最終章3話 外交問題

(…………え?)



 ──……振りあおいだエヴァンダールの、頭上。


 柱だと思ってこぶしをたたきつけた甲冑が倒れ、槍が頭上にあった壺に当たって盛大に割りくだいた。

 ひとつひとつが致命的な凶器になりかねない重量ヘヴィー級の破片が、エヴァンダール目がけて容赦ようしゃなく降ってくる。



『!? エヴァンダール王子……!』



 クロードが叫んだ。

 スローモーションになった世界で、その声が……耳を打って。



(……っ!)



 襲いくる痛みと衝撃の予感に、とっさに両腕を交差させて頭をかばった……刹那。


 クロードが逃げるのではなく、


 欠片が降りかかってくるエヴァンダールの前に、躊躇ちゅうちょなく割って入る──エヴァンダールは目を疑った。



(このバカ! 身代わりになるつもりか!?)



 別の意味で戦慄せんりつした──そこから先は、動体視力のよかったエヴァンダールだから見えた。



 ──炎舞光輪斬!



(なっ……!?)



 見たこともない剣技だった。


 クロードが腰の剣を放ち、エヴァンダールに当たる破片だけを弾き返したのだ。

 燃えさかる太陽の真円を思わせる軌跡──ひと目で実戦にも通用する腕前だとわかった。


 弾き返された破片が、まるで季節外れの花火のように視界を鮮やかに舞って。細かな粒子となって細雨ささめのように粉々に砕け散る。


 剣撃をのがれた破片がバラバラと降りしきる中──

 エヴァンダールに降りかかるものはひとつもなかった。



『……っ! っ……!』


『! クロード王子、怪我を──』



 避けきれなかった破片で怪我をしたのか、クロードは腕から血を流している。……自分に当たるものよりも、エヴァンダールに降りかかる破片を弾くのを優先させたのだった。


 今頃になって異変に気付いたパーティー会場が、湖面に石を投げ込んだみたいに騒然となっている。


 ひとが駆けつけてきているのを見やって、クロードはいた。



『……エヴァンダール王子、大丈夫? 怪我はない?』


『あ、あぁ。でも、あんたの方が……』


『…………よかった』



 ほっとしたように、クロードは頬をゆるめた。

 警備の兵士たちが駆けつけてきた。



『クロード王子、エヴァンダール王子、ご無事ですか!? いったい何が……!』


『すまない、僕の不注意だ。転んだ拍子ひょうしに甲冑を倒してしまった。……エヴァンダール王子にお怪我がなくてよかった』



 平然と、そんなことを言ってのける。

 エヴァンダールは愕然がくぜんとした。



『──!? あれは俺が……』


『しっ……!』



(…………!?)



 背後のエヴァンダールに、こっそりと指を立てる。

 兵士たちが、クロードの怪我に気付いた。



『クロード王子、腕から血が……』


『あぁ。侍医じいを呼んでくれ。僕もすぐに行く』


『はっ……!』



 クロードに命じられて、兵士たちが去っていく。他の者たちもパーティー会場の客たちへの説明や後片付けに向かっていった。


 そのクロードの意図を理解して──

 エヴァンダールの心臓が、今更、冷えた。



(…………っ! 助けられ、た……)



 羞恥しゅうちに頬が染まった。


 他国の王子が城の宝物ほうもつを壊し、あまつさえ主催国の王子に怪我をさせたとなれば、外交問題に直結する。

 ノワール王国とグリモアの友好関係に決定的な亀裂きれつが入らない保証などどこにもない──いくらエヴァンダールに悪気がなく、クロードが口で弁護しようともだ。


 何もできない惰弱だじゃくな王子だと聞いていた。

 亡者に滅ぼされる世界を、ただうれえているだけの非力な王子だと。


 …………なのに。



(……っ。どこが、だよ……)



