第10章7話 蝶の羽をむしるかのように……

 ……炎が、広がっていた。


 亡者どもの侵攻によって倒された松明たいまつが炎の舌を広げて、式典会場に燃え広がっていく。灰色の煙が立ちのぼり、熱気が辺りの空気をむさぼり、赤銅色に照らされたエヴァンダールの肌をチリチリと焼いていく。

 客席の方は、もう煙で見えなくなっていた。



(…………。……潮時だな)



 亡者どもに蹂躙じゅうりんされて阿鼻叫喚あびきょうかんの様相をていしていた会場は、とうの昔に静まりかえり、万一、亡者に食い残された生存者がいたとしても炎にのまれるのを待つだけだった。

 じきに、ここにも燃え広がる……。



「……。行くぞ、小娘。長居は無用だ」


「…………」



 アスターとカトリーナ……ふたりが倒れ伏した舞台の上で、少女は放心したように動かない。もはや抵抗する気力もなくしたようだった。

 歩こうともしない少女に、エヴァンダールは舌打ちした。



「弱者にすがりついても何にもならんぞ。所詮しょせん、この世は弱肉強食。弱いヤツは何もつかめやしない──俺に従え。存分にかわいがってやる」



 少女の唇が、かすかに動いた。



「…………ひ……と……」


「……? ……何だ」


「…………かわいそうなひと……」


「なん、だと……?」



 少女は──

 静かに泣いていた。

 泣き濡れてうるんだ瞳に憐れみを浮かべて、エヴァンダールを見る。



「あなたがたどり着きたい未来には何もない。大切なひとを裏切って、自分の弱さにもふたをして、何もかも否定しつくした世界には──何も残らない」


「……っ! もう一回、言ってみろ!」


「ぐっ……!?」



 エヴァンダールに首をめ付けられて、少女はあえいだ。

 それでも、にらみつけるのをやめない。……自分の意志を手放さない。



「亡者と戦う力すらもたない小娘が……っ。憐れなのは、おまえの方だ! 何もせない弱者にすがりついたおまえの──っ」


「……戦う……ために……一緒……じゃない……!」


「…………何?」



 締め付けがわずかにゆるんで、少女はゲホゲホとき込んだ。煙を吸い込んで余計にむせる。それでも、苦しい息の下で叫んだ。



「亡者と……戦って、もらうために……一緒にいるんじゃない! 一緒にいたいからいるの! そこに理由なんかいらないっ……!」



 エヴァンダールは目をみはった。


 少女の姿が、つかの間、子どもの頃のカトリーナと重なった。

 屈託なく微笑んでくれていた頃の──

 今はもううしなわれた笑顔と重なって……── 



 ──エヴァ兄様、だーいすき。



「やめ……ろぉぉぉ! 俺は……っ、俺はぁぁぁ……!」


「ぐっ……! あ……あぁ……!」



 首を絞められた少女が苦しげにのけぞる。


 もう魂送たまおくりをさせることなど頭からなかった。

 自分の手でくびり殺してやらなければ気が済まない。

 憐れな蝶の羽を素手でむしりとるように──

 か細い頸椎けいついを、折りくだいて……。



「……っ! やめろぉぉぉ……!」


「!?」



 大上段から振り下ろされた剣に、反応が遅れた。



「ぐっ……!」



 少女を手放したときには、肩を斬り裂かれていた。真っ赤な血飛沫ちしぶきが舞った。

 よろけたところを間髪入れず、金髪の剣士が襲ってくる。



「アスター・バルトワルド! まだ生きて……!?」


「……アスター……!」



 投げ出された少女が咳き込みながら歓喜の叫びをあげる。


 アスターは怒りにたけっていた。メルの無事を確認するやいなや、矢のようにエヴァンダールに斬りかかる。



「おまえにメルは渡さない! ここから先にも行かせない! 実の父親も兄妹きょうだいも切り捨てたおまえに……何もかも否定しつくすことしかできないおまえに……! この国を──世界を救うことなんかできないっ!」


「……っ! 嗤わせるな!」



 エヴァンダールも剣を打ち交わした。

 激しい剣戟けんげきの音色が辺りに響き渡る。何度も斬り結び、剣を交えては離れ、舞踏ダンスのように身体を入れ替えてぶつかりあった。



「何も切り捨てられないおろかな弱者に! 何を為せるというんだ……!」


「全部守るために、ここにいるんだっ」


「!?」


「今ここでおまえを止める。これ以上、思いどおりにさせない。メルもカトリーナも、おまえの手には渡さない!」



 カトリーナの名を出されて──

 エヴァンダールの怒りが頂点に達した。


 ──何度でもきれいごとを言う、その甘さ……。

 本当に、こいつは……──は。


 エヴァンダールは奥歯を噛みしめた。

 目の前に迫る金髪の剣士が、その言葉が──

 銀髪碧眼へきがんの王子を彷彿ほうふつとさせて──



 ──クロード王子を思い出して吐き気がする……!



「おまえにあの女が救えるなどとうぬぼれるなぁ……!」


「……っ!?」



 鬼気迫ききせまる絶望の剣に、蒼氷の瞳が見開かれた。

 この世界に生まれ落ちたことを嘆く、怒りと悲しみの音色。行き場もなく地上をさまよう亡者のような──深い慟哭どうこくさけび。



「おまえらに兄妹おれたちの何がわかる! 生まれたときから愛されて認められていたヤツらに兄妹おれたちの……俺の絶望がわかってたまるかぁぁぁ!」



 ──死霊乃風アルバラン・サーガ



 剣技が、アスターに真っ向から襲いかかった。


 漆黒の竜巻ハリケーンのように、軌道上にあるすべてのものを傷付け切り裂く破壊のつるぎ。その剣撃の先に──

 足枷付きの少女やカトリーナがいることは頭になかった。



「……え……?」



 剣の軌道上にいた少女が、呆然ぼうぜんとしたようにつぶやいて。



「…………っ!? メル!」



 剣技を放ったエヴァンダールの目の前で、アスターが巻き込まれる。



(なっ……!?)



 あまりの愚かさに瞠目するエヴァンダールの向こう、竜巻じみた剣技の燐光が、やけに鮮やかに光って……。


 そのすべてを──

 爆風に巻き上げられた煙がのみ込んでいった。



(第十章・了)

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