第9章7話 世界の欠片

 茫々ぼうぼうと広がる魂解析アナリスの闇の中──


 飛び散った破片の中に、メルはもうずっと長いこと座り込んでいた。

 転がっているその破片がもう自分の身体なのか、鏡の破片なのか、見分けもつかない。


 ──全部、自分で壊したのだった。



(…………)



 目をつむって、もう起きなければいい。

 そうすれば、嫌なことを何も見ないで済む。

 誰かに見捨てられる痛みに、切り裂かれることもない。

 絶望に満ちた世界で、疲れ果てることもない……。

 そう思った……のに──

 あるかなきかの光が、視界の端をぼんやりと照らした。



(…………?)



 破片にまぎれて、淡い光が乱反射していた。鏡を打ち砕くのに使った、魂送りの杖……。

 放り出していたその杖に、のろのろと視線をやった──刹那。

 まぼろしの声が聞こえた。



 ──今のあんたに、世界はどう見える?



「……。リゼ……ル……?」



 舞台の上──生命の躍動に満ちていた海の中で、歌い踊っていた友達リゼルの幻。



 ──あんたが歌って踊るとき、私たちは、ひとつになれる。忘れないでね。私は今も、あんたと一緒に「生きてる」。



 ……放り捨てたはずの、世界の、美しさが……。


 亡者がはびこり、魂送りをして死んでいくしかない現実せかいの中で、それでも夢を見て笑っていた友達の笑顔が胸に迫って……。

 凍り付いてしまったはずの胸に、かすかなぬくもりをともした。



(…………そうだ。私、は……)



 役に立つために、魂送りをしたかったわけじゃない。リゼルと練習をして、ただ楽しくて……。

 だから……──あのとき、応えたのだった。

 忘却の河の向こうに逝った友達に、ただ伝えたくて。自分のありったけの想いを届けたくて。

 かつての彼女があこがれた光る舞台に立って、自分の存在すべてで歌い踊った。



 ──私が本当にやりたかったのは、歌と踊りでこの世界とひとつに溶け合うこと。この世界にいる喜びを、私と一緒に生きてるみんなにも、忘却の河の向こうに逝ったみんなにも届けるよ。それが……──


 ──私たちの生きた意味になる……!



 リゼルの幻に応えた自分の弾むような声が、辺りに立ちこめる憎しみの波動をものともせずに切り裂いて……耳を打った、そのとき。

 地面に転がった破片の中に、何かが映り込んだ。



(…………?)



 破片の中に、ふたりの子どもが映っていた。

 魂送りの練習をする在りし日の姿。他の奴隷仲間の子どもたちも笑っている。



(…………あれ、は…………)



 別の破片には、事務室が映り込んだ。

 褐色の女商人が買ってきた揚げパンをみんなで分ける。メルと一緒に、同い年の少年も頬張っている。


 また別の破片に映ったのは、金髪碧眼へきがんの少女だ。ふたりで台本を片手に舞台稽古げいこに励む。少女たちを見守る丸眼鏡の青年が温かい紅茶をれてきてくれる……。


 無数の破片の中に、メルは「彼」の姿を見た。


 太陽を溶かしたような金の髪に、え渡る蒼氷の瞳。表情はとぼしいのに、ふとしたときにその目元がなごむ。


 ……メルが放り捨てたはずの、世界の欠片たち……。



「…………アス、ター……」



 それを見て──

 ひび割れた身体に、ぐっと力をこめた。


 ……まだ立ち上がれる。まだ……。

 だって、生きてる。

 私は、まだこの世界にいる。



「……リゼル……お願い…………力を……貸して……!」



 その想いに応えたのかどうか……。

 魂送りの杖がりんとした光を宿して──



 ……待ちがれていた、歌が降りてきた。



(…………──!)



 慣れ親しんだ古語の旋律が脳裏に流れてくる。それをひび割れた唇でつむいで、ステップを踏んだ──魂送り。

 動くたびに足元の欠片が皮膚を切り裂いて、鋭い痛みが走った。

 それでも、まだあきらめるわけにはいかない。


 ──私は……アスターを助けたい!



絶望やみはらう聖なる光よ……!  我が声に応えて導きの希望ひかりを示せ……聖なる浄化の焔フェアリー・シャイン!」



 魂送りの杖が、辺りにたちこめた憎しみの波動を浄化していく。


 視線を転じた先──

 無数の欠片に乱反射した光が、メルの前に光の道を出現させた。

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