第9章3話 一騎討ち


 アスターとエヴァンダールの剣戟けんげき熾烈しれつを極めた。


 互いに繰り出される剣の軌道を読み、弾き、ぶつかりあう。闇雲に襲ってくる亡者どもとは違う──対人戦闘ならではの張り詰めた緊張感の中、少しでも気を抜けばたちまち致命傷になるような苛烈かれつな一撃が襲ってくる。


 エヴァンダールが言った。



「俺に国を背負う資格がないと言ったな。──なら、おまえはどうなんだ?」


「何……?」


「仕えていたはずの故国くにが亡者なんて怪物を産み出し、亡者を生み出したからこその最先端技術を振りかざしたばかりか、支援と称して他国に偽善を振りまいていた。その恩恵を知らぬままに享受きょうじゅしてきた気分はどうだ? 何も知らぬまま防国の双璧などと呼ばれて英雄視されてきた──無知な道化として踊らされていたと知った今の気持ちは?」


「……!」



 エヴァンダールの剣が左腕をかすめた。

 痛みの感覚よりも、焼けるような鋭い熱さが弾けて。

 真っ赤な血が視界の端を花びらのように飛び散った。



「くっ……!」



 突き出した剣を、エヴァンダールに軽くいなされる。



「俺が信じるものは……俺が決める。とやかく口出しされるいわれはない」


「おいおい。自分にとって耳障りのいい言葉だけを信じるっていうのか? ずいぶんと都合のいい話だな──英雄。……そんなだから、何も知らされないんだよ。仕えた王子にすら信用されない」


「黙れ……っ」


「俺は親切で言ってやってるんだぜ? 自分の向き合うべきものから目を背けるな。現実を見ろ。その現実が不服なら、力尽くでねじ伏せろ。無慈悲な現実せかいを変えられるのは、おのれの力だけだ」


「……っ」



 ──弱いおまえには誰も救えない……。



 頭にカッと血がのぼった。

 斬り結んだ剣がギリギリときしみをあげる。



「ふざ……けるな。こんなことが……国王を暗殺し亡者に城を襲わせることがおまえの言う『力』か……! 俺はあんたの考えには賛同できないっ!」


「そう言いながら、剣は迷ってる。……俺にはわかる。なぜなら、おまえを真に使ってやれるのは俺だけだからだ。騎士っていうのはいわば、一振りのつるぎだ。仕える主君の力量次第で、名剣にもナマクラにもなる……」



 ──俺なら、おまえを有効に使ってやれる。


 エヴァンダールのささやく、その唇が笑みを引く。

 磨き抜かれた剣の腹が、アスターの瞳に宿る迷いを映した。



「弱く決断力のない主人に仕える臣下は不憫ふびんだ。何も成し遂げられず、誰も救えない。──だが、俺ならおまえを。ノワール王国の犯した罪から解き放ち、クロード王子のことも忘れさせてやれる……」



 ──俺に従え、アスター・バルトワルド。

 おまえの力、この俺が有効に使ってやる……!



(…………っ!)



 それは──

 酔いしれるように甘美なささやきだった。 


 もう何も考えなくていい。迷わなくて……いい。

 ノワール王国の犯した罪におびえることも……。クロードやルリアのことを疑わなくてもいい……。

 何もかも忘れて、ゆだねてしまえばいい……。



「……俺、は……っ」



 剣をもった手が、自然と、震えて……。


 迷ったのは一瞬だった。けれど、その一瞬のすきを、褐色の王子は見逃さない。

 エヴァンダールの膂力りょりょくで、剣が宙へ弾き飛ばされる。そのあっけない軌跡を、アスターは視界の端で呆然と眺めた。



 ……──勝敗は、決していた。



 舞台の床に投げ出されたアスターの喉元に、エヴァンダールが剣を突き付ける。


 ロンディオとりでの演習場での結果と同じだった。

 あのときと違うのは、エヴァンダールの手に真剣が握られていること。一閃させれば、アスターの喉を斬り裂ける……。



 ──…………死…………。



 不意に、周囲の音が、戻ってきた。

 どこかでメルが泣きそうに叫んでいるのが聞こえたけれど、そちらに目を向ける余裕はない。



(…………メル……)



 こめかみに冷や汗が伝った。

 破裂しそうに暴れる心臓がうるさい。

 エヴァンダールは……笑っていない。



「最後の機会だ、アスター・バルトワルド──俺に従え」


「……っ」


「おまえを真に救えるのは俺だけだ……」



 身体のしんから震えがきた。

 亡者と相対しているのとは違う、底なしの闇。無機質なだけでない、燃えさかるような憎悪。人間ヒトの悪意の恐ろしさ……。


 生殺与奪せいさつよだつの権を握られて……ついに、アスターは観念した。



(悪い、メル……)



