第9章2話 破壊と救済

 カツカツとしたハイヒールの音が響いた。



「話が違いますわ、エヴァ兄様」


「──!?」



 褐色の肌を繻子サテンのドレスに包んだ二十歳ほどの女が歩いてくる──カトリーナ。


 ストレートの黒髪にいただいたまばゆい宝冠ティアラ。手にしているのは宝杖ロッドではなく──護符だった。


 褐色の王女はアスターとメルの横を悠々と横切り、亡者を従えたエヴァンダールに歩み寄った。



「アスター・バルトワルドを殺すおつもりですの?」


「そう怒るな、カトリーナ。ただの小手調べさ。この程度で死ぬようなら、それまでということだ……ふふ」


「……カトリーナ……王女?」



 メルが呆然とつぶやいた。



「あのひとが……アスターの相棒パートナー……?」


「…………っ」



 アスターは、ふいと視線を逸らした。

 ……今では一緒に組むつもりもない。

 そのカトリーナは兄王子にめ寄った。



「亡者どものことだって、相棒のお披露目ひろめと兄様の一騎打ちが終わってからの手筈てはずでしたのに……」


「そう言うな。亡者解放戦線のアホどもが、こっちの予想以上にやる気満々でな……段取りが狂った」



 連れ従えてきた亡者たちを妹王女に滅されて、しかし、エヴァンダールはむしろたのしげに笑っている。

 カトリーナはむくれた。



「そういうことは、こちらにもちゃんと……っ」


「怒るなってば。……ほら」


 双子の王子の方が、妹王女カトリーナの黒髪をすくってそこに口づける。怒っていたカトリーナは、それで渋々、溜飲りゅういんを下げた。



「どういうことだ、エヴァンダール! この亡者たちは、いったい……!」


「──もちろん、父王陛下へのサプライズプレゼントさ」


「……!?」


魂解析アナリスの実地実験──なかなかいきなプレゼントだろ? もっとも、受け取る本人はさっき、一足先に忘却の河を渡ってしまったが……」


「……! なっ……!」



 国王崩御ほうぎょの事実を聞かされて、アスターはにわかに青ざめた。

 この状況で自然死であるわけがなかった──グリモア国王の暗殺。


 だが……。

 会場に亡者があふれかえっている以上、事はそれだけでは済まない。


 式典には国内外を含め、グリモアの中枢ちゅうすうにな重鎮じゅうちんたちが多数出席していた。もちろん、王妃や兄王子たち、国政をつかさどる王侯貴族たちもだ。

 もしもそのすべてを皆殺しにしようとしているのだとしたら……。


 事の重大性に、アスターは総毛立った。



「自分が何をしているのか、わかっているのか? おまえがしているのは、ノワールを滅ぼした亡者たちと同じだ! 自分の国を自分で滅ぼすつもりか!?」


「ふん。俺はそんな愚行は犯さない。政権崩壊のあとに訪れるのは……救済すくいだ」


「……救済すくい……?」


「父王やくだらん貴族どものいなくなったあとで、俺がこの国を掌握しょうあくしてやる──この世界を救うのは父上ではない……俺だ」



 愕然とした。

 国王を殺し、国の乗っ取りをくわだて──

 この期に及んで、世界を救う……だと?



魂解析アナリスを使ってこの世界から亡者どもを一掃いっそうしてやる。これはそのための単なる前哨戦ぜんしょうせんに過ぎん」


 アスターの胸を、どこか薄ら寒い予感がざわつかせた。


 ……思えば、ジェイドも何度も言っていた。

 ──救いが必要なのだと、

 救いようのない現実を前にして、ひとの心はもろい。

 すがるものがないと倒れてしまう……と。


 だが──



「なぜだ……エヴァンダール! あんた、こんなことする必要ないだろ!? 葬送部隊で魂解析アナリスを実戦配備して、実力を証明していけばよかったはずだ……っ。なのに、どうして……!」