 ──壺が割れ砕けたあの瞬間。

 頭上から降り注ぐ無数の欠片を前にみずから踏み込むのが、どれほど勇気のいることか。


 破片の中からエヴァンダールに当たる破片だけを精確に弾き返したあの技量──もし同じ立場だったら、自分に同じことができただろうか。

 剣の腕は、もしかしたら自分よりも……。


 のどがカラカラにかわいて──

 ギリッと奥歯をんだ。



『なんで助けたんだ。この俺に恩でも売ったつもりか。自分の身を危険にしてまでどうして……っ』


『どうして……って』



 クロードは碧の目をまたたかせた。

 一歩間違えば、自分が大怪我をしていたのに。

 そんなこと、なんでもないというように……微笑んだ。



『友達が大怪我するのを見るのは嫌だろ?』



 ……絶句した。


 会ったばかりの他国の王子のことを本気で「友達」だと言って捨て身でかばう王子バカは他にいない。

 このクロード王子おうじのぞいて……誰も。



『……っ! あんた、どこまでおめでたいんだ……っ!』


『あ、あはは……。……ごめんね?』


『……──っ!』



 ──……完敗だった。


 思い知った。この王子にはかなわない。

 恵まれた境遇はさることながら、剣の腕も胆力たんりょくも……信じがたいほど甘っちょろいふところの深さも。


 クロードは、腕から血を流しながら……穏やかに微笑んだ。



『侍医が来たみたいだ。……僕はここで。エヴァンダール王子、また会おう』



 ──……再会を、約束して。

 その機会もついに訪れないまま、その二年後に、ノワール王国は滅んだ。


 残ったのは、敗地まみれた空虚な敗北感だけ……。


 そんなことも、月日の流れとともに忘れかけていた。

 なのに……──



『──ノワールの英雄が……生きてる?』



 ジェイドの報告を聞いて……思い出した。

 あのときの屈辱くつじょく的な想いも。

 焼けるような胸の痛みと狂おしいまでの嫉妬しっとが……鮮やかなまでによみがえってエヴァンダールをさいなんだ。



『防国の双璧──アスター・バルトワルド……か』



 ──……証明してやる。

 あのときの自分とは違うのだ、と。

 クロードよりも自分の方が……仕えるに値すると。

 あの王子から奪ってやる──忠誠も信頼も何もかも。


 クロードの腹心……王子が手ずから双頭の獅子ししの意匠が入った剣をさずけた無二の友。

 その男の忠義を勝ち取れば──今度こそ、超えられる気がした。クロードを……あの日の自分を。


 亡者どもに国を奪われ命さえもうしなった、あいつにのこされた最後の宝物ものを──


 俺がこの手でむしりとってやる……っ!



  ☆☆




 ──死霊乃風アルバラン・サーガ



 目の前にエヴァンダールの剣技が迫った。

 漆黒の竜巻トルネードのように辺りを吹き荒れる。


 亡者どもをバラバラに斬り裂いた技だった。アスター自身、遠くから斬り付けられただけで、まるで木の葉のようにあっけなく吹き飛ばされて地面にたたきつけられた、疾風しっぷうのつるぎ。

 それが今、眼前、手の触れあうような距離で繰り出された。


 その瞬間──

 アスターは……──自分の死を悟った。



(…………っ!)



 よければ剣の軌道上にいるメルやカトリーナに当たる。あるいはそれすら見失っているのかもしれなかった──自分以外のすべてを殲滅せんめつするつるぎ。


 手当たり次第すべてをのみ込み何も生み出すことのない──破壊の先の虚無。


 確実に死ぬとわかっているその剣の前で、アスターは──



 …………ただ、



「うぉぉぉぉぉ……っ!」



 自分の強さを信じろと言ったクロードを信じた。

 かつて自分の剣についてきてくれたルリアを信じた。

 アスターは負けないと言ってくれたメルを信じた。

 その剣を跳ね返す力が自分にあることを……信じた。


 半月を描く剣の軌跡が、青い燐光りんこうをおぼろにまとう。かつては吹き荒れる悲しみと絶望の音色を奏でた剣。でも、今は……。


 守りたいものがあった。

 ノワールが滅びすべてを喪ったと思った自分に遺されたもの。


 クロードの信頼。

 ルリアとのきずな

 そして──

 いつでも自分を信じてくれた少女の……はにかむような笑顔。


 万感の想いをこめて叫んだ。



「残光……蒼月斬……っ!!」



 激突した、その瞬間。

 互いの剣の波動がうなりを上げ、雷光のような輝きに目がくらんだ。


 剣の手応えだけが重くのしかかって──

 あとはもう、何も見えなくなった。

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