第3章5話 バラの都


 馬車の車輪が整地された石畳を踏む振動で、アスターはうとうととした眠りからめた。


 馬車の窓の向こうには、亡者避けであろう堅牢な石造りの街壁がそびえている。

 その外壁がやや外向きに反り返っているのを見て眉をひそめた。

 ……亡者相手の防衛線には見ない形だ。


 冬眠明けの熊のように伸びをしながら、ジェイドがあくびをかみ殺した。



「王都リングドールは初めてか?」


「……えぇ」


「そりゃあ、よかった。案内しがいがあるってもんだ」



 にっかりと笑った。観光しにきたような気楽さだ。……けれど、観光などではない。

 なんといっても、これから会うのはグリモア王家の人間なのだ。



「……グリモアには三人の王子がいるそうですね」


「あぁ。グリモア国王陛下と三人の王子たちが政事を担ってる。今から会うのは末っ子のエヴァンダール王子。まだ二十歳だが、亡者と戦う葬送部隊の軍師をしてる」


「隊長が仕えているのは、その王子殿下でしたね……」


「あぁ。特別派遣の任期が終わったらノワールに帰るつもりだったんだがな。二年前にノワールが滅んで……正式に、殿下の軍師補佐に抜擢ばってきされたってわけだ」


「……おめでとうございます」



 皮肉に聞こえたかもしれない。ジェイドは苦々しく笑って、何も言わなかった。


 馬車が街門の関所を通ってしばらく進むと、畑だらけだった街並みが徐々に石造りの建物に変わっていった。


 赤い屋根をした家々の窓という窓に鉢植えが飾られ、深紅のバラを咲かせている。街路のいたるところに同じバラが植えられていた。


 ジェイドが茶目っ気たっぷりにウィンクした。



「──ようこそ、バラの都『リングドール』へ」



 その言葉通り──

 グリモアの王都リングドールは、赤い屋根と白壁の家々が軒を連ねる優美な都だった。


 小高い位置にある城を中心として城下町が放射状に伸び、その周りを波打つような城壁が幾重にも囲っている。


 上空を飛ぶ鳥が見下ろしたら、巨大なバラが花開いているように見えるだろう──赤バラの都と呼ばれる由縁である。


 街の栄華を誇るように、グリモア国王の治政三十周年を祝う旗がいたるところで青空にそよいでいた。


 その王冠をいただいた金髪の若者──若かりし頃のグリモワール三世の横顔を見て、アスターはそっとつぶやく。



「治政三十周年か……」


「あぁ。その間も幾度となく亡者に侵攻されかけては踏みとどまってきた──この国の歴史そのものみたいな方だ」



 アスターのつぶやきに、ジェイドも応じる。美しい赤バラを枯らさんと群がるアリどもとの熾烈しれつな戦いに、想いをせるように。



(…………)



 アスターたちを乗せた馬車は、バラの中心部にある城に向かって城門をいくつもくぐっていった。

 大抵の関所は顔パスで、グリモア国内におけるジェイドの地位の高さをうかがわせた。


 ……その馬車が関所でも何でもない路肩で止められた。

 ジェイドはいぶかしんで窓の外を見た。



「……なんだ?」



 喧噪けんそうが、アスターの耳にも届いた。


 窓の外を見ると、人々が黒山の人だかりになって馬車の行く手をふさいでいる。他にも何台もの馬車や荷車が行く手をはばまれていた。


 ドアを開けて、風に飛ばされてきたビラを手にとった。骸骨がいこつのようなマークとともに、過激な文字の羅列が飛び込んでくる。



「…………『亡者解放戦線』?」



 眉をひそめたところへ、状況を確認しにいっていた御者がアスターたちのところに駆けてきた。



「すみません、ルミール騎士長。この先、街頭集会デモが起きているようで、城への道がふさがってます」



「……街頭集会デモ……?」


「あぁ。また、あの連中か……」



 心当たりがあるようで、ジェイドはうんざりと天をあおいだ。



「……? 隊長。この亡者解放戦線って、いったい──」



 アスターが言いかけたそのとき、拡声器越しに、人垣の中心にいる男が叫ぶ声が空気を揺らした。



「諸君。我々は長年、亡者の侵攻によって苦しめられてきた! 大陸中が国土を荒らされ、国々が滅亡に追いやられ、我々人類は、日に日に住処を追われ、追いやられてきた! ……そう長いこと、信じられてきた。が──」



 男はいったん声をひそめて、言葉を溜める。

 再び拡声器を構えて声を張り上げた。



「しかし。その認識は間違っている! 亡者こそが、我々人類を破滅から救う、真の救世主なのだっ!!」


「……は……?」



 聞いていたアスターはつい、疑問符をもらした。


 ──亡者が、人類の救世主……?

 何を言ってるんだ、こいつは……?



