

泣きそうになりながら

ただひたすらに彷徨う。

心の中が不安と焦りに支配される中、

少年は巨大な木を見つけた。

上を見上げてみても

その頂上は霧の先で見えず、

幹の周りを1周するだけで

数分はかかるだろう。

その巨木の太い根の一部に少年は座り、

ポロポロと静かに涙を流し始めた。


「──迷ってしまったの?」


頭上から不意に、声が聞こえた。

少年がパッと顔を上げると、

そこには1人の少女がいた。

歳は少年と同じくらいで、

白い格好をしている。


「────」


少年は、言葉を失っていた。

目の前にいる少女が、

あまりにも綺麗だったから。

まるで人形のように整った顔立ちに、

透き通った雪白い肌、

キラキラと光を反射している藤紫色の髪、

植物の葉のような翠色の瞳。


「大丈夫?」


そして、聞いた者を吸い込むかのような

一切の濁りのない声。

少女は手を差し伸べて、

少年の頭をゆっくりと撫でる。

触れただけで淡雪のように

溶けてしまいそうな少女の手は

とても心地よく、

確かな優しさと温もりを感じた。


「ボク、パパとママを探してるんだ…。」


少年は少女から目を背け、

泣きそうな声色で言った。

少女は少年の横にふわりと腰を下ろして、

少年の頭を撫でながら

ゆっくりと時間をかけて少年に問いた。

少年から話を聞くところによると、

少年の両親は、少年を置き去りにして

どこかへ行ってしまったらしい。

何の挨拶もないままに

突然の別れを強いられて、

少年はとても不安だったそうだ。


「じゃあ、私が一緒にいるよ。」


少年の手を取り、

少女は優しく微笑んだ。

その少女の笑顔に魅せられた少年は、

少女の名前すら聞かないままに

好きになってしまっていた。


「さぁ、こっちに来て。

すごいもの見せてあげるから。」


少年を立たせ、少女は先を駆けて行く。

深い深い霧の中を、少女は一直線に走る。

右を見ても霧。左を見ても霧。

それでも少女は迷わない。

少年の手を引いて、ただ走る。

そしてやがて辿り着いた所は、

視界の端まで広がる花畑だった。

その場所だけは霧が晴れ、

天には青い空と太陽が光っている。

大小様々色とりどりに広がる花畑の中、

少女は少年を引っ張り、

手頃なところで腰を下ろす。


「どう?綺麗でしょ?」


元気に揺れる花達を愛でながら、

少女は少年に聞いた。

あまり花に興味のない少年だったが、

少女の愛でる花が

活き活きとする様子を見て、

そうだね、と頷いた。

…なぜだろうか、ここにいる花達が

妙に懐かしく感じてしまうのは。

その疑問を少年は飲み込み、

少女に手を引かれるままに

次の場所に走っていた。

少年は、驚かなかった。

自分の足が地を離れ、空気を踏み、

あの巨大な木の枝の1本に

少女と並んで座っていることに。


「ここもいいでしょ?」


その場所からは、

霧の海を見渡すことができた。

高い山から雲海を見下ろすように、

巨大な木の枝から霧の海を眺める。

辺りに広がる銀世界のような

霧の海を眺めながら、

少女はポツポツと話す。


「1人でいるの寂しいよね。

分かるよ、私も1人だから。

ずっと今まで。多分、これからも。」


少女が何を言いたいのか、

少年には理解できなかった。

さっきは一緒にいると言ったのに、

『これからも』1人とは、

どういう意味なのだろうか。


「でも大丈夫だよ。

君は…1人じゃないからね。」


悲しそうに、少女は言った。

そして、言葉の真意を少年が聞く前に、

少年の姿は光の粒となった。

キラキラと輝く金色の蛍火となり、

遥か空の旅へと出発した。

青く透き通る空を見上げ、

少女は小さく微笑む。

──少女は、また1人になった。

木からスラリと飛び降りて、

先程の花畑へやってくる。


「良かったね、ママとパパに会えて。」


寄り添って揺れる2輪の赤い花。

その真ん中に一回り小さな赤い花が

たった今、綺麗に咲いた。

少女はその花をしばらく愛でると、

近くにあった花に手を伸ばす。

それは大きな白い花だった。

しかし、今にも枯れてしまいそうだ。

少女はその花の花弁を1枚剥ぎ、

手の中に包み込んだ。

花弁を1枚剥いだだけで、

白い花は白い光の粒となって消えた。


「次なるあなたが、

優しく在れますように。」


少女の祈りと共に、

手の中にあった花弁は白い光の粒となる。

やがてその光は天へと舞い上がり、

新たな生命の始まりとなるのである。



──人の死には、2つの行き先がある。

簡単に言うと、『天国』と『地獄』だ。

生前に徳を積んだ者は『天国』へ、

悪に走った者は『地獄』へというやつだ。

しかし、それは凄く曖昧ではないだろうか。

徳の定義は難しく、

また、悪の存在も罰し難い。

『罪を憎んで人を憎まず』という

古い言葉があるが、

人を憎まぬのなら『地獄』も必要ないはずだ。

ならば、『天国』だけあればいい。

しかし、そうは世界が許さない。

だから、神はこう言った。


「『行き先がある者』は、『地獄』へ、

『迷える者』は『天国』へ。」


行き先があり、目的や夢がある者は、

その目的を果たす為の試練に

耐えられるように地獄へ。

戸惑い、迷い、悩む者は、

考える時間を与える為に天国へ。

…と、神は定めたのだ。

そして『天国』を任された少女は、

『迷える者』を優しく迎える。




「──迷ってしまったの?」と。

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天国で迷う少女 青篝 @Aokagari

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