エピローグⅢ──あの空に手が届くかのように

「まったく……余計な手間かけさせて。足枷をとるなら、本人にも伝えといてほしいものです」


「ほんまや、ほんま。こっちの迷惑も考えてほしいもんや、このドアホスター……ッ」


「……ド……ドアホ、スター……」



 謎の新出単語に、メルは目を白黒させた。


 商人ギルドの商談室は六人もの熱気でにぎわっていた。

 奴隷管理局のライザとパルメラが飲み友達のようにコーヒーをガブ飲みするかたわらで、ライザの部下であるアーサーが苦笑いしている。ソファに座ったメルとピエールがそろりと視線をやった向こう、窓際のアスターが憮然として目を泳がせた。

 まったく非を感じていないわけではないらしい……ような。



「……ねぇ、ピエール。なんでパルメラさんと奴隷管理局の女課長さん、仲良くなってるの……?」


「それがさ、メルが奴隷管理局に連れていかれたと思って、毎日怒鳴り込みにいって顔合わせてた反動で、共通の敵アスターさんが現れて意気投合したらしい……」



 ピエールと一緒に、ひそひそと話す。

 昨日の敵は今日の友、を地でいった形だ。

 それにしても……──



「毎日怒鳴り込みって。よく逮捕されなかったね……?」


「いや、パルメラさん、あれでロギオ商会の会長の孫娘じゃん? 大陸をまたにかける大商会の関係者だってわかったら、さすがの奴隷管理局もうかつに手出しできなくなったらしくて……」



 最初からパルメラの身元が割れていたら、あんなに強引な家宅捜索にはならなかったということだ。



「いやぁ、あれはライザちゃんも悪いと思いますよー? ろくな説明もしないでいきなり商館になぐり込み──」


「課長と呼べ、課長とっ」


「へぃへぃ」



 一喝いっかつされて、アーサーが飄々ひょうひょうと肩をすくめる。ライザはため息を逃がした。



「それにしても、まさか保護していた逃亡奴隷が王族の人体実験に使われていたとはな……本当に、まったくもって遺憾いかんだ」


「…………」


「……何だ、その顔は」


「…………いや」



 アスターの顔によぎった不審ふしんの色に、ライザはおもしろくなさそうに視線を逸らした。



「安心しろ。奴隷たちの待遇改善も、我々の仕事のひとつだ。……信じてもらいたいとは思わんがな」


「ライザちゃん、ムダに仕事熱心だからさぁ。こっちは早くうちに帰りたいッスよ……」


「課長と呼べ、課長と」


「はぁーい」



 アーサーが、トホホ……と肩を落とす。

 どうやら奴隷管理局、残業まみれらしい……。

 メルはひそかに同情した。



「さて、お嬢さん。……ちょいと失礼」



 足枷をとる器具をもって、アーサーが足元に身をかがめる。メルは息をのんだ。



(…………あ……)



 この足枷をとれば……もう完全に奴隷ではなくなる。

 道行く人々に奇異きいの目で見られることも、奴隷だからといってうとまれることもない……普通の子どもになれる。


 それは──

 自分の足で立つということだった。

 自分の責任は、自分でとるということ。

 もう……誰かを言い訳にして逃げることはできない。


 アスターの眼差しが、気遣わしげに揺れた。



「……いいのか、メル」


「…………」



 ──怖さは、ある。

 ……でも、もう決めたのだ。

 自分の足で立って──その先を見るということ。

 奴隷仲間リゼルたちの行けなかった未来を……メルは見にいく。

 自分の可能性みらいからもう逃げたりしない……。



「…………うん」



 メルの中で揺れていた天秤てんびんが、静かに定まる。アスターも蒼氷の瞳を細めた。

 メルの足枷がとれるのを、パルメラとピエールも息をつめて見守っている。

 カチン……と小気味のいい音がして、あっけないほど簡単に、両足首の重みが消えた。あしに巻き付けていた鎖が、シャラリと音を立てて……床に落ちた。



「どや、メルちゃん」


「う、うん……」



 恐るおそる……メルは立ち上がった。

 その場で足を踏みならして──思いがけない軽さに目をみはった。



「……!? うわぁ……! 軽い!」



 その場でぴょんぴょんね回った。

 背中から翼が生えて、空まで飛んでいけるような気がした──物心ついてから初めて知る「自由」の軽さ。

 パルメラとピエールの顔にも笑みが広がった。



「やったな、メル……!」


「メルちゃん、よかったなぁ」


「うん……!」



 奴隷管理局のふたりもまんざらでもなさそうに顔を見あわせている。


 その様子を遠巻きに見ながら──

 アスターがどこかさみしげな顔をしているのに、メルは気付かなかった。



「アスター、私……!」


「──あれ? メルちゃん。なんや、このアザ」


「……え?」



 ──……アザ?


 アスターに声をかけようとしたメルは、パルメラの声にふと、視線を戻した。

 足枷の下に隠れて、今の今まで気付かなかった……。



「どうした、メル」


「アスター。これ、何だろう……?」


「うん?」



 メルに言われて、アスターもソファの方に歩み寄る。

 長年、足枷をはめていて圧迫されたせいだろうと足元をのぞき込んで──……人知れず、絶句した。



「…………っ!?」



 足枷の外れたメルの足首には──

 かつてルリアの胸にあった焼きごてと同じ刻印しるしが刻まれていた……。

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