「亡者は腐敗の溜まったこの世界のうみを浄化し、選ばれた清浄な人間だけを次の世界へと連れていく正義の使者だ! 今の不平等な身分制度を壊し、この世界を真の『自由』と『平等』をもたらす至高の存在なのだ!」



 男は胸を張って、暴論とも言える主張を言う。

 そうだそうだ、と賛同する人々の声がますます高まっていくのに力を得て、声高に自らの正当性を振りかざした。



「なのに、グリモア王家はそのことを我々に隠そうとしている。我々に亡者への恐怖心を植え付け、王家にとって都合のいいかりそめの『平和』を維持しようとしている。──これがゆるされていいものか。胸に手を当ててよく考えてほしい!」



 男の主張に呼応して、群衆たちもますますたかぶって叫びをあげる。「そうだそうだ!」「真の敵はグリモア王家だ!」「亡者に滅ぼされちまえ!」という野次が飛んだ。


 あきれかえって開いた口のふさがらないアスターのかたわらで、ジェイドも聞く耳もたないといったふうに腕組みをしている。

 数人の騎士たちが、判断をあおぎにやってきた。



「どうします、やめさせます?」


「あぁー……どうせ焼け石に水だろうが……。しゃあない。何人かを鎮圧に向かわせろ」


「はっ!」



 ジェイドにうかがいを立てた騎士が去っていく。入れ替わりに、御者が戻ってきた。



「ルミール騎士長。裏通りに辻馬車をご用意しました。どうぞお乗り換えを──アスター様も」


「おぅ、すまんな。……アスター、行くぞ」


「……」


 馬車を降りると、人々の熱気と喧噪が一層強く感じられた。


 若者も老人もいる。男もいれば女もいる。身なりからして一般市民が多いものの、身なりの整ったシルクハットの男や小洒落たドレスの女もいた。


 そうして御者に先導されて裏通りに足を踏み入れたとき──


 拡声器で喧伝けんでんしていた男が鎮圧隊に取り押さえられたらしく、辺りはますます騒然となった。

 我先に逃げる者、鎮圧隊に襲いかかる者……。

 アスターはそれを振り向きかけ──



「きゃあっ!」



 背後からぶつかってきた、栗色の髪の女を、とっさに抱きとめた。



「……大丈夫か?」


「あ、ありがとう……。──……あ」



 アスターの腰の剣を見て、女が顔を引きつらせる。鎮圧隊のひとりだと思ったのだろう。


 だが、アスターは別のことに気をとられた。……女の足元には、鎖でつながれた足枷があった。



(……っ。奴隷……?)



「──……っ」



 女はおびえた表情で、道ばたに転がった編みかごを拾って、そそくさと走り去っていく。

 アスターはその背中を見送った。


 馬車を乗り換えると、やっと息のついたジェイドがこぼした。



「──やれやれ。到着早々からとんだものを見せたな」


「……。あんな喧伝行為デモが日常的に……?」


「あぁ。近頃ますます活発になってな。亡者が世界を浄化して、選ばれた人類をよりよい世界に導いてくれる、と」


「バカバカしい……」



 まったくだ……と、ジェイドも言った。



「だが、そうないしがしろにもしておれん。亡者解放戦線の『信者』どもの寄進や寄付をあてにして、一部の聖堂が寝返ってる」


「……まさか」


「それだけじゃない。貴族どもの中にも狂信的な『信者』がいる。水面下じゃ王政転覆てんぷくを狙って、聖堂と癒着ゆちゃくする動きまで出始めてる……らしい」


「……冗談だろ。それが本格化したら暴動じゃすまない」


「まったくだ。ただでさえ亡者で手一杯だっていうのに」



 アスターは、馬車の背もたれにもたれかかった。旅の疲れがどっと出たような気がする。


 ……救いが必要なんだ、とジェイドがこぼした。

 それが亡者であってもかまわない。

 自分たちを絶望から救ってくれるものなら。



「正直、もうグリモア王家だけじゃ押さえきれん。『英雄』が必要なんだよ。──だから期待してるぜ。殿?」


「…………。俺に何ができる……」



 ぐったりと恨み言を口にしたアスターに対して、ジェイドはほがらかに笑った。



「まぁ、そう言うなって。かつて最新鋭の葬送部隊を誇ったノワール王国の生き残り──十分、刺激的だぜ?」


「…………。その条件なら、隊長だって……」


「俺は亡者の侵攻の生き残りってわけじゃなし。……第一、俺が英雄ってガラかよ」


「…………」



 否定できないアスターに、ジェイドはガハガハ笑った。そんなジェイドを、アスターは恨めしく見る。

 ぽつりと、つぶやいた。



「……防国の双璧は、俺ひとりじゃなかった……」



 心得たように、ジェイドはうなずいた。



「知ってるよ。純白の戦乙女──ルリア・エインズワースの存在はでかかった。おまえと彼女の存在があったから、ノワールの葬送部隊の士気は高かったんだ。……が、まぁ、心配するな。こっちにも考えはある」


「…………?」



 ジェイドは窓の外を見た。次の街壁に差しかかって、馬車はいよいよ城の区画に入っていく。



「城に着いたら、エヴァンダール王子に謁見えっけんする。話はそれからだ」



 アスターの目にも、ピンク色の巻き貝のような城の威容が見えてきた。リングドール城──グリモアの国王と王子たちが住まう場所。


 アスターにとっても、新たな門出になるはずだった。

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