第10章5話 死霊乃風

 周囲を吹き荒れていた魔力の風が、嘘みたいにやんだ。


 瞠目したメルの目の前で──

 エヴァンダールの剣が、カトリーナを背後から刺し貫いて。

 すべての音を置き去りにした世界の真ん中で、黒髪の王女が血だまりの中に崩れ落ちた……。



「……っ!? カトリーナさん! カトリーナさん!?」


「エヴァンダール、おまえ何を……っ! ……くっ!」



 亡者と戦っていたアスターが、駆けつけようとしてはばまれる。

 メルの腕の中で、カトリーナはぐったりと血を流している。焦点の合わないもうろうとした瞳で、必死に兄の方を見て……涙を流した。



「…………にい……さ、ま……」


「役立たずのくせに、俺を裏切って寝返るか。どこまでも救いようのない女だな……カトリーナ。……そんなだから誰からも愛されない」


「……っ! 何、言って──!」



 メルは、頭にカッと血をのぼらせた。


 エヴァンダールは暗い瞳をしていた。

 これまでの笑みはどこにもなく、絶望と虚無が吹き荒れた目。……笑みの裏側に包み隠していた、彼自身の内に広がる闇。



「今までよく役に立ってくれた。が、どのみちもう限界だったな。麻薬アヴァロンでボロボロになった身体を元に戻す手立てはない。──だが、麻薬アヴァロンを使えば代わりはいくらでもいる。……来い、小娘」


「……っ!?」



 メルは、ぐいっと腕をねじり上げられて悲鳴をあげた。



「俺のために魂送りしろ」


「なっ──!?」



 ……耳を疑った。

 散々、カトリーナ魂解析アナリスをさせておいて。利用して。自分で刺して……おいて。



魂解析アナリスに対抗したあの魂送りちから……興味深い。おまえの力、俺が有効に使ってやる」


「……っ!? お断りします。誰があなたなんかのために……っ。くっ……!」


「メル……!?」



 エヴァンダールの剣が、メルの首筋に当てられた。……亡者を倒して駆け寄ろうとしたアスターを制する形で。



「おっと……それ以上寄るなよ、英雄。この小娘のやわな首をはねられたくなければな」


「……っ!」


「……アス、ター……!」



 メルを人質にとられて、アスターは動けない。

 エヴァンダールの剣からは、生温かい血が滴っていた。それがメルの舞台衣装の胸元に落ちてぽたぽた濡らしていく。



(──……っ)



 実の妹を刺した剣だった……非情に──冷酷に。



「……ずいぶんと愉快ゆかいなツラだな、英雄。やはりこの小娘がおまえの足枷か」


「……メルを放せ」


「ふん。小娘ひとり、人質にとられたぐらいで動けんか。……だがな、もう少し自分の心配をした方がいい」


「……!」



 エヴァンダールとの距離をめられないアスターに、一体、また一体と亡者どもが躍りかかった。その場から動けないまま応戦するが、瞬く間に囲まれていく。



「アスター……!」


「……っ! メル、待ってろ。今、助ける……っ」


「ムダだ。小娘ひとり切り捨てられないおまえにできることなど、たかが知れている」


「そんなこと……ないっ。アスターは……っ。あなたなんかに……。うっ……!」



 エヴァンダールの腕がメルの首をますますきつく締め付ける。剣が首の皮をかすめて、鋭い痛みに身がすくんだ。



「……アス、ター……──……」



 ──お願い、逃げて…………。

 このままじゃアスターが……!


 エヴァンダールは凄惨せいさんわらった。



「まったく……本当に反吐へどが出るような甘さだ。そういうところ、本当によく似ているよ──クロード王子に。ノワールの滅亡を前にして何もできなかった、無力で軟弱なあの王子にな」


「なん……だと?」



 アスターの声音が……氷点下まで下がった。



「──……取り消せ」


「俺は間違ったことは言ってないぜ。……何度でも言ってやるよ。何も切り捨てられず何も守れなかった……おまえたち主従は本当によく似ている。自分の国すら守れなかった──無能な敗北者だ」


「──! クロードのことを悪く言うな……っ!」



 頭に血がのぼったアスターが、エヴァンダールの方を向いたそのとき──

 エヴァンダールにいましめられたメルは、ギクリと身を硬くした。



(……!?)



 エヴァンダールの剣が、ほのかな燐光りんこうをまとった──剣技。

 細かな円の軌跡を描いた剣尖けんせんが、莫大ばくだいなエネルギーを生み出して衝撃波の渦を巻き起こしていく。



「俺はこの会場のヤツらを殲滅せんめつしてこの先に行く。この国を根本から作り変えて──救ってやる。その過程でどんなに犠牲が出ようとかまわない。何も切り捨てられない弱者に……何も変えられはしないんだよっ!」



 ──死霊乃風アルバラン・サーガ



「うわぁぁぁぁ……!」


「! アスター……!」



 漆黒しっこくの竜巻を前に、とっさに跳びすさって防御ガードしようとしたアスターの身体が、亡者ともども、風に散る木の葉のようになすすべもなく吹き上げられて、地面にたたきつけられた。


 双頭の獅子ししの意匠をほどこした剣が、アスターの手を離れて、舞台の上を転がって。


 アスターは……──

 それきり、動かなくなった。


 メルの頭から、思考が、真っ白に抜け落ちた。



「……アス、ター……?」



 ………………嘘。

 アスターがやられるわけ、ない。

 負けるわけが……ない。


 だって、フレデリカに約束したのだ。

 生きて帰るって……負けないって。

 アスターは強いからって……。



「アスター! 起きて、アスター……!」



 エヴァンダールに縛められながら、メルは必死に身をよじった。からみつく腕はかせのようだった。メルを捕らえて放さない。



「…………死んだか」


「……!」



 エヴァンダールが興味を失ったように言って──

 メルの頬を涙がらした。



「アスター! アスター……!!」



 倒れたアスターはこたえない。

 メルの呼びかけに……──何も。



「嫌ぁぁぁぁ……っ!!」

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