最終章7話 ルージュの微笑み

 倒壊する会場を見ながら、エヴァンダールはずるずるとその場に座り込んだ。瓦礫がれきの降りしきる中で笑った。



「はははは……っ。ふはははは……!」



 ──これが結末。何もつかめなかった者の末路。


 何もかもを切り捨てても、つかみたい未来ものがあった。

 エヴァンダールなりに世界を救おうとしていた。


 どこで間違えたのだろう?


 実母ははにいらない子と言われたときから?

 父王に振り向いてほしくて魂解析アナリスの研究を始めたときから?

 妹を麻薬アヴァロンの実験体にしたときから……?


 それとも──

 生まれてきたことが、そもそもの間違いだったのか?


 妾腹しょうふくの王子だと──

 うとまれて生まれてきた、そのときから。


 何もかもが、ノワール王国のクロードとは違った。

 約束された玉座も、無知ゆえの安穏も。美しい婚約者も、心からの忠義を誓ってくれる臣下も。剣の腕や懐の深さも。


 その違いを思うたびに──みじめで。

 自分が手を伸ばしてもつかめないものを、思い知らされるようで……。



「結局、あんたと俺で何が違ったんだ……クロード王子」



 ぽつりと、つぶやいた。

 気だるくかざした腕の下、長いこと忘れていた涙が流れていった。……動揺した。そんなものがまだ自分に残っていたことが意外で。


 弱い自分など、切り捨ててきた。

 エヴァンダールは強くなければいけなかった。そうでない自分になど、意味はない。

 ──そう思って、封印してきた子どもの自分が……。

 ひょっこり顔を出したみたいで……。



「──何、泣いてんだ。バカ王子……」



 ──瓦礫の向こうに、金髪蒼眼の剣士が息を切らして立っていた。

 ……ぎょっとした。

 とっくに逃げたものだと思っていた。



「なっ!? アスター・バルトワルド? 貴様、なんでここにいる……っ」


「あんたが呼んだんだろ……このバカ。駄々っ子がイキがってんじゃねぇよ」



 本気でキレたような、心底嫌そうな気配が伝わってくる。心なしか口調まで変わっている気がした。

 呼んだ覚えなどないエヴァンダールは、八つ当たりされている気分になった。



「怪我人連れて逃げろって言っただろ、あんたの兄貴が。──ほら、手伸ばせ。引っ張ってやる」



 そう言って瓦礫の向こうから手を差し伸べる。……絶句した。

 あれだけの目に遭っておきながら、今更何を──!?



「……っ!? バカは貴様だ! 何の魂胆こんたんだ。レオン兄上かクリストフ兄上に断頭台ギロチン送りの首をとってこいとでも言われたか?」


「うるさい。俺だってあんたのことを助けるなんてまっぴらだ。でも、あんた、クロードのこと知ってるんだろ。ノワールにいた頃のあいつならこうする。それだけだ!」


「──……っ!?」



 エヴァンダールは、今度こそ目をみはった。

 友達が大怪我をするのは嫌だと言った銀髪の王子──

 その姿が、またしても目の前の剣士と重なって……。



「俺はあんたのことを止めたかっただけで、殺したかったわけじゃない。もう誰かが死ぬのは嫌なんだ……っ!」



 それは──

 故国を喪ったからこその言葉だった。

 愛する者も何もかも、喪って先立たれた者の吹き荒れる痛みと悲しみ……。



「…………っ! どれだけ甘いんだよ、おまえら……っ」



 不意に──

 エヴァンダールの目から涙があふれた。

 それは完膚かんぷなきまでの敗北感だった。


 結局──自分はこの主従に負けたのだ。

 どこまでいっても敵わなかった。

 そのことが、わかって。


 ──初めて、素直にうらやましいと思った。

 心を洗うかのような涙が、次から次へとこぼれて……──



「うわぁぁぁぁ……っ!」



 実母ははに与えられる愛情が欲しかった。

 父王に認めてもらいたかった。

 妹の笑顔を守りたかった。

 信頼しあえる友が……欲しかった。

 全部、自分で台無しにした。

 手に入らないからと力尽ちからづくで求めて、そうするうちに、求めていたものすらも見失って。

 自分の弱さだと……切り捨てた。


 でも、本当は──

 それこそが……。


 子どもみたいに泣くエヴァンダールに、アスターが唖然あぜんとして、次いで、剣呑けんのんな気配をゆるめた。



「……さっさと手を伸ばせ。火がすぐそこまで回ってきてる。ここも崩れたら終わりだぞ」


「…………っ!」



 エヴァンダールは屈辱くつじょくに顔をゆがめた。

 助けてもらう覚えなどなかった。

 それは、弱さの証明だったから。でも──

 その自分さえも受け入れなければ何もつかめない……。



「……っ!」



 差し伸べられた手をとるのに、想像を絶する勇気が必要だった。──それは信頼のあかしだった。

 不死鳥の意匠を刻み込んだ剣で、アスターの忠誠を試したときとは違う──……本当の「信頼」。


 弱い自分を相手に見せて、心ごと預けるということ。

 裏切られてもかまわないと──……覚悟すること。

 その重みに押しつぶされそうになりながら、エヴァンダールは手を伸ばした。


 その手が届きかけた刹那──

 身体が急に重くなってガクリとかしいだ。



「──……っ!? なっ!?」



 見下ろせば、褐色かっしょくの肌をした黒髪の女がしがみついていた──カトリーナ。



「エヴァ兄様……どこに行くの? 私の兄様……」


「くそっ! 放せ……!」


「……!? カトリーナ?」



 兄王子の身体にしがみついて行く手をはばむ妹王女カトリーナに、アスターも総毛立った。


 思うように動けない身体で血の跡をずるずると引きずって兄のもとに行ったのだった。薬物アヴァロンの影響か、明らかに正気を失った様子で、呪詛じゅそのような言葉をブツブツとつぶやいている。


 ふたり分の重みで、エヴァンダールの足場がガラリと崩れた。奈落のように深い階下の暗がりへと引きずり込まれる。



「このっ! 放せ……カトリーナ! 放せぇぇぇ!」


「兄様……一緒にこう? ……私の兄様……」


「エヴァンダール! カトリーナ……!」



 その奈落にみずからも落ちていくというのに、カトリーナは恍惚こうこつとした表情を浮かべる。

 そのカトリーナが、ふと、アスターを見た。

 狂気に浮かされた異常さは、そこになくて。

 闇色の瞳に、理知的な光さえ浮かべて──


 アスターに向かって、はっきりと、勝ち誇った笑みを浮かべた。



 ──やっと、私だけの、兄様に……。



「放せぇぇぇ! うわぁぁぁぁぁ……っ!」


「…………っ!? くっ……!」



 伸ばしたアスターの手が、くうを切って、エヴァンダールの絶叫が尾を引いた。


 遠ざかっていく闇色の瞳が絶望を映して──

 褐色の王子と王女は、アスターの手の届かない場所にちていった。

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