第6章2話 迫りくる凶刃

「──あちら、雲行きが怪しいですわ」



 カトリーナが言った。つややかな黒髪をなびかせ、荒野の先を見据えて馬首をめぐらせる。


 ロンディオとりでの付近へ偵察に出た、その帰りである。任務の性質上、相棒パートナーであるカトリーナとは同じ勤務に組まれやすい。


 先日、カトリーナの天幕テントで話して以来、何度かこうして任務をこなした。



『俺はあんたの考えにも、エヴァンダール王子のやり方にも賛同できない……!』


『何も知らないくせに、エヴァ兄様のことに口出ししないで! 私たち兄妹きょうだいがどんな想いで生きてきたかも知らないくせに……!』



 あれ以来──

 魂解析アナリスの研究のことにも、ノワール王国やクロードのことにも、お互い触れずにいる。


 ノワールの研究を取り入れたというエヴァンダール王子のことも……ふたりとも口にしない。



(…………)



 カトリーナの指し示した方を見た。雲一つない晴天だった。にもかかわらず、目を凝らした先に動く影がある……──亡者。



「十体か。……行くぞ」


「応援を呼ばなくてもよろしくて?」


「必要ない。俺たちだけで蹴散らせる。──メル、魂送たまおくりを」



 ……口走って、はっと口をつぐむ。

 カトリーナが冷めた目で見ていた。



「私の名前はカトリーナですわ」


「…………すまない」



 視線を逸らそうとした──刹那せつな

 ……違和感が頭をかすめた。



「……どうした。大丈夫か?」


「…………何か?」


「いや……」



 不機嫌そうなのは、先日の会話のせいかと思っていたのだが……。


 カトリーナの褐色かっしょくの肌が心なしか青ざめている。伏せがちな闇色の目を苦しげにすがめた……気がした。



「……。具合悪いんじゃないか。ここはいったん退いて──」


「余計なお世話ですわ」



 アスターがみなまで言わぬうち、砦への信号用に矢を放って、カトリーナが馬を走らせた。



「剣なき者を先頭で走らせるおつもりですか? ──ノワールの英雄殿」


「……。……今、行く」



 にこりともしないカトリーナのあとを追って、アスターも馬を走らせる。うたい手である王女を追い越して、亡者に向かって一直線に駆けた。



「──残光蒼月斬!」



 剣技の射程に入っていた亡者たちの肢体からだが剣風に斬り裂かれてバラバラと宙を舞う。

 護衛仕事で見慣れた光景だ。

 特に心動かされることもない……そのはずだった。なのに──



 ──イラナイ。イラナイ。イラナイ……!



 背後にいるカトリーナの存在が──



 ──憎イ憎イィィ憎イィィィィ……!



 亡者たちに向ける憎悪の念が胸をよぎる。


 剣をとるというのは、傷付けることだ。

 向かってくる者すべてを斬り付けるということだ。


 戦って。戦って。戦って。戦ッテ。亡者ヲ斬って。殺シテ。なぶっテ。壊シテ。あやメて。なんのためナノか。理由モ擦り切レテ。亡者どモニ囲まれte自分が生キテルのか死んderuのかモわかラなくなって……。



(……っ。ダメだ。のまれるな……!)



 はっと息をのんで、飛びそうになっていた意識を必死につなぎとめた。


 斬っている。亡者どもを。修羅しゅらのごとく。斬って。斬って。斬ッテ。キッて──……何を?

 向かってくる亡者の溶け崩れた顔が、幼い自分自身の泣き顔に見えて──



 ──本当ハ……。



 声のない悲痛な泣き声が。



 ──戦イタクナンカ……。



 ……誰にも届くことのない嘆きが耳を打った。



(──……っ)



 身動きのとれなくなった刹那せつな──

 亡者の爪牙そうがが、すぐ間近で自分を斬り裂こうとしているのが見えた……。



「──っ! アスター!!」



 危険を知らせる誰かの声が、どこか遠くのことみたいに聞こえた。



(──……っ! やられる……!)



 痛みの予感に目をつむった。身を守るすべをもたない幼い子どもが、無防備な自分をかばうのにも似て。


 亡者の攻撃が襲いくる。

 ──が、自分を打ちひしぐ、その瞬間が……。



(…………。…………──?)



 衝撃は、しかし、いっこうに訪れない。

 気が付けば、黒髪の後ろ姿が太陽をさえぎっていた。


 自由奔放ほんぽうにうねる天然パーマの髪に、褐色の肌。貴族服のまま剣を構えて、アスターに迫った亡者を押し返している。

 その唇が、流麗りゅうれいに言葉をつむいだ。



「──死霊乃風アルバラン・サーガ!」


「!?」



 貴族服の青年が手にした剣を中心に嵐が巻き起こった──そう見えた。


 幾重にも円の軌跡を描き、亡者どもを巻き込みながら勢いを増してバラバラに斬り刻んでいく。さながら突如として巻き起こった漆黒の竜巻トルネードだった。


 まるでミンチか何かのように亡者たちの肢体からだが容赦なく斬り刻まれていき──



「──魂解析アナリス



 カトリーナの歌と踊りによって、聞くも無惨むざんな断末魔をあげながら魂ごと滅されていった。


 アスターはその鮮やかな連携を愕然がくぜんと見ていた。生まれたときから苦楽をともにした褐色の双子たち。



「よぅ。相変わらずシケた顔してんな、ノワールの英雄」



 亡者の存在をその魂ごと消し去って、褐色の王子は振り返る。その唇が笑みを引いていた。



「エヴァンダール……王子。なぜここに……」



 あっけにとられているそばから、馬に乗ったジェイド・ルミールが遅れて追いついてきた。



「エヴァンダール! おまえ、自分から亡者に飛び込んでいくなってあれほど……!」


「騎士長がのんびりしてるのが悪い。大事な妹のピンチに間に合わなかったらどうするんだ?」


「うっ……!」



 エヴァンダールにぴしゃりと言われて、ジェイドが言葉に詰まる。

 ……さっき亡者に襲われたときに名前を呼んでくれたのがジェイドだったのだと、アスターは遅れて気が付いた。



「──エヴァ兄様!」



 カトリーナが、感極まった声をあげた。馬から飛び降りざま、エヴァンダールに嬉々ききとして駆け寄っていく。



「いつ来られたんですか?」


「ついさっきだ。砦の視察に来たら、カトリーナの矢が見えたから飛んできた。間一髪だったな」


「……。……助かり、ました」



 褐色の王子に、アスターは言う。

 あのとき、エヴァンダールが亡者との間に飛び込まなければ危なかった……。

 礼を言うアスターにエヴァンダールはんで、傲岸ごうがん不遜ふそんに言い放った。



「ロンディオ砦を見て回りたい。俺に付き合え──アスター・バルトワルド」

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