最終章8話 ノワールの亡霊

 エヴァンダールとカトリーナの墜ちていった断崖だんがいを見やって、アスターは声もなく立ちくした。


 あんなに戦い、苦しめられた相手だった。相手を利用し尽くし、容赦なく切り捨てるような男だった。……なのに、果てしない後悔が胸に押し寄せてきた。


 祖国を喪ったときと同じ悲しみ。

 それが胸に吹き荒れるようで──



「やれやれ、潮時か……。最期ぐらいは主君のもとにせ参じようと思ったんだがな」


「……!? 隊長……っ」



 炎と瓦礫の中から現れた男を見て──絶句した。……苛烈かれつな戦いを生き抜いてきたとわかる壮絶な姿。どこか投げやりに言った。



「反乱軍は鎮圧された。残るは俺ひとりだ。……見事に邪魔されたな」


「隊長……どうして! こんなことを……っ」



 アスターはえた。

 ノワール王国にいた頃のジェイドは、こんな愚行こと唯々諾々いいだくだくと従う男ではなかった。

 主君が過ちを犯したなら、止めるぐらいの度量をもっていた……それなのに。



「あんたならエヴァンダールを止められたんじゃないのか! なのに、なんでだよ……っ!」



 かつての部下に激情をぶつけられて、ジェイドはどこか疲れたような陰りをにじませた。



「仕える王子のためなんかじゃない……。これは俺のけじめだ。アスター、俺はさ、こんな世界滅んじまえばいいと思ってるんだよ……」



 ──滅びは、俺にとっての救いだった……。


 真意をはかりかねているアスターに、ジェイドはんだように語った。



「グリモワール三世陛下が憎かった。隣国のグリモアが手を貸せば、俺の国は滅びなかったかもしれない。特別派遣なんかにならず、あの国にいれば救えたかもしれない。家族も友達も部下たちも何もかも喪って──俺にはもう、何もない……」



 ──だから、エヴァンダールの計画に手を貸した。


 成功しても失敗しても、どちらでもよかった。エヴァンダールの殲滅のつるぎは、ジェイドに復讐を果たさせてくれた。


 国王暗殺が断頭台行きの重罪だとわかっていても、それでもよかった。

 何もかも喪った自分に未来なんかいらない。

 これは故国を守れなかった自分への──……罰なんだ。



「本当は、おまえのことも誘おうと思ってたんだ。なのに、おまえは相変わらずクロード王子を信じてた。あんな破滅を見ても、まだ希望ひかりを失っていなかった」



 ……俺にはムリだったんだ……。


 あきらめたように言うジェイドに、アスターはくしゃりと顔をゆがめた。



「違う……! 俺だってなくしかけた。取り戻せたのは、支えてくれるヤツらがいたからだ。こんな俺のことを信じてくれたヤツらがいた……から」


「…………そうか」



 ジェイドが薄く笑った。

 まるで大事な部下のそばに、そんなひとがいたのを喜ぶように。

 我が子の成長を見守る……親のように。



「アスター、おまえは生きろ。俺たちが行けなかった未来に──……」


「待て。隊長、何をする……!?」



 追いすがろうとしたアスターの目の前で、ジェイドの剣がほのかな燐光を帯びた──剣技。



「…………──っ!?」



 アスターと自分の間に横たわる空間自体を断つかのように、天井にまで届く嵐のような剣風が吹き荒れて、ジェイドの姿をまたたく間におおい隠していく。

 もろくなってくずれた瓦礫が降って、ジェイドとの間に越えられない絶壁を築いた。


 その向こうから──

 みずから炎に踏み込んでいく男の声だけが届いた。



「……おまえの活躍に……期待してるって、言ったの……嘘じゃ……なかった…………」


「隊長! くっ……!」



 追いすがろうとしたアスターを、獲物をのみ込んで舌なめずりするような炎がはばんだ。

 轟音ごうおんの中、人影が遠ざかっていく。

 アスターの手の届かない場所に消えていく……。



「……っ! 勝手なこと言うな。そんなこと言うなら戻ってこい! ……戻……って…………」



 ──そうやって……。

 …………みんな、戻らなかった…………。


 剣を教えてくれた父や、師匠だったラウ。

 かつてともに戦場を駆けた仲間たち。

 相棒パートナーとして支えてくれたルリア。

 主君として守ると決めたクロードさえも……。

 誰も彼もが、忘却の河の向こうに逝ってしまった。



「……っ! 勝手なんだよ。どいつもこいつも……!」



 涙で、視界が、ゆがんで。

 こらえきれなかった激情が、頬を伝って流れた。

 手にした剣が、どうしようもなく、重くて……。



「……。なんで……だよ……っ。なんでみんな勝手に逝くんだ! 俺を独りにするんだよ……っ!!」



 ──どうして……俺だけ……生きて……!



 ほとばしった慟哭どうこくを、紅蓮ぐれんの炎が掻き消していく。

 アスターを嘲笑あざわらうかのように。


 ──すべてをのみ込んでいった……。



(最終章・了)

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