第10章4話 崩壊の音

 ──イラナイ。

 イラナイイラナイイラナイイラナイイラナイィィ……!



「うああああぁぁぁぁぁ……っ!」



 カトリーナは魔力の奔流の中で泣きじゃくった。


 麻薬アヴァロンで増幅したはずの分はすでに尽きている。魔力として変換されているのはカトリーナ自身の生命エネルギーであり、魂の断片だった。


 カトリーナ自身の魂の構成式が勝手に「解析」され解きほぐされ、バラバラにされていく……その筆舌しがたい痛みにのたうち回った。



 ──いらない子。

 ──あなたたちなんか産まなきゃよかった……。

 ──カトリーナ王女、助けてください……!

 ──俺にはもう、おまえだけだ……。



 脳裏をいくつもの声が駆け抜けていく。

 その中でも一際引き裂くような叫びが、心の深くてやわらかい部分をズタズタに切り裂いた。



 ──魂解析アナリスの謡い手じゃなきゃ価値のないこいつを、誰が認めてやるっていうんだっ!!



「あ……っ、あ……っ、あぁ…………ああああぁぁ!」



 憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イイィィィィッ!


 私を捨てた母様が……!

 振り向いてくれなかった父様が……!

 無責任に助けを求める兵士たちが……!

 痛みをわかってくれない侍女たちが……!

 私をこんな身体にしたノワール王国が……!

 助けてくれなかった……兄様がっ!

 私を見放したこの世界がぁぁぁぁ……っ! 



「いらないいらないいらないいらないいらないいらないいらないぃぃぃぃぃっ……!」


「……。……それ、誰に言われたの?」


「……!?」



 涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた先──


 レモン色の舞台衣装ドレスを着た少女がいた。見れば、彼女に亡者を寄せ付けないように戦っている金髪の剣士もいる。油断なく剣をかまえて、少女の元に行き着こうとする亡者を片っ端から斬り伏せている。


 ……目を疑った。

 亡者どものいる戦線を突破して、たったふたりで、カトリーナのところに来たのだった。


 とどめを刺しにきたのかと思った。


 そうでなければ、死にもの狂いの戦闘を抜けてくるはずがない。魂解析アナリスの逆解析で亡者にされかけた青年が、魔術のうずに翻弄されて死にかけた少女が、その復讐をしようとして──


 魔力を暴走させるばかりのカトリーナを、今度こそ殺すつもりで──

 …………そう思った、のに。

 少女は魔力の渦に堪えながら……微笑んだ。



「さっき、魂解析アナリスの中で、あなたの心がえたの。だから私たち、あなたを助けに──」


「……っ。やめて! 知ったような口を聞かないで!」



 悔しさに、涙がポロポロこぼれた。


 魔力の奔流の中で、自分の輪郭りんかくまで細かくくだけていくのがわかった。

 このままでは遠からず魂が「分解」される。今まで滅してきた亡者どものように……。存在自体を否定なかったことにされて──

 跡形もなく消えていく……。



「兄様に言われなくてもわかってたのっ。私なんか誰にも必要とされてない。誰にも愛してもらえない。こんな私なんか、誰にも……っ!」


「──カトリーナ。自分の存在価値を誰かに委ねるな」


「……!?」



 少女と背中合わせに戦っているアスターが声を荒らげた。



「『兄様』だろうが誰だろうが関係ない。自分じゃないヤツがなんて言おうと、それはあんた自身じゃないっ!」



 頭にカッと血がのぼった。叫び返した。



「うるさい……うるさいうるさい! ノワールの人間が何を言うの! あなたなんかの指図は受けな──」


「……確かに、俺はノワールの出身だ。防国の双璧って呼ばれてたことも、剣の腕を求められたこともある。でも、その前に、アスター・バルトワルドっていうひとりの人間なんだ」


「!?」


「あんただってそうだろ。『兄様』が認めてくれなくても、魂解析アナリスができなくても……あんたはあんただろう!」



 そのとき初めて──


 蒼氷アイスブルーの瞳がまっすぐカトリーナを見ている気がした。透き通った色だった。吹き荒れる悲しみの音色を知っている瞳……。


 カトリーナは、くしゃりと顔をゆがめた。



「放っといてよ! 私なんか、このまま消えちゃえばいいのよ……っ。兄様に愛してもらえない私なんか……」


「──カトリーナさん」



 泣いているカトリーナに向かって──

 少女が手を伸ばした。



「私と友達になろう? ここからやり直そう」


「……え……」



 カトリーナは瞠目どうもくした。



「……とも、だち……?」


「本当はどうしたかったの? どう生きたかったの? ここからまた始めよう」



 ……そんなことを言ってくれるひとはいなかった。


 愛してくれるのは兄様だけ。

 侍女たちもおびえたように接していて。

 周囲が求めるのは、カトリーナの魂解析ちからだけ……。


 でも──


 微笑んだ少女の、舞台衣装の破れ目からのぞく足枷を見た。この少女の方が道具としてあつかわれてきたはずだった。役に立たなければ、切り捨てられてきたはずだった。

 それなのに、カトリーナに向かって手を伸ばす。亡者の脅威にさらされながら、何度でも……。


 でも、私は……──

 …………もう…………。



「……ムリよ。生き延びたってどうせ助からない。もうこの身体、ボロボロなの。薬物アヴァロンの影響は一生抜けない。苦しむために生きるぐらいなら……もう……」


「──でも『助けて』って言ってた……っ」


「……え……?」


魂解析アナリスの中であなたの声が聞こえた。だから来たの。あなたの本当の『声』が聞こえたから……!」



 少女の言葉に、目をみはった。

 言葉にならなかったカトリーナの本音こえ


 ……熱い涙が目尻を伝った。

 ずっと、誰にも届かないと思っていた。

 兄に助けてもらえなかったあの日から、ずっと……。



「…………」



 少女に向かって、恐るおそる手を伸ばした。その様子に、戦っていた金髪の剣士もどこかほっとしたのが伝わってくる。


 輪郭の崩れ落ちかける手を、少女は笑顔で受け止めようとした。魔術の風に翻弄されながら、必死で手を差し伸べてくれる。


 もう少しでお互いの指が触れる、そのとき──



「………………興醒きょうざめだな」



 身体に灼熱しゃくねつの痛みがぜた。

 見下ろした先──ドレスのお腹から剣が生えていた。



(……え……?)



 ゴボリと血を吐いて振り返る。

 自分を背中から剣で刺し貫いた、同じ顔立ちをした双子の片割れが、ひどく冷めた目をして立っていた。



「…………にい、さ、ま…………?」



 身体に力が入らなくなって……くずおれた。

 魔力の渦がいでいく……。



「カトリーナさん!? カトリーナさん……!」



 カトリーナの手をつかみそこねた少女の悲鳴が、亡者と戦っていた剣士の怒声が、遠くから聞こえた。

 その隙間すきまを縫って届いた、冷え切った声。



「…………──裏切り者は、いらない」

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