第9章8話 隣にいるのがあなたじゃなくても……

 心がバラバラに砕かれたみたいだった。


 身体中、父に打ちのめされたアザ傷がみるような痛みを訴えている。立ち上がる気力などすでになく、気だるいような悲しみとみじめさが胸を締め付けていた。


 丸突剣を投げ出して泣いていた子どもは、ひとの気配に、びくりと身体を硬くした。



「もう……やめて」



 ……かすれて弱々しい声が出た。

 また父の丸突剣が振り下ろされるかと思った。


 ……でも、もうムリなのだ。

 立ち上がるには、あまりに悲しくて。

 気力も体力も、もう限界を超えていて……。

 ……ラクになりたかった。


 みずから望んで握った剣ではない。ただ武門の家に生まれたからと、押し付けられたものに過ぎない。



「ぼくはもう、たたかいたくなんか、ない……!」



 父の凶刃が振り下ろされるかと思った。

 弱いおまえには誰も救えないと、責め立てて。

 でも、覚悟していた衝撃はなかなか来なくて──


 不意に届いた光の気配に、ふと、顔を上げた。



(…………?)



 暗闇の中に、光の道ができていた。

 よく見ると、何かキラキラとした破片で形作られている。その破片が温かい光を乱反射させて、美しい光の道を作っているのだった。


 その光の道を、少女が駆けてきた。


 年は十代の半ばぐらい。無残に切り裂かれたレモン色の舞台衣装ロングドレスを着て、木彫りの杖を手にしている。足首には、鋼鉄の足枷をはめていた。


 けれど、何よりも目を引いたのは──

 少女の身体中に走る無数の亀裂だった。

 ひと目で、壮絶そうぜつな戦いの跡を物語る出で立ち。

 少女の右腕は割れ落ちて、ひじの先からなかった。


 ……なのに、アスターの前で、花がほころぶように笑った。



「アスター、やっと見つけた……! 一緒に帰ろう?」



 少女は手を差し伸べようとして……途中で思いとどまった。左手にもつ杖をもて余して。腰にベルトでもないかとまさぐって、結局は、舞台衣装ドレスの流麗な曲線にあきらめる。


 アスターは……──

 静かに、失望した。



「……あんたも、ぼくにたたかえっていうのか……!」


「……え……?」


「そんなになってまでたたかうことに、なんのいみがある。あんたも、いっぱいきずつけてきたんだろ!? きずつけて、きずついて……いっぱいかなしんだのに、なんでまだたたかうんだ!」


「……アスター……」


「いいかげんにしろよっ。もうたくさんだ! ぼくはもう、たたかいたくなんかないんだ……っ」



 少女の顔にも失望が浮かぶかと思った。


 弱い自分など、誰も必要としない。

 周囲が求めるのは「バルトワルド家の跡取り」で、「武門の家の英雄」で、そんな期待を勝手に押し付けて……失望する。……もうたくさんだった。


 アスター自身のちっぽけな願いなど、誰も……──



「……もう戦わなくていいですよ」


「…………え?」



 父の凶刃の代わりに──

 降ってきたのは、穏やかな声。


 少女は何かを放り出した。見慣れぬ紋様がほどされた木彫りの杖。それがアスターの手放した丸突剣とぶつかって、乾いた音を立てて転がった。

 ……あいた左手で、幼い子どもを抱きしめた。



「……おねえ、さん……?」


「アスターが戦いたくないなら、戦わなくていい。亡者と戦ってくれるから一緒にいるわけじゃないもの」



 アスターが強いから一緒にいるわけじゃないよ……と。

 そんな言葉を、アスターは知らない。

 幼すぎるアスターは……まだ。


 少女は──メルは微笑んだ。



「私ね、アスターが『魂送りしなくていい』って言ってくれたとき、悲しかった。私がいる意味を否定されたような気がして。でも、そうじゃなかったんだね」



 戦いたくないと泣いている子ども……アスターはメルに、自分のようになってほしくなかったのだ。

 周囲が期待する役割を押し付けられて、逃げることもゆるされない……そんな苦しみを、誰よりも知っていた。



「アスターは私に、そのままでいいって言ってくれた。だから、アスターももう独りで背負わなくていい。アスターが戦いたくないなら、私が戦う。もっと強くなって、アスターのことも守れるようになる。……そのとき、隣にいるのがあなたじゃなくても」



 子どもは、蒼氷の瞳をみはった。


 満身創痍そういでボロボロで……それでも、少女は自分の足で立っていた。

 対等であろうと、してくれた。

 アスターの心を……守ろうとしてくれた。 



「……たたかわ、なくて、いい……?」


「うん」



 少女が屈託くったくなく笑う。陽だまりのような笑顔だった。


 その微笑みが、なぜか、父の面影おもかげと重なって──

 幼すぎて理解できなかった、かつての父の言葉が、記憶の底からよみがえってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る