第3章4話 逃亡奴隷③──発見
天幕の立ち並んだ広場は、王立劇場の裏手にある関係者区画だったらしい。
もしメルが奴隷扱いされて鎖でつながれることになっていたら、『河のほとりの恋人たち』の舞台の上演時間中、ずっとあの猛獣たちのうなり声にさらされることになっただろう。それを思うと、背筋が冷えた。
フレデリカの案内で、メルは王立劇場の楽屋に通された。
道中、メルの足枷をチラチラ見る者はいても、フレデリカが堂々としているせいか、誰も声をかけてこない。
「まったくもう。そんな目立つものつけてるのに、なんでちっとも見つからないのよ。捜したじゃない」
「……捜した……?」
心当たりのなかったメルは首をかしげた。
フレデリカに奴隷扱いされて嫌がられた記憶はあっても、わざわざ捜されるような覚えはない。
「ち、違うわ。なんで私があなたなんかを捜さなきゃいけないのよっ。──ほら、これ」
楽屋の引き出しから紙切れをつかみ出して、メルに差し出した。上質な紙質と絵柄に見覚えがあった──舞台『河のほとりの恋人たち』の
裏返すと、流麗な筆致で文字が書いてある。
「あ、あなたが私のサインを欲しがるからっ。感謝しなさいよね」
「……そうそう。君がフレデリカを亡者から助けてくれたお礼なんだって。受け取ってあげて」
優しい声が割って入った。フレデリカに初めて会った朝、彼女にマネージャーと呼ばれていた青年だ。
「ごめんね。彼女、素直じゃないから……。本当は君にサインをあげたくて、ずっと捜してたんだよ」
「ミ、ミランは黙って!」
図星を突かれたフレデリカが頬を膨らませてそっぽを向くのを、メルはぽかんと見た。
「私、あのときは何も……。フレデリカさんが亡者に石を投げてくれて。助けてもらったのは私の方です」
恐縮するメルに、フレデリカは胸を反らせた。
「当たり前じゃない。自分より年下の子を戦わせて平気な顔してるなんて、私の
「うんうん。ファンの子が亡者の前に飛び出していって、気が気じゃなかったんだよねー。よしよし」
「ちょっと、ミラン。子ども扱いしないで。マネージャーのくせに生意気なのよっ」
強気なフレデリカも、マネージャーのミランの前では形無しだった。毛を逆立て怒る猫のパンチをいなしているようにも見える。
気弱そうに見えて、実は強い……。
「あれ? 鑑賞券……二枚ある?」
手元の鑑賞券に、首をかしげた。
サインを書くのなら一枚でいいはずだ。
フレデリカは、当然でしょ、とこともなげに言った。
「招待券だもの。もう一枚は、あのいけ好かない剣士の分。……あなたたち、今日は一緒じゃないの? そもそもなんで劇場の立ち入り禁止区画なんかにいたのよ」
「……アスター、は……」
──王都に、行っちゃって……。
奴隷管理局のひとたちが、ギルドを訪ねてきて。
メルも、あそこには戻れない……。
「…………──っ」
心のもろくなった部分が、ゆるゆるとはがれ落ちて。
熱い
メルが急に泣き出すから、フレデリカが慌てている。
泣くのを止めなくちゃと思った。
でも、溶け出した心は、メルの意思とは関係なく勝手にあふれていく。
──泣くな。泣いても何も変わらない。
それは昔、大切な友達が言っていた言葉。
舞台のヒロインにあこがれて、自分もその名前を名乗った
ふわりと、優しい香りに包まれた。
泣いているメルを、フレデリカが抱きしめていた。
「ほら。何があったか知らないけど、泣きたいだけ泣きなさい。わけは、あとでいくらでも聞いてあげるから」
思いがけない温かさに、頭がくらくらする。
フレデリカからは、花の香りのようないい匂いがした。
かたわらで、マネージャーのミランも微笑んでいる。
「うぇっ……! うわぁぁぁ……ん!」
フレデリカの胸の中で、メルは思う存分、泣いた。小さな子どもみたいに。
アスターが去ってしまってから溜まりに溜まっていた心の
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