 心の中で謝った。

 自分がいなくなったあとできっと泣くだろうから……。

 ──でも。

 ……アスターにも、譲れない一線はある。



「…………断る」


「……っ!?」


「あんたは俺の主君にふさわしくない」



 エヴァンダールの闇色の瞳を、まっすぐ見返すと、薄く微笑みさえ浮かべた自分が映っていた──たとえそれが強がりだとしても。

 クロードやルリアのところに逝くのに、無様な死に際は見せられない。



「俺が信じるものは俺が選ぶ。あんたに指図されたりはしない……!」



 エヴァンダールが、ギリッと歯軋はぎしりした。

 ものすごい形相ぎょうそうだった。忘却の河を守る悪の軍団長が実在したとしたら、こんな顔をするのかもしれなかった。



「その言葉、忘却の河で後悔するんだな……!」



 エヴァンダールが憎悪をこめて吐き捨てて──

 背後のカトリーナに……静かに告げた。



「カトリーナ、もういい。──やれ」


「……はい、兄様」


「…………?」



 おもむろに剣を引いたエヴァンダールを、アスターは不審に見上げる。


 魔方陣の燐光りんこうが展開された。

 本来は亡者どもを滅するための魂解析アナリスの術式──それが、アスターに向けて発動されている。

 おぞましい予感に、ぞっと凍り付いた。



「アスター!?」


「メル、来るな……っ。これは魂解析アナリスの──……ぐっ……うわぁぁぁぁぁ!」


「……!? アスター……!」



 アスターに駆け寄ろうとしたメルは、立ちくした。


 魔方陣の燐光の中で、アスターが苦しみもだえている──その姿が、さきほど滅せられた亡者の姿と重なった。存在自体を否定され、魂ごと滅せられた末期まつご慟哭どうこく……。


 それを冷酷に眺めながら、エヴァンダールが言った。



「……残念だよ、ノワールの英雄。もっと利口な男かと思っていた。できるなら生かしたまま従えたかったが……」


「なっ……! アスターに何したの?」



 足枷付きの少女を見やって、エヴァンダールはニヤリとわらう──残虐に。



「言っただろう、魂解析アナリスの実験だと。亡者の魂の構成式を『解析』し『書き換え』る──その逆だ。強い『個体』を亡者化し、俺の指揮下に組み入れる……亡者解放戦線のヤツらのようにな」


「ぐぁぁぁ……がぁぁぁ……!」


「アスター! ……しっかりして、アスター!」



 もがき苦しむアスターに、メルの言葉は届いていない。


 その身体がブチブチと異常な音を立てて作り変えられていくのを、メルは見た。皮膚の下の血管が膨れ上がって暴れ回り、血色を失った爪が異様に伸び、唇がチアノーゼを起こして、口からゴボリと吐瀉物としゃぶつをまき散らす。



「──魂の解析率十パーセント、二十パーセント……三十パーセント」


「!?」


「ふふふ。全部解析したら、どうなるだろうな?」



 振り向いたメルの背後──魂解析アナリスを発動させたカトリーナのカウントダウンに、エヴァンダールが嗤う。



「──安心しろ、アスター・バルトワルド。約束どおり、おまえの迷い、この俺が断ち切ってやる」



 アスターの変貌へんぼうに、メルは色を失った。

 目の前で、アスターの姿が変わっていく。

 なすすべもなく変えられていく……!



「嫌……嫌だよ、アスター。お願い、やめて……!」



 冷たい絶望がメルをのみ込んだ。

 何も……できない。

 アスターが苦しんでるのに、何も……!



「やめてぇぇー……っ!!」



  ☆☆



『……うぅっ……!』



 小さな身体が、ドサリと投げ出された。

 父の凶刃きょうじんが、幼い子どもを容赦なくたたきのめす。地面に放り出されたアスターは、丸突剣フォイルを取り落とした。



『アスター、剣をとれ』


『……いやだ……』


『バルトワルド家の男児が泣くんじゃない』


『もうたたかいたくなんか、ない』



 父のため息が落ちてきた。



『……まだ言うか』


『きずつくのも、きずつけるのも、もういやだ……!』


『…………』



 父が無情に自分を見下ろしている。

 自分と同じ蒼氷アイスブルーの瞳に、失望が色濃く映っていた。


 でも──

 ……もうラクになりたかった。

 父や周囲からの期待も、押し付けられた剣も、自分で望んだわけじゃない。

 すべてを投げ出してしまえばいい。


 そうすれば……──

 果てしない悲しみの世界で、傷付くこともない……。


 幼い子どもは、打ちのめされた痛みに涙を流した。こぶしを固めて血を吐くように叫んだ。



『──ぼくはもう、けんなんかもたない……!』

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