エピローグⅡ──巣立ちの季節

 王都リングドールからの帰り──

 フレデリカたちの劇団メンバーと一緒に交易町リビドにたどり着いたメルは、アスターと一緒に馬車を降りた。



「フレデリカさん、ミランさん。本当にお世話になりました!」


「奴隷管理局の追っ手は、本当にもう大丈夫なのかい?」



 見送りにきていたミランが心配そうに言う。

 アスターは肩をすくめた。



「レオン国王にも一筆書いてもらった。もうこいつを追い回すヤツはいないさ。それに──」



 アスターの予想が正しければ、その奴隷管理局の職員たちはメルを捕らえにいったのではなくて……──



「アスター、どうしたの?」


「……いや、なんでもない」


「?」



 パルメラの怒り顔を思い浮かべて、アスターはげんなりする。

 事情を知らないメルは、首をかしげた。



「ミランさんたちは、いつまでリビドに?」


「数日中には発つよ。次の町での公演もひかえてるしね。……ほら、フレデリカも。メルちゃんと別れるのがさみしいからって、いつまでもむくれてないで」


「あ……。ちょっ──」



 ミランに押し出されて、フレデリカが前に出た。……泣きらして赤くなった目を、らしくなく逸らした。


 メルの胸にも、フレデリカたちと過ごした日々が走馬灯のようにめぐった。一緒に舞台稽古げいこをしたことや、式典の舞台に立ったことが鮮やかに思い出されて……胸がまった。


 フレデリカが誘ってくれなかったら……王都に行ってアスターに会うことも、また魂送たまおくりができるようになることもなかった。



「フレデリカさん、ありがとう。お芝居しばい本当に楽しかった! フレデリカさんのおかげで夢が叶ったよ」



 感極まって言ったメルに、フレデリカはみどりの目を見開く。唇からかすれた声が出た。



「……から……」


「え?」



 フレデリカは、メルをきっとにらんだ。



「……私はまだあれしきの演技で満足してないんだから。何が『夢が叶った』よ。あれぐらいの演技で満足してもらっちゃ困るの。……あなたならもっとできるわよ」


「……え……?」


「あなたの演技、劇団長も買ってるの。他の団員たちもね。足枷あしかせがとれれば自由なんでしょ。……ねぇ、メル。私たちと一緒に来る?」



 フレデリカの差し出した手に、メルは目を見開く。

 ……心臓がドキリと跳ねた。

 とっさにアスターの方を見やった。

 冷静な蒼氷の瞳──何も言わない。


 ……ずっと、夢だった舞台。

 かつて奴隷仲間リゼルの見ていた夢は、いつしかメルの夢になった。夢を見ることすらあきらめていたメルに、希望の光を灯してくれた。


 やってみる前からあきらめてどうする、と言ってくれたアスターの言葉が脳裏を駆けて──



「私、は──……」



 フレデリカにこたえる言葉が──……震えた。


 その背後で──

 アスターが、静かにその場を離れた。



  ☆☆



 ──……ねぇ、メル。私たちと一緒に来る?



 怯懦きょうだれた心に見て見ぬふりをして──

 アスターはその場から離れた。

 メルの答えは──……聞かなかった。


 久しぶりに見るリビドの街路は、道行く人々の着る冬仕様の外套コートで色彩を失ったかのようだった。鈍色にびいろの空の下、人波に逆らうようにしてアスターは歩く。

 周囲の人々の気配に、ふと顔を上げた。

 見上げた空から、天使の羽のようにふわりとした結晶が降ってくる──初雪だった。



(……どうりで冷えると思った)



 真白い息が、背後に流れていく。


 ──出会った当初は、ひな鳥を見ているような気がしていた。

 戦うちからもないくせに、亡者との戦いに突っ込んできて。

 危なっかしくて、見てられなくて。

 何を決めるのにも誰かの顔色をうかがっていて……。



 ──私も戦う……最後まで。



 ……ひな鳥は、もういない。

 立派に、自分の足で立てるようになった。

 メルが何を選んだとしても、それはメルの人生で……。

 喜ばしいことのはずだった。

 なのに、心がひどく寒くて……。



(…………)



 鉛色なまりいろの空に手を伸ばす。

 先に行ったアスターを追いかけて、メルが駆けてくる。

 舞い降りた雪の一片ひとひらが、アスターの手のひらで跡形あとかたもなく溶けて──……消えた。

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