最終章4話 何もつかめないのは……

 アスター越しに、彼の背後に倒れていたカトリーナに向かって剣技を振り下ろしたとき、頭の中のどこか冷静な片隅に戦慄せんりつが走った。


 ──


 自分にただひとつ残った、大切なもの。

 裏切られたらもう立ち直れないぐらいに……。


 その思考に……真実、総毛立った。



(…………!?)



 何を考えている?


 あの女は自分を置いていこうとしたんだ。

 麻薬アヴァロンの苦しみからのがれ、アスター・バルトワルドや小娘の手をとろうとした。

 それを阻止そしして傷付けたのは自分自身だ。背後から刺し貫いた……でも。



(……違う。俺は……。殺す、つもりじゃ……!)



 剣を握った、手が、震えて。


 一度、繰り出した剣技は止まらない。

 死霊乃風アルバラン・サーガは今度こそ何もかもを切り刻むだろう。アスターのことも、魂送たまおくりをしていた少女のことも……──カトリーナのことも。


 一度は手を差し伸べ、ともに来いと言った者たち──エヴァンダールが欲しかったもの。

 でも、本当に欲しかったのは何だ?



 ──手を伸ばしても、何もつかめていないのは誰……?



 剣技の燐光が鮮やかに光って。

 巻き上げられた煙がもうもうと立ちこめた。



「アスター……!」


「⁉」



 視界の利かない中で聞こえた少女の悲痛な叫び声に、エヴァンダールは彼女の無事を知った。少女の背後で倒れていたカトリーナも、無事……。


 エヴァンダールは、我知らず肩の力を抜いた。

 心臓がバクバクと暴れ狂っている。

 冷や汗がこめかみをつたった。



(助かっ……た……?)



 ──……いな



(……──っ!)



 自覚した途端、胸が悪くなるような吐き気に襲われた。


 剣技が発動したあのとき──

 もしアスター・バルトワルドがよけていたら、彼女たちの命はなかったはずだった。


 自分がたてになって少女たちを──敵だったはずのカトリーナのことさえ守ってみせた。文字通りの捨て身で──


 ……自分の命を投げ捨てて。



「バカな、ことを……。ふ、ふふふふ……はははは!」



 わらいがこみ上げた。


 結局、あの父王と同じだ。

 正義感だけで、何が変えられる?

 口先だけで正しさを語ることなら、誰にだってできる。


 その正義というやいばで自分の邪魔をするやからがいるのなら、いくらでもねじ伏せて切り捨ててやる。これから先も……。



「ははは……あははははは!」



 それが悪魔じみた、泣き笑いみたいな顔になっていることに、エヴァンダールは気付かなかった。

 そのとき──



「…………あ……」



 呆然ぼうぜんと座り込んでいた少女が瞠目どうもくした。それが見えるぐらいには視界が回復していた。


 辺りにたちこめていた煙が晴れていく……。


 金髪の剣士の、全身斬り刻まれた無残な死体が転がっているはずのその場所に──

 アスター・バルトワルドは、斬撃に吹き飛ばされることなく、そこにいた。



「なっ……!?」



 式典用の礼服も外套マントもあちこちが裂け、自身も無数の傷を負っている。それでも、むしろ戦いの烈気れっきは少しもおとろえていない姿で。


 足枷あしかせ付きの少女が、歓喜の叫びをあげた。



「……っ! アスター!」



 ──ありえない。


 死霊乃風アルバラン・サーガは、確かに発動していた。アスターのこともすぐ間近でのみ込んだはずだ。

 衝撃の瞬間、あの剣士が剣技をよけもせずに巻き込まれたのも、この目で見ていた。


 なのに、なぜ……。



「……っ! あの瞬間、みずからも剣技を発動させて衝撃を殺したのか!」



 そうと理解した瞬間──

 屈辱に染まった。


 頭でわかっていても、できることではない。ハタから戦闘を見ていて助けに入るのとはわけが違うのだ。


 自分を殺す剣に、みずから踏み込んでいくなどと……!


 一瞬でも躊躇していれば命はなかった。

 残光蒼月斬けんぎの発動が一秒でも遅れれば、その瞬間、死霊乃風アルバラン・サーガはあの剣士の身体をバラバラに斬り刻んだだろう。


 それでも一切の迷いなく──

 致命傷になるとわかっている剣技の間合いにあえて踏み込んだ。


 みずからの身を危険にさらし、ひるむことなく自身も剣技を発動させて威力を相殺そうさいしたその姿が──


 ──……在りし日のクロードと、確かに、重なった。



「違う……俺はあの日から強くなったはずだ……。あんたのことなんか、とっくに超えたはずだ……! 俺は……俺は……!」



 ──魂解析アナリスの実戦配備などと、おぞましい……。



 自分のすべてをけてやってきたことを、父王に否定され──



 ──兄様……助けて! 身体がおかしいっ!



 麻薬アヴァロンで苦しむ妹のことさえ救えずに裏切られ──



 ──あんたは俺の主君にふさわしくない。



 とっくに死んだはずの王子クロードに向けられた、その忠誠心すら奪えなかった。


 足元の地面が、不意に、揺らいだ。

 何もせずにいるのは彼らなのか。

 それとも──


 …………それとも…………!



「……っ! ふざけるなぁ……っ! 俺は……!」



 そのエヴァンダールの向こう──

 アスターはんだ。エヴァンダールとの距離を一気につめて剣撃を浴びせかける。



「もうやめろ、エヴァンダール! 力におぼれた剣なんかじゃ誰も救えない……っ」


「何、を──! 何も切り捨てられないヤツが偉そうな口を利くな。その迷いに鈍る剣で何が為せる!」



 迷いに鈍る剣──

 エヴァンダールの前で、アスターは何度も負けた。


 ノワール王国が犯した罪の前に迷い──

 クロードやルリアのことを疑い──

 父の幻影におびえ──

 自分のことすら信じられなくなった。

 すべて切り捨てられればラクなのだと思った。


 けれど、きっと──

 その迷いさえも、もうアスターの一部なのだ。



「俺が戦場を駆けたのは、過去を──過ちや弱さをほうむり去るためなんかじゃない……っ!」



 ──アスターは? 亡者と戦ってるとき、何を考えてるの?



 たどり着きたい場所があった。


 亡者のいない平和な世界。理想を描いた幼なじみたち。剣ではなく──優しさを貫こうとしたかつての主君クロード


 何もかもを踏みつけるのではなく──

 都合の悪いものを見て見ぬふりをしてふたをし否定しつくすのではなくて──

 光も影も抱きしめていきたかった。


 おのれの強さも弱さも──すべてをかてにして。

 過去の過ちも、未来への希望も。

 現在いまを生きる力にして……!



「俺が戦うのは、先に逝ったヤツらも未来あしたに連れてくためだ。傷も痛みも全部糧にして、俺たちはこの先を行く。まだ誰も見たことのない景色を見にいく! それが俺たちのちからだ……!」


「………──!?」



 アスターの剣が振り下ろされる。

 その姿に、エヴァンダールは闇色の目を見開いた。


 目の前の金髪の剣士の姿が──

 かつて見た銀髪碧眼へきがん王子おうじの姿と、重なって。



(…………!?)



 それはまるで──



 ──……友の過ちを止めにきたみたいで。



「…………クロー……ド……!」



 口の中でエヴァンダールがつぶやいた刹那──

 アスターの剣が、今度こそ、エヴァンダールを斬り裂いた。

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