 エヴァンダールの瞳が暗い影を落とした。



「父上が魂解析アナリスの研究に反対したからだ」


「!? なん、だと……?」



 褐色の王子は憎悪に顔をゆがめて吐き捨てた。



「俺だって父上を殺したくなんかなかった。おろかなグリモア国王が俺の研究に反対し、魂解析アナリスの実戦配備を拒絶したばかりか、実験を凍結させると言わなければ……な」


「実験を……凍結?」



 アスターは目をみはった。


 うたい手の聖性によらずとも、亡者を魂ごと滅する魔術……。

 滅んだノワール王国の研究を引き継いで、エヴァンダールが完成させたという秘技の実戦配備に──


 ──グリモア国王が……反対していた?



「父上は慈悲深い王だったよ……吐き気がするほどな。亡者を生み出したノワール王国の研究を快く思っていなかった。そして愚かにも……俺が開発した魂解析アナリスの実戦配備に難色を示したのだ。それどころか、人道にもとる非道な研究だと、この俺を公衆の面前でこき下ろした。実験のたびに被検体の奴隷どもを殺しすぎるという、ワケのわからん理由でな……!」


「なっ……!」



 アスターは愕然とした。

 被検体の奴隷たちを大量殺戮さつりくすることで生まれた──禁忌きんきの魔術。



「本当にバカな話さ。もとより奴隷どもに人権などない。奴隷管理局が保護した逃亡奴隷は国家くにのものだ。つまり、グリモアの王子であるこの俺が所有者だ。その奴隷どもに命を捧げさせて何が悪い……!」


「奴隷……を、実験に……?」


「……! メル!」



 ふらり、とメルの身体がかしいだ。

 エヴァンダールはメルの足枷を、その少女を支えたアスターを、愚かしいものを見るように眺めた。



「俺はこの世界を救おうとしているのに。何も切り捨てられない愚かな連中が俺を認めずにはばむ。……だから、みんな殺してやるんだ! そして、亡者に滅ぼされ清浄化された国で、この俺が、今度こそこの国を──亡者のはびこるこの世界を救う。今日の、この式典は、それに先駆けた巨大な実験場なんだよ!」


「──……外道が」



 アスターの声音が、氷点下にまで下がった。



「……よくわかった。あんたは父親に認められなくて駄々をこねてるただの子どもだ」


「な……んだと?」



 エヴァンダールの顔色が変わった。



魂解析アナリスっていうオモチャを手に入れて、遊ばせてくれないから逆切れしてるだけだ。そんなヤツが国を救う? ……わらわせるな!」



 双頭の獅子ししの意匠がほどこされたつるぎを抜き放って、アスターはエヴァンダールとカトリーナに向かって疾駆しっくする。

 舞台上に亡者のいなくなった今、ふた振りの剣が真っ向から拮抗きっこうした。



「あんたみたいなヤツに、国を背負う資格なんかない。俺があんたをここで止める」


「…………っ! やってみろ!」



 剣撃を受け止めたエヴァンダールが、ニヤリと唇をゆがめた。



  ☆☆



「フレデリカ、どこに行くんだ。そっちは出口じゃ……」


「いいから。ミランは黙って」


「あ。ちょっと……!」



 フレデリカはマネージャーのミランと合流して、舞台そでから続く薄暗い廊下を走っていた。


 亡者どもの起こした混乱のせいか、燭台しょくだいの火が落ちて足元もおぼつかない。室内に入っても落下防止の窓ガラスは分厚く、中にいる者たちの避難をはばんだ。



「くっ……! ここもダメだ。脱出できない」


「カンテラの明かり、こっちにちょうだい」


「──って、さっきから何してるんだよ? ひとが必死に脱出できないか捜してるのに」


「うるさいわね。ミランのくせに生意気よ」


「なっ……!」



 抗議するミランにかまわず、フレデリカはカンテラを掲げる。乱雑に散らかった室内を見渡して……微笑んだ。



「──…………あった」

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