第9章 反逆の王子

第9章1話 剣士の足枷

 グリモア国王の治政三十周年式典の会場は一転、パニックのうずにのまれていた。


 舞台そでからあふれ出した亡者どもからのがれようと、ドレスやタキシードで着飾った観客たちが観客席で逃げ惑い、親とはぐれた子どもたちが泣きじゃくる。


 客同士の衝突や怪我が相次ぎ、出入り口に殺到した人々の罵詈雑言ばりぞうごんが事態をますます悪化させた。



「国王陛下! お早くご退席を……! 客席に亡者があふれて……うわあぁぁぁ……!」



 飛び込んだ近衛兵が悲鳴をあげる。


 真っ赤な緞帳どんちょうの閉まったボックス席──舞台『河のほとりの恋人たち』を観るため、グリモワール三世がこもっていたはずの場所には、式典用の豪勢なマントを羽織った首なし死体が転がっていた……。



「──壮観だな」



 舞台の上から観客たちの逃げ惑う会場を眺めて、エヴァンダールは愉悦ゆえつに口のをゆがめた。


 すでに客席は逃げ遅れた客たちの血に染まり、解き放たれた亡者どもに蹂躙じゅうりんされている。今頃、出入り口に殺到さっとうした客たちは絶望していることだろう。


 ジェイドに命じて、出入り口という出入り口はすべて封鎖してある。


 仮に亡者どものひしめく会場から逃げ延びたとしても、エヴァンダールたちの息がかかった反乱軍に殺される……どちらに転んでも逃げ場はない。


 視線を転じた。


 舞台の反対側で、アスター・バルトワルドとレモン色の舞台衣装ドレスの少女、逃げ遅れた俳優たちがひとかたまりになっている。


 転んだときに舞台衣装のすそが破れて、少女の足首にはまった足枷あしかせと、半ばから断って脚に巻き付けた鎖があらわになっていた──奴隷。


 エヴァンダールは目をすがめた。



(……。確か、ジェイドのヤツが言ってた、あいつが葬送部隊に入るときの条件……)



 ──とある少女の足枷をとって、奴隷の身分から解放してほしい。



「ふん、なるほどな。あの子どもが、あいつにとっての足枷ってワケか……」



 ……ひそかに笑みを深めた。



  ☆☆



「アスター! 亡者たちが……っ」



 メルの声に、アスターは素早く剣をかまえた。


 先ほど吹き飛ばしたはずの亡者どもが、早くも手足を再生させつつある。

 頭皮に張り付いた髪の毛を振り乱し、眼球のないうつろな眼窩がんかに暗い光を宿して、思うように動かない肢体からだをズルズルと引きずりながら立ち上がる。


 ……舌打ちした。



「メル……おまえ、魂送たまおくりは?」


「……まだ、です。杖は楽屋にあるけど」



 かぶりを振ったメルに、アスターはうなずき返した。もとより魂送りができなくなっていたメルの戦力はアテにしていない。

 背後で逃げ遅れているフレデリカや俳優たちに目をやった。



「あいつらを連れて逃げろ。俺が時間を稼ぐ」


「! でも、それじゃアスターが……」


「早く行け。この数の亡者を相手に、おまえらを守りきれる保証は──。…………くっ!」



 襲いかかってくる亡者どもを一閃いっせん二閃にせんと迎え撃ちながら、アスターは口の中に苦いものが広がっていくのを感じた。



(くそっ! 何がどうなってる……!?)



 式典会場である劇場は、グリモアの王城の区画内──王都リングドールの中でももっとも警備が厳しい場所だ。

 そこに亡者が現れたということは、王都自体が亡者に落とされたか、あるいは……──



 ──……王城内部から、亡者が湧き出したか。



 脳裏に、二年前に滅んだ故国のことがよぎった。


 城内にも亡者があふれ出したノワールの最期──

 絶望したクロードが自分を刺した瞬間が。

 駆けてきたルリアの悲痛な叫びが。

 鮮やかによみがえって……。



「アスター、危ない!」


「……っ!?」



 剣を振り切った死角から、別の亡者の爪牙そうがが迫っていた──よけきれない。



「くっ……!」



 とっさに腕を交差させて衝撃に備えた。

 考えるより先に身体が動き、致命傷を避けて左に跳んだ──直後。



 ──……歌が響いた。



「……っ!?」



 舞台の上に巨大な魔方陣が出現していた。

 演者の立ち位置を示す目印にまぎれて、魂解析アナリスに使う護符が貼られていたのだ。


 耳をふさぎたくなるような不協和音の旋律せんりつが響いて、亡者どもが狂ったようにもだえ苦しみ出した。



「な、何これ……!?」



 初めて魂解析アナリスを見るメルが、その異様な光景に凍り付く。

 亡者の魂を彼岸に送り返すのとは明らかに違う──亡者の存在ごと滅するための歌と踊り。


 アスターは歯噛みした。



魂解析アナリス──亡者の魂の構造式を『解析』し『書き換え』て存在ごと滅する魔術だ……!」


「……亡者の魂を、滅する……?」



 メルが愕然がくぜんとつぶやいた、そのとき。



「ぐがぁぁぁぁ……っ!!」


「!?」



 亡者どもが断末魔の慟哭どうこくをあげた。もとから腐り崩れている四肢を苦しみに痙攣けいれんさせ、苦痛から逃れようと必死に伸ばす。


 メルは目を見開いた。



「そんな……っ。亡者たちの魂が……消されてく!」


「……っ! メル、行くな」


「やめて! 亡者たちが苦しんでる! 悲しんでるよ!」



 アスターの腕を振り払って、メルは亡者に向かって必死に手を伸ばした。


 亡者どもの腐肉が、見えない光線でも浴びたかのようにボロボロと落ちて溶け崩れていく。


 空の彼方のきれいな場所にいくはずだった魂だった。

 魂送りでなら救ってやれたかもしれない存在たち……。


 なのに──


 伸ばしたメルの手が、苦しみもだえる亡者に届きかけて──

 何もつかめぬままくうを切った。



「…………!?」



 滅された亡者の魂が灰燼かいじんとなって腕をすり抜けていく。


 薄緑色の灯火になって天に昇ることなく──

 忘却レテの河の向こうに葬送おくられることもなく──

 跡形もなく消えていく……。



「……どう、して……」


「…………──。……くそっ」



 呆然ぼうぜんとつぶやいたメルのそばで、アスターがやりきれなさにこぶしを固める。


 その背後に──

 褐色かっしょくの肌をした女がひそやかに立った。

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