第6章 敗北の味
第6章1話 強さの定義
『うあっ……!』
まだ成長途中のしなやかな手首に、しびれるほどの衝撃が走った。
亡者かと思うほどの剛力で振り払われざま、練習用の
体勢を立て直そうとする間もなく、師匠である男の丸突剣が喉元にぴたりと当てられる。すっ飛んでいったアスターの丸突剣が、カラカラと音を立てて転がった。
三十がらみの
『──はい、また君の負け。…………お?』
アスターの負けん気を刺激するのには十分だった。丸突剣をつかみ取って、がむしゃらに師匠へと突っ込んでいく。
師匠──ラウはおもしろげに笑った。
『ほらほら、甘い。脇があいてる! そこに、亡者が突っ込んできたらどうする! 視覚で追うな。気配で感じろ。目はただの飾りだと思え!』
『くっ……!』
必死にラウの速度に追いつこうとするが、目で追うので精一杯だ。こちらから攻めているつもりで、ここぞというときに反撃される。何度となく打たれ、転がされ、剣を弾かれた。
やがてアスターが立てなくなった頃には、空が赤く染まりかけていた。
他に練習していた者たちはとっくに帰り、演習場には、立っているラウと座り込んだアスターのふたりだけが残っている。
『よくもまぁ、これだけたたきのめされても向かってくるもんです。本気で師匠に勝とうとしてる甘々さとか、いっそ感心しますね。一千年早い。……はい、腕出して。手当てしますから』
『
『今日やさぐれてるのは、殿下のことですか?』
『……え……』
『あのねぇ……集中途切れてるのがバレてないとでも? だから、君は読みが甘いというんです。そんなんじゃ、いつか足元すくわれて、亡者どもの
『……』
アスターはふいっと目を逸らした。十三歳の少年らしい、ふてくされ顔で。ぼそぼそと言う。
『クロードのヤツ、今日も稽古に来なかった。来たら、もっとまともな稽古ができるのに……』
『そうですね。同じ年頃で、まともにきみの練習相手になるのは殿下ぐらいでしょうね』
『あいつ、バカだ。ちゃんと本気出せば強いのに。それがわかれば、みんなだって見る目が変わるのに』
『……ははーん。さては、貴族のバカ
図星をさされたアスターの顔で、ラウには、何が起きたか容易に想像がついた。
大方、貴族の子弟の間でクロードの陰口をたたく者がいて、数にものを言わせて袋だたきに遭ったのだろう。稽古の前から青アザつけていたのは、そういうわけだ。
元々、剣士を目指しているアスターが生傷を増やしたところで、周囲の大人たちは誰も気にしない。
(今日の稽古で、証拠、埋もれさせちゃいましたね……)
たとえアスターが「あいつらにやられた」と言ったところで、言い逃れされてうやむやに終わっただけだろうけど……。
『俺が稽古に来ないと怒るくせに、クロードはおとがめなしだし……。先生だって、あいつのこと、期待してないから放っとくんだろ』
主君をバカにされて悔しさをにじませる少年を、ラウはしげしげと見た。
ただ単に、練習相手がいなくてつまらないから、というのではない。アスターなりにクロードのことを案じてるのだと知って。
『……逆、ですね』
ぼそりと、言った。
アスターが、いぶかしげに眉根を寄せる。
『えぇ、確かに。彼が軟弱な王子だと見なされてるのは知ってます。戦いを望まない殿下の優しさは、武勇を誇る者たちにはうとまれるだけでしょう。でも、普段の殿下を見ているとね……剣の重みを知っているからこそ、逆に、剣をとりたがらないのではないかと思うんです』
──剣をとったら、殺さずにいられる自信がないから。
だから、彼は剣を恐れるのではないかと、ラウは時々、思うことがある。
真相は、本人しか知らないのだろうけど。
もしかしたら、彼自身もわかっていないかもしれない。
『奪った命を背負う覚悟のない者が、剣をとるべきではない。力のみに頼る者は、たやすく力におぼれます。いいですか、アスター。一番難しいのは、戦わないことなんです。それは私たち、剣の道を歩む者とは違う。殿下にしか歩めない道です』
意外な答えに、アスターが目をみはった。
戦わない──という選択肢を、初めて示されて。
それは、バルトワルドの屋敷に生まれ、幼いときから剣をふるってきたアスターには未知の選択だった。生まれたときから、亡者に脅かされる世界で生きてきたアスターにとっては。
ラウも思う。
もし平和な世の中だったら──と。
クロードの優しい資質は、王子たるにふさわしかっただろう。争いもなく、みなが豊かで、満ち足りた世界だったとしたら。いつ襲ってくるとも知らない亡者におびえ、国を守るしかない
けれど、叶わないだろうと知っていても、
もしかして、クロードなら──と。
あの優しい王子なら、優しい国を作れるんじゃないか。
血なまぐさい戦いにおぼれることもなく、正しく国を導いてくれる名君たりうるのではないかと。
自分たちができなかったことを願ってしまうのが、大人のエゴなのだとしても……。
『危険を引き受けるのも、命を背負うのも我々の仕事です。殿下にできないことを、我々がやるんです。──強くなりなさい。守るべきもののために』
ラウに差し出された手を取って、アスターは立ち上がった。ふらりと、よろけながら。それでも視線は外さない──めずらしく。
『……俺も、』
『?』
『…………あいつのこと、信じてるから』
言って、うつむいた少年の顔は夕陽に照らされて赤い。
ラウの頬に、微笑が浮かんだ。
もしこの少年たちが将来、国を担うのなら──
『──期待してますよ』
くしゃりと頭をわしづかみにされて、アスター少年は
強くなる……その想いを、胸に秘めて。
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