第10章2話 盤上の駒

「くっ……! カトリーナ!」



 戦っていたアスターの剣を弾き返して、転身、エヴァンダールは妹王女のもとに駆けた。


 カトリーナは苦しそうに肩で息をしている。

 先ほど、足枷あしかせ付きの少女に魂解析アナリスを弾き返されたダメージもあった。だが……それ以上に──



(ちっ……!)



 王子服のポケットをまさぐって、包みを取り出した。

 剣をもったまま、バリッと包装を噛み切る。

 そのまま妹に口移しで与えようとして──



「…………何の真似だ、小娘」


「──メル!?」



 カトリーナとの間に立ちはだかった少女に、声音を低くした。


 レモン色の舞台衣装ロングドレスを着た少女は、エヴァンダールの前に立ってガタガタと震えている。魂送りの杖をもっているだけで、丸腰も同然で……剣を手にしたエヴァンダールの前に立ちふさがった。



「カトリーナさんから離れてください。そのあめをあげちゃダメ……!」


「……っ。貴様、なぜそれを──。……っ!?」



 アスターの剣技の衝撃波がエヴァンダールを襲う。エヴァンダールは後ろに大きく飛びのいた。

 走り込んできたアスターが、メルとカトリーナを背後にかばった。



「メル、どういうことだ!?」


魂解析アナリスの中で見たの。あの飴がカトリーナさんの魔力を増幅させてるっ」


「……飴……?」



 不審につぶやいた向こう、エヴァンダールが歯にはさんだ何かをべっと吐き出して──

 緑色の飴がコロンと転がった。



「ふん……。これの正体に気付いたか、小娘」


「……正体……?」



 メルは、アスターにうなずいてみせた。



「魔術を使えないひとの魔力を格段に上げる飴……麻薬だよ。魂送りができるほど聖性のない一般のひとでも魂解析アナリスを使えるようにするための──禁断の薬」



 アスターは愕然がくぜんとした。

 ……心当たりがあった。



 ──具合悪いんじゃないか。

 ──余計なお世話ですわ。



 時折、体調が悪そうにしていた王女。

 それが薬の禁断症状だったのだとしたら……?

 感情の振り幅が大きいのも、もしかしたら、生来の性格じゃなくて……──



「……っ! 禁断症状が出るような薬を妹に与え続けたのか! なぜ──」



 アスターの激昂げっこうに、エヴァンダールはむしろ意地悪くんだ。



「おまえらも知っているだろう。魔術が使える人間なんか、この王都にもそうはいない。魂解析アナリスという魔術を使うためには、それにえられるだけの魔力を宿した肉体がなければ務まらない……それを人為的に高めるのが、俺の開発したこの麻薬──アヴァロンだ」


「……アヴァロン……?」



 苦しげにうめき続けるカトリーナに目をやって、メルがつぶやく。胸元が多く上下し熱に浮かされた王女のうるんだ目から涙がしたたった。



「……兄様、早……く……薬を…………助、け……」


「かわいそうに。苦しんでるじゃないか。早く『助けて』やらないと」


「……っ! 来ないで!」



 メルが叫び、アスターが剣をかまえる。

 そのアスターを、エヴァンダールは冷めた目で見た。



「なぁ、英雄。俺たちの肌と髪の色、他の王族ヤツらと毛色が違うだろう? 俺たち兄妹きょうだい妾腹しょうふくでな。……母様は、父上が手をつけた下働きのメイドだった」


「……!?」



 アスターは目をみはった。


 ……そうだ。

 初めて会ったとき、意外に思った。グリモア国王治政三十周年式典を祝してひるがえっていた旗印の横顔にも、城の廊下にあった歴代の国王夫妻の肖像画にも、どこにも同じ色合いの者がいなかったから。


