最終章 再来の王子

最終章1話 王子ふたり

 ──初めて会ったときから、そいつはどこか気にくわなかった。



『──ねぇ、ここ空いてる?』


『…………どうぞ』



 十六歳のエヴァンダールは、相手の顔も見ずに言った。

 ノワール王国で行われた建国記念式典──そのあとのパーティー会場だった。


 道中、亡者に襲われる危険のある情勢下で、国同士の交流はさほど活発に行われてはいない。

 送り込まれたのは、父王の気まぐれだ。ふたりの兄王子が公務で忙しく、融通の利いたエヴァンダールが急遽きゅうきょ、駆り出されたのだ。


 エヴァンダールもノワール王国に足を踏み入れたのは初めてで、特に知り合いもいなかった……のだが。


 他国の貴族たちが繰り広げる実のない退屈な話に辟易へきえきした。

 やれどこそこの令嬢を紹介するだの、鷹狩たかがりや舞台ミュージカルに招待するだの……正直言って、心底どうでもいい。顔に貼り付けた笑顔のせいで、頬の筋肉が引きつりそうだった。


 逃げるように向かったパーティー会場のすみで料理をつまんで、やっと顔を元に戻せる……と人心地ついたところで、声をかけられた。



(…………勘弁してくれ)



 不機嫌が顔に出ないように最大限の注意を払って振り向いて……固まった。


 彼がその場にたたずんだだけで、空気の色がんだ気がした。


 月の光をこぼしたようにえる銀の髪に、新緑を思わせるみどりの瞳。王子服の腰に儀礼用の剣をはいてはいるが、それでも陶磁の肌は白さを失っていない。にっこりと微笑んだ。



『はじめまして。君、グリモアのエヴァンダール王子だよね?』


『えぇ、クロード王子。お初にお目にかかれて光栄です』



 握手に応じようとした手が汗ばんで、笑顔の裏側で、ひそかにぬぐった。

 エヴァンダールの意思に反して、鼓動は熱く脈打っている。


 葬送部隊の最先端であるノワール王国、唯一の王子にして──生まれたときから次期ノワール国王の座を約束されている青年。



(これが……噂のクロード王子、か)



 秘密裏ひみつりに不死の軍隊を研究するノワール王国の──

 魂解析アナリスの研究に手を出したエヴァンダールの、その運命を変えた国の、ただひとりの王子。


 亡者のはびこるこの世界において戦いを嫌い、周囲の顔色をうかがい、何も決めることのできない惰弱だじゃくな男……彼に対するそんな評価は、エヴァンダールの耳にも届いていた。


 ──……が。



『僕のこと、覚えててくれたんだね。嬉しいな』


『──……。…………えぇ、まぁ。主催国の王子ですし』



 ……ガクッときた。


 社交場パーティーなんだから、来るヤツの顔と名前を一致させておくのは必須だろう……!?


 そんなこちらの胸のうちも知らず、クロードはにこにこと言う。



『グリモアに年の近い王子がいるって聞いて、前から一度話してみたかったんだ』


『…………はぁ、』



 こちらが面食らうことを平然と言ってのける。

 十六歳のエヴァンダール少年は眉根を寄せた。……思わずぼやいた。



『……年、近いか?』


『十九なんだ。君とは三つ違い』


『……知ってるけど……』



 …………。まぁ、兄王子のレオンやクリストフに比べれば、近いと言えなくもない、けど……。



(……何なんだ、こいつ。仮にも主催国の王子が、まさか客の顔と名前覚えてないなんてことないだろうな。……いや、これは俺を油断させる魂胆ハラなのか? 俺が十六のガキだと思ってバカにしてるのか?)



 イラつきながら悶々もんもんと悩んでいたエヴァンダールとクロードに、別の人物が声をかけた。



『あら、クロード──お友達?』



 彼女をひと目見て……エヴァンダールは目を奪われた。


 天使が地上に舞い降りたかと思うほど美しい女だった。


 背中にゆるく流れるプラチナブロンドの髪と黄玉色トパーズの瞳が、宝石のような輝きを放っている。まとった純白のドレスも彼女の清楚せいそさを引き立てて、けれど、生来の華やかな雰囲気も損なわない。

 手には、真っ赤なチェリーの入ったシャンパングラスと、紫色の宝玉をはめこんだ宝杖ロッド


 稀代きだいうたい手だというクロード王子の婚約者──ルリア・エインズワース。


 らしくなく鼓動が速くなった。

 エヴァンダールは視線を逃がした。



『いや、友達では──』


『あぁ、エヴァンダール王子、彼女はルリア・エインズワース。我がノワールの謡い手です。──ルリア、こちらはグリモアのエヴァンダール王子。さっき友達になったんだ』



 ……なってねぇよ!


 という心の叫びを、自制心を総動員して押しとどめた。

 仮にも主催国の王子に罵声ばせいを浴びせたとあっては、周囲にあらぬ誤解を招きかねない……。


 プラチナブロンドの髪をした謡い手はにっこりと笑った。



『グリモアの方、ノワール王国にようこそ。ゆっくりしていらしてくださいね』



 心とろけるような微笑みを残して、ルリア・エインズワースは去っていく。その後ろ姿を、エヴァンダールはどこか名残惜しい気持ちで見送った。


 クロードが内緒話でもするように言った。



『もしかして、君もみんなから逃げてきた?』


『いや、俺は別に……』



 図星だっただけに、とっさに、どうごまかそうか思案する。

 そんなエヴァンダールに、クロードは気さくに笑いかけた。



『あっちの回廊かいろうの方で夜風に当たらない? グリモアの話を聞かせてほしいんだ』



 ……願ってもない提案だった。

 実は、エヴァンダールの方も前から一度、話してみたいと思っていた……。



『……えぇ。いいですよ、クロード王子』



 見る者が見ていたら薄ら寒くなるような笑みで、そっとつぶやいた。

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