第9章5話 冷たい腕(かいな)

 ──憎イイイィィィィ……!



「ぐっ……!?」



 メルは突然、暗闇の空間に投げ出された。


 抱きしめていたはずのアスターがいない。お互いに、意識だけの存在になって、魂解析アナリスの術式の中に放り込まれたのだ……。



 イィィィイラナイイラナイイラナイイラナイィ……!

 憎イ憎イ憎ィ憎イイィィィ……!



「あ……うぅ……っ! 頭が……割れる……!」



 辺り一面を憎悪の叫びが吹き荒れ、メルの意識をめちゃくちゃに翻弄ほんろうする。うずくまって耳をふさいだ。



(……っ! これが魂解析アナリスの中なの……? こんなところに、アスターは……!)



 果てることのない闇に閉ざされた空間だった。

 世界を憎みのろう負の波動が辺りに満ちて、耳をろうする声なき叫びに意識が吹き飛びそうになる。


 亡者を魂をその存在ごと否定して滅し、ひとの魂の構成式さえも異形の怪物へと「書き換え」る狂気の魔術……。



(アスター、どこにいるの? 無事でいて……!)



 向かい風の中、足を踏み出していく。舞台衣装の長いすそと足枷が、行く手をはばむかのようにまとわりついた。



 イィィィイラナイイラナイイラナイイラナイィ……!

 憎イ憎イ憎ィ憎イイィィィ……!



(…………くっ!)



 闇にのみ込まれたが最後、この空間から出られなくなる。

 アスターを助けることもなく……メルの存在自体も掻き消されてしまう。

 魂解析アナリスにのみ込まれた亡者の魂のように……。


 吹き荒れる怒りと憎しみの嵐に翻弄されて、こらえきれない涙がこぼれた。



「どうして……こんなことするの!」



 泣きながら叫んだ。式典を襲いアスターを亡者にしようとしたエヴァンダールへの問いでもあり、その兄王子に唯々諾々いいだくだくと従って魂解析アナリスをするカトリーナへの問いでもあった。


 どうして……!



「アスターは何も悪くない。式典に来てたひとたちだって。なのに、なんでこんなことするの。こんなことしたって、誰も救われない! 何がしたいんだよぉ……!」



 悪意のかたまりのような空間でこたえがあるとも思わない。

 けれど、不意に──

 向かってくる風が、戸惑ったように、



 ──何ガ……? 何ガ何ガ何ガ何ガ何ガ……。



(…………きゃっ!?)



 空間自体が、揺れた。

 巨大な地響きがとどろいて、踏ん張っていたはずの足元がおぼつかなくなる。


 ──耳に悪夢のような絶叫が届いた。



 イィィィイラナイイラナイイラナイイラナイィ……!

 ミンナェェェ……!



「……え……」



 ……唐突に、足元の地面が、消えた。

 気付いたときには宙に放り出されていた。ぞっとした。


 ──引きずり込まれる……!



(助、け……!)



 胃の腑が恐怖で浮いた。前後不覚になるほどの恐慌に襲われかけた──最中さなか



「    」



 ──少女の泣き声が、聞こえた気がした。



(…………え……?)



 落下するメルの意識を、様々な声が通り過ぎて……。



 ──あなたたちなんか産まなきゃよかった……。

 ──何の取り柄もないおまえを……。

 ──兄様……助けて! 身体がおかしいっ!

 ──おまえだけだ、俺にはもう……。



 ……水面みなもに。

 たたきつけられる感覚がした。

 あっという間に、メルの意識は沈んでいった。


 暗くて深い水の中──

 冷たいかいなが、メルを包み込んだ。


 サミシイ。さみシい。サミしい。サミシィ……。

 …………────。



(…………。これは……誰の心?)



 かろうじてつかんでいた最後の意識がくだけて。

 メルは、冷たい海の底に沈んでいった……。



  ☆☆



「……嘘……。メルたち、帰ってこない……」



 魂解析アナリスの魔方陣が展開する舞台の上──

 フレデリカはふらふらと魔方陣に近寄ろうとして、後ろからミランに引き留められた。



「行くな、フレデリカ。君まで巻き込まれる!」


「じゃあ、指をくわえて見てろって言うの!? あの中にメルたちがいるのよ? 私たちのために戦ってくれてるのに……っ」


「だからって、僕たちが行って何ができるんだよ!?」


「……──っ」



 肝心のメルたちの姿は魂解析アナリスの魔方陣が生み出した暴風にのみ込まれたまま、一向に出てこない。

 中がどうなっているかも、何もわからない……。


 フレデリカのみどりの目から悔し涙があふれた。



「メルー……!」

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