第10章 盤上遊戯の駒は踊る

第10章1話 兄と妹

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」



 アスターとエヴァンダールの戦いを見ながら、カトリーナはもうろうとした頭でうめいた。

 …………目がかすむ……。

 助けて、兄様。助けて……助け、て…………。



「……っ!? カトリーナ!」



 気付けば、世界がかしいでいた。

 ドサリ……という無機質な音とともに、エヴァンダールの声が遠く聞こえて──

 カトリーナの意識は、闇に沈んでいった。



  ☆☆



『……アナリス?』



 初めて兄からそのことを聞いたとき、カトリーナは首をかしげた。エヴァンダールが毎晩遅くまで研究しているのは知っていたけれど……。



『そうだ。その研究に協力してほしい』


『……私が、兄様の研究に……?』



 ──……胸が高鳴った。

 嬉しかった。兄の役に立てることが。

 同い年の双子の兄──でも、カトリーナと違って、エヴァンダールはなんでもできた。世界を救う研究をしている兄のことを、カトリーナは子ども心に誇らしく思っていた。


 だけど、実際は──



『あ……ぐっ!? きゃぁぁぁっ! 兄様……助けて! 身体がおかしいっ!』



 身体が燃えるように熱くて、視界がぐるぐる回った。思考が千々ちぢに掻き乱されて、生きながらにして亡者に食われる悪夢のような幻覚が襲った。


 ──助けて! 助けて! 助けて! 兄様ぁ……!



『ははは……! 成功だ!』


『──!?』


『よくやった、カトリーナ。それでこそ俺の妹だ……!』



 ……涙がつたった。

 カトリーナをむさぼり食う亡者どもの幻覚の向こうに、笑いながら自分を見下ろす兄がいて──

 その日から、カトリーナの地獄は始まった。



『カトリーナ王女、魂解析アナリスを……!』


『助けてください、カトリーナ様……!』



 誰にも必要とされず、かえりみられることのなかったカトリーナの力を、みなが求めた。



『はぁ……っ、はぁ……っ、はぁ……はぁ……っ』



 魂解析アナリスを使うたび、薬の量は増えていった。身体は言うことを聞かなくなり、思考が思うようにまとまらなくなった。



『……カトリーナ様、お加減がよろしくないのですか? 少しお休みをとられた方が……』


『……っ。うるさいわね。放っといてよ!』


『ひっ……!』



 ささいな物音にイライラし、侍女たちに当たり散らす。……周囲のおびえた態度も、ますますカトリーナのかんにさわった。


 でも──


 カトリーナが活躍するたび、兄は優しくなった。

 忙しい合間をってはカトリーナに会いにきて、甘い言葉をささやいてくれる。

 いつしか兄だけを求めるようになった。

 私には、兄様だけ……。

 他には何もいらない……。



『俺には、もうおまえだけだ……カトリーナ』



 父王に魂解析アナリスの研究を否定されたあの日──

 エヴァンダールは暗い目をして、カトリーナの元を訪れた。


 父王の暗殺計画を聞いても、カトリーナは驚かなかった。いつかエヴァンダールは一線を超える……魂解析アナリスの研究に浮かされるエヴァンダールを見ていたから、そんな予感があった。


 エヴァンダールが「光」で、カトリーナが「影」。ずっと、そんなふうに生きてきたから……。影は、光に付き従うだけ。自分の意思なんか、もたなくていい。


 ──それなのに……。



『俺はあんたの考えにも、エヴァンダール王子のやり方にも賛同できない……!』



 カトリーナの前に突然現れた元ノワール王国の剣士は、そんな自分たちを真っ向から否定した。


 ……ゆるせなかった。


 自分をこんな身体にした研究をしていた国の人間が、何も知らずにきれい事を語って、自分や兄をおとしめる。


 ノワール王国の王子のそば仕えをしていたくせに、不死の軍隊を作る研究のことすら知らされず、最先端の葬送部隊を誇った国の英雄としてのうのうと生きている……。


 だけど、何より──

 そんな男のことを兄が気に入っているふうなのが、一番気にさわった。


 決してなびかない野良猫を手なずけるかのように、新しいオモチャを見つけたみたいに、エヴァンダールはアスターのことを語った。その姿を見るたびに、カトリーナは焼け付くような焦燥しょうそうに息もできなくなる。


 兄様……私を見て。私を見て。私を見て。

 私だけの…………兄様。

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