第9章4話 逝くべきところ

「ぐあああああぁぁぁっ……!」



 魔方陣の燐光にさらされて、魂解析アナリスの術式にとらわれたアスターの絶叫が響き渡る。

 獣じみたその叫びに、メルはなすすべもなく立ち尽くした。


 そこへ──



「メル! 何なのよ、これ!?」


「! フレデリカ、さん……!?」



 振り向いた先、金色の髪にみどりの目をした少女がいた。

 他の劇団員たちと一緒に逃げたものだとばかり思っていた。

 彼女のマネージャーのミランもいる。



「これ、亡者との戦いで要るかと思ってもってきたの。あなたのでしょ!?」


「……え……」



 メルは、泣き濡れた目をみはった。

 亡者の魂を彼岸へと葬送るための──



 ──……



 認識した途端……ぞっと総毛立った。


 魂送りはいまだ、一度も成功していない。

 こんな土壇場どたんばで使いこなせる保証なんか、どこにもない。


 でも──



(……もし、した、としたら……)



 ──その可能性に、我知らず、心臓が冷えた……。


 魂解析アナリスのカウントダウンは続いている。

 アスターの魂の構成式を「解析」し、亡者へと「書き換え」るための術式が。


 けれど、これがあれば、魂解析アナリスの逆解析で亡者へと変貌していくアスターを苦しみからことができる。

 アスターの魂をことができる。


 薄緑色の灯火となって天にのぼっていく亡者たちの魂のように……。



(違う……私はこんなことのために……魂送りをしたかったんじゃ……っ)



 魂送りの杖をとろうとした手が無様に震えた。絶望の涙が目尻をこぼれた──そのとき。

 魂送りの杖を前にして立ち尽くすメルの耳に、聞こえるはずのない声が届いた。



(──…………っ!?)



 ……アスターであるはずがない。

 たった今、メルの目の前でもだえ苦しんでいる青年のものであるはずが……でも。


 助けを……求めていた。

 メルに手を伸ばして……──助けを。



 ──ィィィィイ……! 苦シィィ……!


 コノ苦シミカラ解キ放ッテ……。

 亡者ニナンカナルグライナラ──

 理性ヲ喪イ自分デナクナルグライナラ──


 殺シテ解キ放ッテラクニしテイッソひと思イィィ二……助ケテ殺シテトドメヲsaシテラクニナりたイィィ殺シテ殺シテ殺シte殺セェェェェェ……!



「……ぐっ!? アス、ター……!」



 声の響きは狂ったように激しさを増していく。

 やがて獣のような意識に、切り替わって。

 助けを求めて伸ばしていた手が……鋭利な爪を伸ばしてメルに迫った。



 ──新鮮ナ、柔らkaい肉……。命ノ、輝き……。

 欲しい欲シイ欲シイ欲しい欲しぃィィぃ……!

 オマえヲ、食ラッte……!!



(…………っ!?)



 背筋が凍った。

 空気を震わせんばかりの咆吼ほうこう

 身もよだつような断末魔に、メルは──



 ……静かに、



「…………本当に、それが欲しいの?」


「メル!? 危ない……!」



 助けに入ろうとするフレデリカを押しとどめて、メルはただ、魂送りの杖を受け取った。


 魔方陣の中で苦しんで我を忘れている青年──半ば亡者と化したそれに向きあって……ぎゅっと杖を握り込んだ。



「思い出して……あなたが帰る場所はそっちじゃない」



 叫んで、一歩踏み出した。


 魂送りの杖は沈黙したまま、相変わらず神代の歌と踊りをメルに届けることはない。……それでも。


 沈黙し続ける杖にありったけの聖性を注ぎ込みながら、魂解析アナリスの魔方陣に足を踏み入れた──刹那せつな



「!? きゃあああぁぁ……!」



 人間ヒトを亡者にする術式が発動し、暴風のように荒れ狂ってメルを襲う。

 エヴァンダールが吐き捨てた。



「気でも違ったか。みずから魂解析アナリスの魔方陣に足を踏み込むなど……!」


「ぐっ……! アスター……!」



 杖にかろうじて注ぎ込んだ聖性の力であらがいながら、メルはアスターの元に向かった。


 突風に舞台衣装ロングドレスが切り裂かれ、はめていた足枷があらわになる。魔術の術式が起こす突風に全身が引き裂かれる痛みにえながら、自我を喪った青年に手を伸ばす。


 ……ボロボロになっていく輪郭りんかくを抱きしめた。



「負けないで……アスターが帰る場所はここだよ」


「ぐっ……が…………あぁ……」


「私はここにいる。ここでアスターを呼んでいるから」



 ──……お願い。

 帰ってきて、アスター。

 私たちの世界に帰ってきて!



「あなたの逝くべきところはそっちじゃない……!」



 叫んだ刹那──


 ……視界が暗転して、世界が闇に閉ざされた。何が起きたのか、理解する間もなかった。


 目の前で半ば亡者と化した青年の姿も、魂解析アナリスの術式の吹き荒れる暴風も、すべてが一瞬で掻き消えて──


 メルの意識は、魂解析アナリスの中にのみ込まれていった。

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