 肖像画の中にいたグリモワール三世もマリアンヌ王妃も、金髪蒼眼だった。

 おそらく兄王子のレオンとクリストフも……。


 金髪蒼眼の兄王子たちと──

 黒髪黒眼の双子の兄妹きょうだい


 エヴァンダールは闇色の瞳に暗い影を宿した。

 在りし日の実母ははの言葉を聞くかのように。



 ──陛下が振り向いてくれないのは、おまえが妾腹の子だからよ。



「俺たち兄妹きょうだいは誰からも相手にされなかった。それでも実母ははがいた頃はまだよかった。……だが、やがて周囲からのいじめに堪えかねた母様が城から去って、俺たちはますます厄介者やっかいものになった」



 ──あなたたちなんか産まなきゃよかった……。



 実母ははに言われたその日から、エヴァンダールは強くなると決めた。


 誰よりも強く。

 自分で自分の居場所をつかむために。

 自分の力を、父や兄たちに証明するために……。


 そのために、世界を救う力を手に入れた。

 魂解析アナリスの研究をして、亡者どもに対抗できる手段を開発した……はずだった。


 父王に反対される──その日までは。



「俺たちは生まれたときからいらない王族だった。だから、俺は自分の価値を証明してきたんだ。魂解析アナリスの研究で軍に貢献し、剣の腕を磨いてのし上がった。──だが、こいつは……妹はそれすらもできなかった。魂解析アナリスの実験体になることを志願したのは、こいつ自身だ。俺の研究の役に立つならと……みずから望んで身体を差し出した」



 兄様の役に立ったら──

 私、いらない子じゃなくなるかな……?

 私を愛してくれる……?



(…………)



 泣き笑いで言ったカトリーナを、エヴァンダールは忘れない。

 だから、願いを叶えてやった。

 妹の求めるままに唇を重ね、麻薬アヴァロンを与え続けた。

 身も心もボロボロになっていく双子の片割れを、見て見ぬふりして……。



魂解析アナリスができなきゃ、この城にこいつの居場所なんかなかった。──俺はこいつに価値を与えてやったんだ!」


「そんなの、おかしいよ! お兄さんなら、なんで守ってあげなかったのっ」


「……何だと」



 にらみつけた足枷付きの少女は、ぼろぼろと泣いていた。

 それでも、エヴァンダールを真っ向から見すえてくる。……イラ立った。



「知った口を利くな。おまえごときに何がわかる……っ」


「わからないよ。あなたの痛みも、カトリーナさんの苦しみも。でも、お兄さんなんでしょ!? もっと別の方法で守ってあげることもできたはずなのに……っ」


「黙れ、小娘! 俺はこいつのためを思って──」


「違う! 妹さんのためなんかじゃないっ。あなたはただ、自分に都合のいいこまにしただけだよ!」


「!? なん、だと……?」



 剣をもつエヴァンダールに対峙たいじして、震えながら必死に言いつのる。


 足枷付きの少女の、その言葉は──

 エヴァンダールの心を、確かにえぐった。



「……っ! 都合のいい駒で何が悪い! 役に立たないこの女に、俺が使い道を用意してやったんだ。そうでなきゃ誰がこいつになど振り向く!」



 ドロドロとしたマグマのような激情に襲われて──

 血を吐くような罵声ばせいが喉からほとばしった。



魂解析アナリスうたい手じゃなきゃ価値のないこの女を、誰が認めてやるっていうんだっ!!」



  ☆☆



 ──…………。都合のいい、駒……。


 意識のもうろうとしたカトリーナの耳にも、激昂した兄の言葉はハッキリ届いた。

 魂解析アナリスの謡い手でなければ、愛されない自分……。


 胸の奥がしんと冷えた。

 禁断症状の苦しみとは、別の涙がこぼれて……──



「…………魂解析アナリス、を…………」



 ──しなくちゃ……。

 兄様に捨てられる。

 私には兄様だけなのに……。

 もう魂解析これだけしか残ってないのに……!


 兄様、兄様、兄様、兄様兄様ニイいさま兄様にいさま兄様ににいさま兄様にいさまにイいさま兄様にいさまにいぃぃぃぃぃぃィィ……!



「……!? まずい。メル、離れろ!」


「えっ!?」



 異変を感じたアスターが、メルを抱えて跳びすさった直後──

 カトリーナを中心に、爆発的な魔力の奔流ほんりゅうが巻き起こった。

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