二月号
「あ、傾いてる。もうちょっと右を上に」
「こう?」
「今度は上げすぎ」
「あはは。慣れないね、何回やっても」
掲示板に画鋲の跡をいくつも残しながら最後の一枚を貼り終えた白水は「うん」と小さく頷く。
「無事に今月号も完成してよかった。みんなの反応見られないのは残念だけど」
「メールするよ」
「うん。写真とか送って」
僕たちの作る新聞は今や校内でも人気のエンタメのひとつとなっていた。
毎月新しい新聞が掲示されるたび人だかりができて、それを陰からこっそり眺めるのが僕たちの楽しみだった。
「私、あのとき名前書いてよかったなあ」
白水は貼られた新聞の左下をそっと撫でた。そこには『制作:広報委員会』と書かれている。
そのとき僕は治ったと思っていた痛みを思い出した。
「ああ。白水さんが僕のこと興味ないから選んだんだっけ」
「ちがうちがう。逆だよ」
「同じようなもんだろ」
「いや全然ちがうから! え、そんな風に思ってたの?」
目を丸くしてこちらを覗き込む白水に僕は何も言えなかった。その沈黙をどう受け取ったのか、彼女は小さく息を吐く。
「憶えてる? あのとき名前書いてたの間淵くんだけだったんだよ」
「え、まあ絶対広報委員なりたかったし」
「じゃなくて、男子の中でさ」
白水の言葉に、委員会決めのときの記憶を思い起こす。
言われてみれば僕が広報委員の欄に名前を書いたとき、僕以外の男子はまだどこにも名前を書いていなかったかもしれない。広報委員が不人気だからかと思っていたが、人気の委員会にも名前がなかったような。
「みんな待ってたんだよ。私が名前書くの」
白水はその綺麗な顔に諦めたような笑みを浮かべた。
「こういう男女が一緒になるやつっていつもそうなんだ。私の動きじろじろ見ながら、追いかけるみたいに寄ってくるの。下心隠す気も無くて、ちょっと嫌で」
自意識過剰、と切り捨てることはこの白水結葉に限ってはできなかった。彼女はずっとそんな環境で暮らしてきたんだろう。
そこは僕の知る由もない世界だけど、彼女の顔を見ればそれが『ちょっと嫌』程度じゃないことくらい流石にわかる。
「だから安心したんだよね。黒板の間淵くんの名前見て」
「安心?」
「私以外もちゃんと見えてる人なんだろうなって」
それは僕にとっては当たり前のことで。
でも彼女にとっては奇跡みたいなものだったのかもしれない。
「間淵くんと広報委員できて楽しかった。ありがとう」
彼女の微笑みが合図かのように下校時刻を報せるチャイムが響いた。
日曜日でもチャイム鳴るんだ、と以前白水が驚いていたのを見て「そんなことも知らなかったのか」と思ったことを今でも憶えてる。
「ほんとに締めの挨拶みたいになっちゃったね。じゃあ貼り終わったし、帰ろっか」
白水は笑って、窓の形に夕焼け色が塗られた廊下を歩いていく。
その後ろ姿はとても画になっていた。僕も同じように後ろをついていくが、きっとこうは見えてない。
だからやっぱりそういうことなんだろう。
「間淵くんは来年も広報委員やるの? 私の代わりいるかなあ」
夕焼けと影を交互に踏みながら誰もいない廊下を一直線に進んでいく。
「まあでも間淵くんなら一人でも大丈夫か。去年もやってたんだもんね」
彼女の言葉を聞いていると、ふつふつと身体の奥が熱くなる。
自業自得だろ、と僕の声が
「次の学校も広報委員とかあるかなあ。あの出来立ての香りは病みつきになっちゃうよね」
「白水さん」
「んー?」
名前を呼ぶと、彼女は立ち止まり振り返る。
それを奇跡だと思わなくなったのはいつ頃からだろうか。
ずっとわかっていたはずだった。けど近づきすぎていつの間にか薄れてしまっていた。
僕と彼女は住んでいる世界が違う。
「──勝手に」
こんな気持ち、お門違いも甚だしい。自分で行間ばかり読ませておいて何を今さら。
でも抑えきれなかった。
私に興味がないとか。一人でも問題ないとか。勝手に。
「勝手に、僕を決めるなよ」
「え?」
白水は目を丸くする。僕は彼女の手首を掴んでいた。進む足を止めたかった。
「……僕は」
伝わってると思ってたんだ。
みんなが楽しめそうなネタ集めに奔走したり、夜遅くまでパソコンと電子辞書をポチポチしたり、休日に出来上がった新聞を学校中に貼って回ったり、忙しい毎日を一緒に過ごして通じ合ってると思い込んでたんだ。
でも、そうじゃなかった。
彼女にとって行間はただの空白で。自分の台詞にルビは振れなくて。
だから言葉にしなきゃ伝わらないんだ。
「僕は君に興味がなくもない!!」
咆哮にも似た僕の声が静かな廊下に響き渡る。目の前の彼女はさらに目を大きくした。でもそんなの構っていられなかった。
明日、彼女は転校する。
時間がない。伝えたいことは無限にあるのに。
「白水さんはかわいいし綺麗だ」
「間淵くん⁉」
「それに一途でがんばり屋でちょっと天然で、真正面からみんなと向き合えて、言いたいことが言えて、嬉しいときにはひたすら喜んで、悲しいときには思いっきり泣いて、白水さんは僕にないものをいっぱい持ってる」
「いや、ちょ、え、恥ずかしくないの⁉」
恥ずかしい? ああ恥ずかしいさ。顔から火が出そうだ。
けど、言わなきゃ。
「そんな白水さんがずっと眩しくて」
こんなこと言ったら気持ち悪いって思われるかな。急にどうしたって思ってるだろうな。でもこれだけはどうしても知っててほしかった。
住む世界は違っても、生まれた星が一緒なら。
この手と、目と、口で。
どうか伝わってくれ。
「僕も一緒に広報委員できて楽しかったよ」
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